2010年1月15日金曜日

It Might As Well Be Spring

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----- Jazz Story #2 -----

  「It Might As Well Be Spring」 水城雄


 ひさしぶりにベランダの掃除をしながら、彼女にいわれたことを考えている。
 冬のあいだじゅう、外にほったらかしにされていたベンジャミンは、葉をすっかり枯らしてしまっていた。手でむしゃむしゃともむと、枯れた葉はあっけなく落ちて、ベランダに散らばった。
 さすがに部屋のなかに入れ、窓際に置いておいたサボテンは、つぼみを大きくふくらませている。もう今夜にでも咲きそうな勢いだ。小さいのに、不釣合いなほど大きなつぼみをつけている。
「ほんとに行っちゃうんだよ」
 と、彼女はいったのだ。
「春までにはなんとかなると思ったのに、ほんとに行くことになるなんて」
 そんなことをいわれても、彼には返事のしようがなかった。彼女は外資系のコンサルタント会社に就職が決まり、離れた街に行ってしまう。さらに入社してすぐに、研修のためにアメリカに行くことにもなっている。
 彼のほうは就職をせず、かといって大学院にすすむこともしなかった。アルバイトをしながら、いちおう研究室には通わせてもらうことになっていた。
「あたしが行っちゃってもいいのね?」
 そんなふうに問われて、どうこたえればいいというのか。リクルートに走りまわって、そんな会社に決めてきたのは、彼女のほうではないか。
「あたしたち、どうなるの?」
 彼のほうが聞きたい。
「遠距離恋愛って、うまくいかないことが多いんだって」
 そうかもしれない。
 強い春の風が吹いてきて、ベンジャミンの枯れた葉が埃といっしょに舞いあがった。

 夜になって、本当にサボテンの花がひらいた。
 花はふつう、日が照って咲くものとばかり思っていたのに、サボテンは違うらしい。
 ベランダはすっかり片付けて、きれいになった。いまはカーテンが引かれている。ベランダは見えない。
 電話をかけようかどうしようか、迷っている。
 昼間、ベランダ掃除のさいちゅうにかけたら、彼女はいなかった。母親が出て、だれかと買物に出かけたと告げられた。卒業式も終え、アパートを引きはらって、親の家にもどってしまっているのだ。
 もうそろそろ帰っているだろうか。
 ラジカセからはジャズが流れていた。FMをつけっぱなしてにしておいたのだが、ジャズはめずらしかった。
 ピアノトリオだ。それくらいは彼にもわかる。ただ、だれの演奏かまではわからない。
 バラード風のイントロから、テーマの部分に入って、柔らかくスイングしはじめる。それを聞いて、彼は電話の子機を手にした。
 彼女はいた。
「もしもし、おれ」
「うん」
「昼間かけたけど、留守だった」
「買物に行ってたの。なつきと」
 親しくしている従姉妹の名前だな、と思った。たしか、彼女とは入れかわりで大学に入ったばかりの子だ。
「なに?」
「サボテンが咲いたよ」
 電話の向こうで一瞬黙りこんだ。
「見にこないか」
「いまから?」
「ああ、いまから」
 もう一度の沈黙。そして彼女がこたえた。
「いいよ。いまから行く」
「うん」
 彼は電話を切り、ラジカセのボリュームをすこしあげた。
 それから、窓際のサボテンをテーブルに持ってきて、置いた。

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