2010年12月22日水曜日

沈黙の朗読――記憶が光速を超えるとき(3)

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----- 朗読パフォーマンスのためのシナリオ -----

 ちゃんと思いだした。子どものころから物忘れがひどかった。小学生のある日、ランドセルを忘れて手ぶらで学校に行った。母親が届けに来て、教室の入口で、同級生たちが見ている前で、こっぴどく頬をはたかれた。いまのいままでそんなことを思いだしたこともなかった。無意識の奥底にしまいこんでいた思いだしたくない記憶。たくさんの思いだしたくない記憶が、無意識の奥底にしまわれ、忘れさられている。物忘れをした恥ずかしい記憶がたくさん、記憶の奥底に忘れさられている。蛇口のパッキンを買わなければ。

 私は歩きはじめる。おっさんどこへ行くんだよというだれかの声が聞こえる。腕を強く引きもどされる。

 都会の学校に進学し、都会の会社に就職し、都会で結婚し、都会で家を持ったけれど、いつも思いだすのは野山のことだった。軒先に作られた燕の巣を見つめながら、畑の上の草はらで見つけた雲雀の雛のことを思っていた。街を歩きながら、風とともに山道を駈けおりたことを思い出していた。ひとり渓流をさかのぼり、岩陰にひそむヤマメを狙ったことを思い出していた。

 列車が通過いたします。危険ですので、黄色い線の内側までさがってください。
 列車が通過いた   します。危険です    ので、黄色い線       の内側
         までさが
                 ってくだ
                              さい。

 私はどこへ行こうとしているのか。
 そうだ、蛇口のパッキンを買いに行くのだ。
 だれかの怒号が聞こえる。
 腕を強く引かれる。
 私はそれをふりほどく。
 蛇口のパッキンを買うのだ。
 蛇口のパッキンを買うのだ。

 危険ですので。
 黄色い線の内側。

 蛇口のパッキンは死。
 蛇口のパッキンは死。
 死とはなにか。

 あのとき私が見ていたものの話をしよう。
 ランドセルを忘れて親に怒られた私は、その夜、かけっぱなしの梯子を伝って、家の大屋根に登った。
 屋根に寝っ転がって星を見ていると、自分がどこにいるのかわからなくなる。そんな経験はないかい? 自分が丸い地球に張り付いて、寝ているのか、地球にぶらさがっているのか、わからなくなってしまう。
 ちっぽけな地球の表面に張り付いている私。宇宙のまんなかにぽっかりと浮かんでいる地球に張り付いている私。
 地球、太陽系、銀河、銀河団、泡構造、超新星、膨張する宇宙、ブラックホール、ビッグバン、百数十億年のかなた。それが目の前に広がっている。永遠のかなた。
 永遠ってなんだろう。宇宙のはてにはなにがある?
 そんなことを考えていると、なにが原因で親にしかられたのかすっかり忘れてしまう。
 でも、屋根から降りると、まだ怒っている父がいたし、父に気を使っている母もいたし、自分は怒られまいとこっちをうかがっている妹がいた。
 そうやって地表の現実のなかで、今日まで生きてきた。
 宇宙のなかのちっぽけな現実。喜んだり、悲しんだり、疲れたり、発奮したり、裏切られたり、愛したり、お金の心配をしたり。
 この命も、いずれ消えていく。
 死なない人はただのひとりもいない。偉大な人もちっぽけな人も、金持ちも貧乏人も、ひとしく皆、死を迎える。
 沈黙に戻る。


 村を離れ、都会に出たことを後悔してはいない。都会には都会の生活があった。ただ、夜中にこっそり裏口から抜け出し、ひと気のない公園をさまようとき、私の脳裏には谷川から沸き立つように舞い上がる羽化したばかりの蛍の光の渦が見えていた。降るような満天の星が見えていた。

 いま、私は、都会の電車のホームで、だれかにつかまえられ、引きたてられようとしている手を振りほどき、妻にたのまれた水道の蛇口のパッキンを買いに行こうとしている。


 ぼくの身体は軽くなり、ふわりと浮いて舞い上がる。

 そのとき、ふいに私は


    妻の
              名を

                              思いだす。

         青い空
                  と
                          白い    雲
















(おわり)

2010年12月21日火曜日

沈黙の朗読――記憶が光速を超えるとき(2)

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----- 朗読パフォーマンスのためのシナリオ -----

 あれは何年前のことだったろうか、その犬の名前はいまとなっては妻の名前と同様忘れてしまったが、愛苦しいゴールデンレトリーバーで、まったく家族同様に暮らしていたのだから、その犬の名前を私が忘れてしまったのはおそらくフロイトがいうところのつらい記憶の番人の仕業に違いないのだが、彼の長い毛足のふさふさと柔らかな体毛の感触ははっきりとした実感をともなってまるでいまでも手をのばせばそこに実体化するがごとく記憶の奥底にしまいこまれていたし、それがトリガーとなってぐりぐりと動くたくましい躍動する筋肉の感触や雨に濡れるととくに強くなる身体のにおいまで実体化するようで、しかしいま私が思いだしているのは彼が悪性のリンパ腺腫でたった六歳で死んでしまったあの朝、まだぬくもりの残っている大きな身体を玄関のコンクリートのたたきから部屋のなかへと運びこもうと抱きあげたまさにそのときの感触でありました。私はその感触を
        なので神聖なことのようにいまでも感じているのであり、悲しみ、喜び、楽しみ、暖かさ、活発さ、冒険、新鮮、安心といったさまざまな感情の記憶とつながっている大切な記憶のトリガーといってもいいのであります。
 それなのに、であります。
 それなのに、であります。
 それなのに、であり    右手に知覚が戻ったのは、私の右手をなにかが強く圧迫しながら強い力で上へと持ちあげようとしていたときであります。私は私の神聖な記憶を無理矢理かなたへと押しやられ、かるい憤りを覚えながら、私の右手に起こりつつあることを認識しようとしたのであります。
 だれかが、何者かが私の右手をつかみ、強くつかみ、握りしめ、そして私の意に反して上のほうに差し上げようとしている。

 私が身体を密着させまいと懸命の努力をしていたところの私の前にいた短いスカートからむちむちした太ももをのぞかせていた女子高校生が首をねじまげて私のほうを見上げ、そう彼女は私よりずっと小柄だったため、私を見るためには下から見上げるような格好にならざるをえず、上目遣いになり、下方から鋭角に私を見上げることになり、視線は下から上へと向かって急角度で突きあげられ、私の目に視線が突き刺さり、私はそれがなにを意味するのかとっさには理解できず、ただ視線を受け止めるばかりで、とまどった私の視線が彼女に伝わったのかどうかすらわからず、彼女は鋭い視線を向け、その視線は怒りや憎しみに満ちているようにも見え、たんなる眼球がなぜそのような感情を表出するのか私には理解できず、眼球ではなく眼球を縁取るところの瞼や眉やそれを取り囲む表情筋が感情を表出しているのかもしれず、また瞳孔の奥の水晶体のさらに奥にある網膜に走る無数の毛細血管の脈動が感情の興奮状態を表出するのかもしれず、そんなことを
      の右手が私の意に反して無理矢理上のほうへと引きあげられていたのでございます。

 ち か ん
 で す こ
 の て で
 す

 電車はいままさに次の駅のホームへとすべりこんでいくタイミングであった。かの女子高校生がそのタイミングを見計らっていたことは明らかであった。私の思考は停止していた。いや、実際には停止していたわけではない。脈絡のある思考が失われていたというべきだろう。私の思考の道すじは脈略のあるストーリーを失い、意味を失っていた。思考が脈略を失ったとき、人は自意識を失う。自分になにが起こっているのかわからず、また自分が何者なのかもわからなくなる。私の右手は女子高校生につかまれていた。女子高校生は私の右手をつかんで肩より高く持ちあげていた。持ちあげたこの手が「ちかん」であると叙述していた。私の手はちかんなのか。ちかんとはなんなのか。なにをもって私の手はちかんと定義されるのか。
 私のまわりがざわめいている。電車はまさに駅のホームに停車しようとしている。電車のドアが開こうとしている。乗客のひとりがいう。こいつを警察に

       突きだすんだ。おれがいっしょに行ってやるよ。若い男の声だ。もうひとりがいう。私も行ってあげる。若い女の声だ。私はふたりの男女に両側からそれぞれ腕をつかまれ、開いたドアから電車の外へと連れだされる。
 電車のドアの外は駅のホームの上であった。駅のホームはまだ真新しい。数年前に路線の複々線化のために駅と線路が高架になり、駅のホームも新しく作りかえられた。どの駅も似たような風景になり、駅名のプレートを確認しなければ


             どの駅なのかわからない



 私たちの、私たちというのは私と私の右手をつかんだ女子高校生と私の両腕をつかんだ男女ふたりの計四人であるが、その私たちの背後で電車のドアが閉まる。振り返ると

      ドアのガラス越しに好奇の色を浮かべた乗客たちの視線が私たちに向けられている。視線が横すべりを始める。ゆっくりと横にすべっていき、しだいに速度をあげる。視線は私の視線から遠くはなれ

  見えなくなる。電車がハイブリッドモーターの音を高めながら       速度をあげる。八両編成の電車が
                ホームから離れていく。一瞬

   最後尾の車両の最後尾の窓から上体を半分のぞかせた車掌と視線が合い、パチン

            という音が聞こえたような気がするが、もちろんそれは錯覚で

         引きこまれるような風圧が私を線路側へわずかに押しやる。


 いい天気だ。


 真っ青な空がホームの上を覆う屋根の間から見える。それを見て、私は記憶を訂正する。あの日が梅雨時のむしむしした日かもしれなかったという記憶は間違いであった。からっと晴れた夏至に近い初夏の日であった。真っ青な空には真っ白な積雲が綿菓子のようにぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽこぽっと浮かんでいる。綿菓子の手前を電車の架線が何本かまっすぐに横切っている。雲の背後を架線とは鋭角をなす角度の白い直線が横切っている。飛行機雲だ。飛行機雲だ。私は夏の空が好きだ。私は夏の空が好きだ。私の生まれた土地は田舎の山間部だったが、その夏の空も好きだった。私は夏の空が好きだ。飛行機雲だ。私が生まれたのは田舎のほうの、山が谷でくびれ、せせらぎが川となって平野へと流れこむ、その出口のところだ。小さな村となだらかな山があって、人々は長い年月をかけて山と折り合いをつけながら、段々畑や田圃を作ってきた。私が生まれたのは、コブシや桜が終わり、藤や桐が薄紫色の花を咲かせるころ、山吹が山裾の小道を黄色く彩るころだった。雪解けの名残り水が田に導かれて水平に広がり、空を映してぬるむと、白鷺が冬眠からさめた蛙をついばみ、子どもらはスカンポを噛みながら畦道を駆け抜ける。蛇口のパッキンを買わなければ、と私は思いだす。

2010年12月18日土曜日

沈黙の朗読——記憶が光速を超えるとき(1)

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----- 朗読パフォーマンスのためのシナリオ -----

 私はあの日、あの日というのがいつのことなのか定かではないのだが、夏至を迎えたばかりのように思うし、あるいは梅雨時のむしむしした日だったようにも思うが、とにかく暑苦しかったことだけは確かだったあの日、私がいつものように家を出ようとすると妻が帰りに忘れずにあれを買ってきてねといい、私はそのことがなんのことなのかわからなくて、ところで妻の名前はなんだっけ、間違えて呼んだりしたらとんでもないことになるぞと考えながら、とりあえずおまえと呼ぶ事にしようと決めて、あれってなんだっけなおまえとたずね返すと、私の、名前を思いだせないままの妻は、あらいやだあなたあれほど何度もたのんでたのにだから心配だったのよまた忘れるんじゃないかってと、いつまでも肝心のことを答えようとしないまま私をぐちぐちとなじりつづけるものだから、私の胸のなかにはなにかしらよどんだもの、まるで雨の日の増水した川にひっかかっている流木に腐った葉やらスーパーのレジ袋やら破れたTシャツやらコンドームやらがからみつき茶色くよどんでいるような光景が生まれ、私はなにかをいいかえそうと口をひらくのだがそこから出てくる言葉は私の灰色の大脳皮質までは浮かびあがって来ず、先に私の、名前を思いだせないままの妻が私をぐちぐちとなじるその言葉のつづきで、洗面所の蛇口のゴムのパッキンを買ってきてなおしてくれるっていってたじゃないほらいくらきつく締めてもぽたぽた水が止まらないのをこんなの直すのわけはないといったのはあなたよ覚えてるでしょう、といわれてみればたしかにそのようなことをいった覚えがあるような気がしてきたが、その記憶は本当に私の記憶なのだろうか、それともだれかから、いやつまり私の、名前を思いだせないままの妻からいわれて植えつけられた記憶なのだろうか、あるいは夢で見たことを現実の記憶と思いこんでしまったのだろうか、それだとしたら私の、名前を思いだせないままの妻の記憶も私の夢の記憶を共有しているということになってしまい、それは理屈にあわないというか現実的ではないような気がするが、その時はもちろんそんな考えを振りはらい、とにかく私の、名前を思いだせないままの妻の要求は私に伝えられたわけだからいつもどおり家を出て仕事に向かうことに決めて、わかったよおまえ帰りがけには忘れないように蛇口のパッキンを買ってきて洗面所の水漏れを直してやるからといい残して駅に向かったあの日、あの日というのがいつのことなのか定かではないのですが、夏至を迎えたばかりのように思うし、あるいは梅雨時のむしむしした日だったようにも思いますが、とにかく暑苦しかったことだけは確かだったあの日、ホームにはいつものように、いつもというのがいつのことをさしているのやら自分でもさだかではないまま申しておりますが、ホームにはいつものようにサラリーマンやらサラリーウーマンやら女子高校生やら老婆やらがごったがえしながら電車の到着を待っておりましたあの日、私は私の前にいた女子高校生の短いスカートからのびたむちむちした太ももに視線を落としながら、なぜ女子高校生はたくさんいるのに男子高校生はあまり見かけないのだろう、それは私が女子高校生についつい目が行ってしまい彼女らにばかり注意をひかれてしまうせいであって、男子高校生も確かにいるのに私の視線が彼らを素通りし、結果的に彼らは私にとって存在しないと同様のことになっているという理由からだろうかなどとかんがえておりましたところへ、あっけなく電車が人々をなぎ倒さんばかりの勢いでホームへ、いや正確にいえばホームの間に平行に敷かれた二本のレールの上へと進入してきて、停止線を越えてオーバーランすることもなく、ちらと見えた運転士は私と同年輩くらいの中年男性のようであり、たぶんベテラン運転士でありましょう、すでに何千回となく同じ場所同じ時間に同じように電車を停止させてきたことだろう経験に裏打ちされた一見やる気のない沈鬱な表情を私にかいま見せ、そういえば私はいったい何歳なのだろう、あなた、何歳に見えますか、私?
 エアが抜ける音がする。ぷしゅーうううドアが開く。降りる人はあまりいない。ひとり。ふたり。さんにん。そのくらい。木を植えた人は降りたのか? 降りる人を待ちかねたように、ホームにたまっていた人々はにじにじとホームと電車の間の隙間をまたぎ越え、押し合いへし合い、車両に乗りこんでいくのであります。私もスカートからのびたむちむちした太ももを持つ女子高校生のあとにつづいて車両に乗りこんでいったのであります。
 背後からぎゅうぎゅうぎゅうと車両のなかほどへと押しこまれていきながら、私は私の背中を押しているこの感触が男性のものか女性のものか無意識にさぐっていることに気づくが、私の背中の右の肩甲骨の上のほうに強くあたっているひどく角ばったものはほぼまちがいなく背の高い大柄な男性の拳の甲から手首の関節の外側あたりで、それがあまりに硬くてとんがっているものだから私は痛くてしかたがないのを振り返って文句をいうわけにもいかなくてがまんしながら、同時に私の前にいる小柄な女子高校生に自分の身体をあまりに強く押しつけて密着してしまわないように気をつけているのは、あながち私の気の小ささばかりではないであろう社会的に外部強制された内部要因なのだろうけれど、私は気の小さい人間と人からいわれたことはあるだろうかいやないと思うけれど、しかし正直にいえばどちらかというと気の小さい人間ではあろうと自分では思えるその証拠に、人から頼まれごとをしてそれが自分には不向きな仕事であったり気の向かないことであったりしてもきっぱりといやとはいえないところがあって、そのせいであとあと不愉快な思いをしたり、結局頼まれたことが片付かなくて相手にまで不愉快な思いをさせて信頼を失ってしまったりといったことが子どものころからたびたびあったことを思い返せばそのとおりであるということができるし、いまもまさに私の半分ほども体重がないだろう小柄でひ弱そうな女子高校生を相手に狐の前を通り抜けようとしている兎のごとくびくびくしながら必死に足を踏ん張って身体が密着しないようにこらえていると、発車の合図のピロピロと気の抜けた音楽が鳴り終わりぷしゅーうううとドアが閉まりがたんういぃぃぃんと車体と駆動モーターの音を立てて電車が動きはじめ、密着しあった人々は慣性と加速度の物理法則にしたがっていっせいに進行方向とは逆方向に向かって身体を押し寄せられ、どこかで悲鳴があがるのが聞こえた。
 加速度のおかげで、私の身体は女子高校生の身体からやや離れる。が、ほっとしたのは一瞬にすぎない。加速度で電車の後ろ方向に押しつけられた人々の圧力が、その反動で前方向にすみやかにもどってくる。そして前よりも強く私の身体は女子高校生の身体に押しつけられてしまう。私は左の手に鞄をさげている。鞄は密着した人の身体にはさまれて、しっかり握っていなければどこかに持っていかれそうだ。私は鞄を左の手でしっかりと握っている。右手のことを忘れていた。私は自分に右手があるということを忘れていた。そうなのだ、私は時々、自分に右手があることを忘れてしまうことがある。私に忘れられた右手は存在しないのとおなじだ。切断された私の右手。人は二度死ぬといったのはだれだったか。最初の死は肉体の死。二度目の死は人々から忘れられたとき。これをいったのはだれだっけ。アボリジニの言葉だったか、あるいは仏教の言葉か。それにならえば、私の右手はしゅっちゅう死んだり生き返ったりしているわけだ。ははははは。
 そんなこというなら、最近かけはじめた老眼鏡だってしょっちゅう死んだり生き返ったりしているぞ。ははは、ははは。おっと、右手だ。私の右手。存在を忘れていた私の右手を生き返らせねばならない。私の右手。いったいどこにあるのか。まさか家に置き忘れてきたわけではないだろうな。
 もちろんそんなはずはなく、私の右手は私の右の鎖骨と肩甲骨の延長線上にある上腕骨の関節の部分で靭帯やら筋肉やらら血管やらららリンパ節やららららら神経やららららららによって接続され右肩にぶらさげられているわけで、なにも持っていない右手は下向きになった腕の先に電車の床に向かってくっついているはずなのを私は知覚することによって生き返らせようとするとき、なにかがその知覚の働きをさえぎろうとしているのを感じそれはなにかと思えば大脳皮質のもっとも奥まった部分にしまいこまれてたったいままで一度も意識の表面に浮上することのなかったひとつの記憶であり、それはまるでマルセル・プルーストが紅茶に浸して柔らかくなったプチット・マドレーヌ、プチット、プチット、プチット・マドレーヌ、プチット、プチット、プチット、プチット・マドレーヌ、プチット             マドレーヌの一切れを口に含んだ瞬間に遠い過去の失われた時をよみがえらせたかのような異常な作用が私の前腕部にも起きたかのようで、そのとき私はひとりのタイムトラベラーとして一匹の犬を抱いていた。

2010年12月16日木曜日

特殊相対性の女(3)

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----- 役者と朗読者のためのシナリオ -----

〔ト書き〕
 役者、ステージに戻ってくる。

「彼はけっして眠らない。
 彼はけっして眠らない」

〔ト書き〕
 長めのピアノ演奏。

 彼女はようやく、階段をのぼりきって、灯台のてっぺんの部屋にたどりつく。

「これが私の部屋。私の居場所」

 粗末な椅子とテーブルと、何年も火をいれていない暖炉と、横になるとギシギシいう木のベッドがある。
 ベッドの上にはランプがさがっている。
 彼女は自分がどこにいるのか知らない。彼女は自分が島の岬の突端の灯台のてっぺんに住んでいると思っている。

「私は今夜も窓辺に出て、あの人のために明かりを灯す」

〔ト書き〕
 朗読者、立ち上がり、ステージ上手に立つ。役者はそれと対極のステージ下手に立つ。お互いに遠く見合う形。
 以下、おなじテキストをふたりで読む。

 私はこの島の最後の灯台守で、あの人の船はこの明かりをめざしてやってくる。こんなちっぽけな蝋燭の明かりでも、あの人はきっと見つけてくれるはず。クリスマスまでには必ずここに来ると約束してくれたんだもの。
 長年、孤独な島の生活を続けているせいで、私の身体はすっかり弱ってしまった。以前は島のまわりを駆けたり、散歩したり、食料品や薪を集めることもできたのに、いまは自分の脚で立つこともできない。筋肉が萎縮する病気――なんていったっけ――それに違いないといったのに、だれも信じてくれなかった。ただ年寄りになっただけだといわれた。ひどい人は鏡をみてごらん、自分がいかに年をとったかよくわかるはずだよ、その醜く皺が寄り集まった顔を自分の目でよく確かめてごらん、なんてことをいう。そもそもおまえは灯台守なんかじゃない。ここは島なんかじゃなく、都会のまんなかの高層マンションの一室だろう……
 私をこまらせるためにそんなでたらめをいう。人はどうしてだれかにそれほどつらくあたることができるんだろう。
 私が灯した蝋燭は、いかにもたよりなげにゆらめく。蝋燭の向こうには、窓をとおして果てしない世界が広がっている。私には見えないけれど、意味もなく増えた大勢の人々が、意味もなく暮らし、あくせく働き、喜びあい、いがみあい、ののしりあい、抱き合い、そして生まれては死んでいく。私もそのひとりには違いなくて、そんななかにたったひとりで灯台を守っている私の姿は、まるでいまここに灯されたたよりない蝋燭の明かりそっくりだ。
 でも、世界がいかに大きくて激しくてつらくても、私には自由がある。
 島から、いや、ともするとこの灯台から一歩も出ることのできない人間に自由なんてあるのかって? 旅することも、ディナーに行くことも、メリーゴーラウンドに乗ることも、若返ることも走ることも歌うこともできないこの私に、自由があるのかって?
 でもだれも知らない。私が毎夜、こうやって蝋燭に火を灯して灯台を守りながら自由に旅していることを。本当に足を痛めて旅に出かけることも、想像だけを見知らぬ土地にめぐらすことも、私にとってはもはやおなじことだ。私は毎夜、だれも行ったことのない場所に行き、だれも見たことのない光景を見、言葉も通じない人々と語りあっては笑い、食べたこともないおいしい料理をふるまわれ、そして聞いたこともないメロディを歌っている。そのことはだれも知らない。
 いや、あの人だけは知っているはず。クリスマスまでには必ずここに私を迎えに来てくれると約束してくれたあの人。あの人が来たら、私のすべてを聞いてもらいたい。だれも信じてくれなかった、だれも聞こうとしてくれなかった私の話。
 彼が来て、私の話を聞いてくれたとき、そうして初めて私の自由は完全なものになる。
 私は彼といっしょにここから飛びたつだろう。鳥になって彼とともに大空へと飛んでいくだろう。
 私は灯台守。この島の、最後の灯台守。
 今夜も窓辺に出て、あの人のために明かりを灯す。

〔ト書き〕
 以下、朗読。
 役者はその場を離れ、ふたたび客席をぐるりとまわってくる。その間にキッチンのほうで生卵をひとつ受け取ってくる。

 彼女は物音で目がさめる。最初はなんの音なのかわからなかった。ラジオのダイアルが合わないときのようなザアッというノイズのような音。
 ベッドのなかで目をあけ、音の正体をたしかめようとする。右側の壁が四角くぼんやりと白くなっている。四角いのは窓枠で、夜明けが近くて窓の外が白んでいるのだとわかる。そして音は雨の音なのだった。あまり長く降っていなかったので、雨がどんな音を立てるのか忘れてしまうところだった。
 もう九月だというのに、からっからに干上がったフライパンの上みたいな、流しこんだ油すら焼きあがってしまったような猛暑がつづいてた。ときどき雲が集まってきて、空が暗くなり、そして真っ黒になり、手をのばせば届きそうなほどの低いところまで雲のかたまりが降りてきても、はぐらかすみたいに雨は降ってこなくて、砂漠に放り出された裸足の女のように手をむなしく差しのばしたりしてみる日々がつづいてた。それなのに、いま、こうやってあっけなくザアッとやってきた。
 風雨にあおられたカーテンがバサバサと揺れた。いけない、雨が吹きこんでる。
 彼女はいそいでベッドから降りると、裸足のまま窓際に駆け寄る。吹きこんだ雨で窓枠と床がびしょ濡れになっていた。それでも彼女はひさしぶりの雨に喜びを感じた。
 海はまだ薄暗いのと雨のせいで見えない。昨夜もあの人は来なかったけれど、彼女は信じている。クリスマスまでにはきっと帰ってきてくれるはず。
 この雨も彼の頭上に降り、海や乾いた大地をおおい、世界を包みこんで降っている。
 そうだ、と彼女は思いだす。鶏小屋に行って、玉子を取ってこなければ。
 彼女は衣服を着替え、白いスニーカーをはいて部屋を出る。

〔ト書き〕
 役者が戻ってきて、ステージ中央に立つ。
 生卵を捧げ持って客席に見せたあと、ゆっくりと落とす。

(おわり)

2010年12月15日水曜日

特殊相対性の女(2)

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----- 役者と朗読者のためのシナリオ -----

「どうして彼はわたしを選んだのだろう、とよく考える。あるいは、どうしてわたしは彼に選ばれたのだろう、と。
 わたしは、ドジでわがままな女だ。とりたてて美人でもなければ、スタイルもよくない。背も高くないし、顔はソバカスだらけだ。
 わたしの毎日は、失敗の連続だ。
 ヤカンを火にかけていたことを忘れて、黒コゲにしてしまう。ホットケーキを引っくりかえそうとして、床に落としてしまう。
 トーストはかならず、バターのついたほうを下にして落としてしまう。洗い物ではかならず、コップを割ってしまう。ご飯は、硬すぎるか、柔らかすぎるようにしか炊けない。掃除機を振りまわしては、花瓶を割ってしまう。読んでいる本にはソースをこぼし、新聞にはコーヒーをぶちまけてしまう。買ってきた卵はかならず割ってしまうし、豆腐はきっとくずしてしまう。階段ではつまずく。キーをつけたまま、車のドアをロックしてしまう。キャッシュカードはどこかに置き忘れる。財布は電話ボックスに忘れてきてしまう。セーターを洗えば、ツーサイズも縮めてしまう。こんなわたしを、どうして彼は選んでくれたのだろう」

 畑から林のなかを抜けて岬の突端の灯台へとつづくぬかるんだ道を彼女はとぼとぼと歩いてもどりながら彼のことをかんがえ、そして両手で抱えている玉子を入れたカゴに目を落とす。
 ふと、立ちどまる。
 玉子をひとつ取ってみる。白くて、まだあたたかい。殻も柔らかくて、いまにも割れてしまいそうだ。
 そっと頬にあててみる。
 自分もこの玉子みたいに生まれたてだったらいいのに、と思う。しかし彼女は、自分がその玉子にそっくりで、うりふたつで、まだ生まれたてといっていいほどであることには、気づいていない。

「彼はいう。そんなことを気にすることはないよ。そんなつまらないことを。きみにはもっと大切な、すばらしいことがあるんだから、と。
 そんなことって本当だろうか。
 うたがうわたしの顔を、彼はじっと見つめているばかりだ」

〔ト書き〕
 次の朗読テキストと役者セリフは、同時に読む。からまったり、交互に会話するように読んだり。二回、くりかえす。一回めは役者は上手側で、二回めは下手側で。

 ぬかるんだ道を灯台へと戻っていきながら、彼女は時空を超える。季節は春から夏の盛りをすぎ、秋へとすぎていく。秋はさらに死の冬へと向かっていく。道のぬかるみは量子の不確定性を増加させ、時間の進行エントロピーを増大させる。
 歩きながら急に彼女は身体の衰えをおぼえる。若いころはあれほど張りのあった筋肉が、いまはしわだらけの皮膚におおわれ垂れている。水たまりを避けるために歩幅を多く取ろうとして、しかし水たまりにスニーカーを突っこんでしまう。自分の足が思ったより遠くに届いていなかった。白いスニーカーはさらに泥水で茶色く汚れる。この汚れはもうどうやったって落とすことはできない。泣きたいのを通りこして、笑いだしたくなる。

「彼に会っていなかったら、わたしはどうなっていただろうか、とよく考える。わたしのような女をつかまえていてくれる人は、彼のほかにいただろうか。
 幼いころからわたしは、まぬけな女だった。おまけに神経質で、すぐに興奮する。
 せっかく旅行に連れていってもらっても、つまらなそうにだまりこくっているかと思えば、急におうちに帰りたいとぐずりだす。話しかけられても返事はしないし、近所の人にも挨拶はできない。毎日のようにいじめられて帰ってくるし、そのくせ熱があってもかくして学校に行こうとする。好き嫌いははげしいし、気にいらない服は絶対に着ようとしない。宿題は忘れる。せっかくおみやげに人形をもらっても、気にいらなければ押入の奥に隠してしまう。彼に会っていなかったら、わたしはどうなっていたのだろう。わたしが日々しでかすことの後始末を、彼はきちんとやっていってくれる。彼がいなければ、わたしはいったいどうしていいのかわからない」

〔ト書き〕
 役者、客席にはいっていく。

 ぬかるんだ道を、彼女は八十歳を超えてようやく抜けだすことができた。

「わたしが眠りにつくとき、彼が眠っているのを、わたしは見たことがない」

 灯台の、なかに入る木の扉は、とても重くて、湿っている。

「わたしが眠りにつくとき、彼はいつも目をさましている」

 緑青が浮いている真鍮の取手をガチャリと押しさげ、扉を手前に引く。

「わたしが目をさますとき、彼はもう目をさましている。わたしが目をさましたとき、彼が眠っているのを、わたしは見たことがない」

 灯台のなかは薄暗く、光の施設のくせに光を拒絶しているようにすら見える。

「わたしがふと夜中に目をさましたとき、彼はきっと起きている。わたしが夜中に目をさましたとき、彼が眠っているのを、わたしは見たことがない」

 薄暗い灯台のなかに足を踏みいれると、最初に見えるのは壁にそって上へと伸びている螺旋状の階段だ。

「そんなとき、わたしは彼にたずねる。あなたは眠らないの? と」

 階段の奥にはキッチンや食料倉庫があり、彼女はそこに取ってきたばかりの玉子を置きに行く。

「彼はこたえる。ああ、ぼくは眠らないのだ、と」

 玉子を置いた彼女は、階段のところに戻り、それを一歩一歩のぼり始める。

「わたしは彼にたずねる。あなたはどうして眠らないの? と」

 筋肉が衰えた私は、階段の一歩をのぼるにもとても時間がかかる。右足の膝をゆっくりとあげ、つま先を階段の上に乗せる。

「すると彼はこたえる。きみを見ているのだ、と。きみを見ていなければならないから、ぼくは眠らないのだ。ぼくはきみを見ていなければならないから、けっして眠らないのだ」

 つま先が段に乗ったら、右足に体重を乗せて力をこめる。膝の痛みをこらえながら、ゆっくりと身体を上に引きあげる。

「きみはなにも心配することはない。なにも気にしなくてもいいんだ」

 どうしてこんなに筋肉が衰えてしまったんだろう、と彼女はかんがえる。ついさっきまで彼女は14歳で、学校でいじめられることを気にしながら、鶏の世話をしていたというのに。でも、だれだって歳は取るし、運が悪ければ病気になる。いや、病気になるのは運とは関係がないことかもしれない。

「ぼくはけっして眠らずに、ここにこうやっているから。わたしは彼のその言葉を信じることができる」

 彼女は一歩一歩、息をあえがせながら、階段をのぼっていく。
 いつの間にか夜が近づいている。
 でも、彼は眠らない人なのだ。

2010年12月14日火曜日

特殊相対性の女(1)

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----- 役者と朗読者のためのシナリオ -----

〔ト書き/ここは読まない〕
 舞台上の装置は、下手側に置かれたグランドピアノと、中央前方に置かれた椅子のみ。
 後方の壁は映像投影用の壁面を兼ねる。そこへプロジェクターでスティル映像が投影される。朗読者と役者は投影光とときに重なることがあるが、かまわない。
 映像は客入れのときから投影されているが、舞台と客席の明かりであまり目立たない。

〔ト書き〕
 朗読とピアノ、板付き。
 客電、落とす。
 舞台照明、落とす。映像が壁面に浮び上がる。その前に朗読が座っている。
 役者、上手より舞台へ。
 ピアノ演奏。
 ピアノが終わったら、役者、上手側で。

「もう九月だというのに、からっからに干上がったフライパンの上みたいな、流しこんだ油すら焼きあがってしまったような猛暑がつづいてた。ときどき雲が集まってきて、空が暗くなり、そして真っ黒になり、手をのばせば届きそうなほどの低いところまで雲のかたまりが降りてきても、はぐらかすみたいに雨は降ってこなくて、砂漠に放り出された裸足の女のように手をむなしく差しのばしたりしてみる日々がつづいてた。それなのに、今朝。そう、今朝。まだ日も出ない時間。あっけなくザアッとやってきて、開けっ放しの窓際がびしょぬれになってしまった。でもうれしくて、朝の鶏の餌やりに出たとき、買ってもらったばかりの真っ白なスニーカーを泥のあぜ道でよごしてしまった。
 この汚れはどうやったってもう取れないって知ってる。
 泣きたい気分」

〔ト書き〕
 役者、下手側へ。
 役者がひとりで女を演じ、朗読がト書きの部分を読む。舞台上には役者と朗読とピアニストがいるけれど、朗読はあたかも舞台の外側にいるみたいにテキストを読む。

「歯をくいしばる。治療をほったらかしにしてある奥歯が痛む。母にもらった歯の治療代は、全部たこ焼きを買うのに使ってしまった。自分が食べて、それからクラスメートにもふるまった。その日一日、いじめられずにすんだ。
「風邪じゃないんだから。虫歯は自然に治ったりはしないんだからね、絶対に」
 母がいう。そのとおりだろう。でも、知ったことじゃない。まだ十四でしかない彼女には、手のつけようがなくなった虫歯を抱えている自分の姿なんて、想像もつかない。
 知るもんか」

 灯台が立っている岩場に打ちあたる波しぶきは、短かった夏のきらめきをすでに失い、これからすばやくやってくる冬の陰をもうちらつかせはじめている。のぞきこめば、海中の岩場は深く切れこんで、暗く冷たい世界への魅惑をたたえている。彼女がいつからそこに住んでいるのかは知らない。今朝も彼女はいつものように灯台の頑丈な木戸を押しあけ、外に出てくると、木戸が風でバタンと閉じてしまわないように片手で押さえてゆっくりと閉めながら、もう一方の手で帽子を押さえる。木戸を閉めると、その手でスカートの裾を押さえる。岩場の上に立っている灯台からは頼りない小道が灌木の林のなかへとつづいている。明け方前にやってきた激しい通り雨で、小道はぬかるんでいる。彼女は水たまりを避けながら道を急ぎ、灌木の林を抜けて畑へと出る。
 いまは日はのぼっているが、海面をおおったもやをすかしてぼんやりと直視できるほどの明るさしかない。

「意地になって歯を食いしばりながら、制服のスカートをめくりあげる。そうしなければ、鶏たちにスカートを汚される。鶏の世話を終えてから制服に着がえればいいのはわかっている。でも、そうすると学校に遅刻する。遅刻常習者のリストにあげられている彼女は、もうこれ以上遅刻するわけにはいかない。それならば早起きすればいいのに。どうしても早起きできない。いつもギリギリまで布団にしがみついている。今日もそうだ。明け方見た、彼の夢のせいだ。夢のなかであこがれの彼は、今日もまたあのいじめっ子の女と手をつないで歩いていた。
 彼の手。
 死ね、女」

 畑は灌木の林と、赤松林とに囲まれたちっぽけな空き地にある。松林は大昔に植えられたもので、彼女がここにやってきたときにはすでに荒れ放題だった。畑も手がつけられないほど荒れていたが、それでも一本、二本と畝を作り、作物を植え、草を刈るうちに、いまでは少しは畑らしくなっていた。畝はいま、五本ならんでいて、あと二、三本も収穫すれば終わりになるとうもろこしと、収穫が終わったゴーヤの蔓の固まりが、縮れ毛の女の雨上がりの長い髪のようになってわだかまっている。モロッコ豆の蔓もはびこっているが、これはまだまだ収穫できる。
 畝の端には金網で覆われた鶏小屋がある。彼女が近づいていくと、餌の予感に鶏たちがものすごく興奮して鳴き声をあげる。粗末な扉をぎしぎしあけて小屋にくぐり入ると、鶏たちはところかまわず羽ばたきしながら走りまわる。

「死ね、女」

 餌箱の近くにいた一匹をけとばしてから、彼女は飼料の袋の中身をさかさまにぶちまけた。粉が舞いあがって、制服の上着を白くよごす。
 いそいでかかえてきたカゴに今朝の玉子を拾いあつめていく。
 いくつか玉子を集めた彼女は、鶏小屋を出てようやく一息つく。
 木立の上に輪郭のぼやけた太陽が見える。その前をウミネコがせわしなく羽ばたきながら横切っていく。

「手にまだ粉がついていた。余計に上着が白くよごれてしまった。なにかをしくじって、その失敗を取りかえそうとして余計に傷口を広げてしまう。私の人生はその連続だ。いままでもそうだったし、これからもきっとそうなんだろう」

 季節はすでに秋に差しかかっているが、長くつづいた強い日射しのせいで、盛りをすぎた畑の作物も、畝にそって伸び放題になっている雑草も、葉をカサカサと枯れさせてうなだれている。やがて作物も雑草も茶色く枯れはてていく。だから雑草がはびこってももう抜く気はない。夏前はあれほど抜いても抜いても生えてくる雑草に手を焼いていたというのに。
 彼女は畝のあいだを通って灯台のほうへと戻っていく。そしてふと、彼のことをかんがえる。クリスマスまでには必ず戻ってくると約束して去っていった彼。
 彼が去っていった方角を、彼女はながめて目をほそめる。ウミネコはもう見えなかった。そのかわり、はるかかなたを漁船が一隻、ぽつんと孤独に横切っていくのが見える。それがどんな船であろうと、ちっぽけな漁船であろうと貨物船であろうと、巨大なタンカーであろうと、いつも彼のことを思いだしてしまう。あの漁船はどこへ行くのだろうか。これから漁に出るのだろうか。それとも漁からもどってきたところなのだろうか。何人乗っているのだろうか。船員は若いのだろうか、あるいは歳を取っているのだろうか。
 彼が去ってから何年も、何十年もたったような気がする。クリスマスまでには必ず戻るといって、自分の船に乗り、南の水平線のかなたへと消えていった彼。いまごろどこでどうしているだろうか。