2010年1月28日木曜日

群読シナリオ「前略・な・だ・早々」(1)

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----- 群読のためのシナリオ -----

  群読シナリオ「前略・な・だ・早々」(1)

   原作:夏目漱石・太宰治/構成:水城雄


  照明、落とし。最小限まで。
  演奏陣二人、板付き。音楽、先行。
  照明、第一段階にアップ。
  控えから五人が出てくる。全員喪服。ただし髪は「喪」とは不釣り合いに鮮や
  かに飾っている。
  先頭、A。ロープで胸の上を縛られた四人(BCDE)を連れて出てくる。
  全員、所定の位置へ。
  音楽、変化。

  照明、第二段階にアップ。
  以下、まるでひとつの小説のように調子を合わせて。

B「吾輩は猫である」
C「恥の多い生涯を送って来ました」
B「名前はまだ無い」
C「自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」
D「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく
 に人の世は住みにくい」

  以下、たたみかけるように。

E「敬太郎はそれほど験の見えないこの間からの運動と奔走に少し厭気が注して
 来た」
D「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りに
 ちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、
 越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世
 よりもなお住みにくかろう」

  音楽、変化。
  以下、E、怒り表現にて。

E「彼は今日まで、俗にいう下町生活に昵懇《なじみ》も趣味も有《も》ち得な
 い男であった。時たま日本橋の裏通りなどを通って、身を横にしなければ潜《く
 ぐ》れない格子戸だの、三和土の上から訳もなくぶら下がっている鉄灯籠だの、
 上り框の下を張り詰めた綺麗に光る竹だの、杉だか何だか日光が透って赤く見え
 るほど薄っぺらな障子の腰だのを眼にするたびに、いかにもせせこましそうな心
 持になる。こう万事がきちりと小さく整のってかつ光っていられては窮屈でたま
 らないと思う。これほど小ぢんまりと几帳面に暮らして行く彼らは、おそらく食
 後に使う楊枝の削り方まで気にかけているのではなかろうかと考える。そうして
 それがことごとく伝説的の法則に支配されて、ちょうど彼らの用いる煙草盆のよ
 うに、先祖代々順々に拭き込まれた習慣を笠に、恐るべく光っているのだろうと
 推察する。須永の家へ行って、用もない松へ大事そうな雪除をした所や、狭い庭
 を馬鹿丁寧に枯松葉で敷きつめた景色などを見る時ですら、彼は繊細な江戸式の
 開花の懐に、ぽうと育った若旦那を聯想しない訳に行かなかった。第一須永が角
 帯をきゅうと締めてきちりと坐る事からが彼には変であった」

  まるでビデオのリプレイのように。

B「吾輩は猫である」
C「恥の多い生涯を送って来ました」
B「名前はまだ無い」
C「自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」
D「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく
 に人の世は住みにくい」

  以下、E、悲しみ表現にて。

E「そこへ長唄の好きだとかいう御母さんが時々出て来て、滑っこい癖にアクセ
 ントの強い言葉で、舌触の好い愛嬌を振りかけてくれる折などは、昔から重詰に
 して蔵の二階へしまっておいたものを、今取り出して来たという風に、出来合以
 上の旨さがあるので、紋切形とは無論思わないけれども、幾代もかかって辞令の
 練習を積んだ巧みが、その底に潜んでいるとしか受取れなかった」

野々宮「「姉さんもう少しだから我慢なさい。今に女中が灯を持って来るでしょう
 から」自分はこう云って、例の見当から嫂の声が自分の鼓膜に響いてくるのを暗
 に予期していた。すると彼女は何事をも答えなかった。それが漆に似た暗闇の威
 力で、細い女の声さえ通らないように思われるのが、自分には多少無気味であっ
 た。しまいに自分の傍にたしかに坐っているべきはずの嫂の存在が気にかかり出
 した。
B「吾輩は御馳走も食わないから別段肥りもしないが、まずまず健康で跛にもな
 らずにその日その日を暮している。鼠は決して取らない。おさんは未(いま)だ
 に嫌いである。名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから生涯
 この教師の家で無名の猫で終るつもりだ。
野々宮「「姉さん」
 嫂はまだ黙っていた。自分は電気灯の消えない前、自分の向うに坐っていた嫂の
 姿を、想像で適当の距離に描き出した。そうしてそれを便りにまた「姉さん」と
 呼んだ。
「何よ」
 彼女の答は何だか蒼蠅そうであった。
「いるんですか」
「いるわあなた。人間ですもの。嘘だと思うならここへ来て手で障って御覧なさい」
 自分は手捜りに捜り寄って見たい気がした。けれどもそれほどの度胸がなかった。
B「吾輩は険呑になったから少し傍を離れる。「その朗読会さ。せんだってトチ
 メンボーを御馳走した時にね。その話しが出たよ。何でも第二回は知名の文士を
 招待して大会をやるつもりだから、先生にも是非御臨席を願いたいって。それか
 ら僕が今度も近松の世話物をやるつもりかいと聞くと、いえこの次はずっと新し
 い者を撰んで金色夜叉にしましたと云うから、君にゃ何の役が当ってるかと聞い
 たら私は御宮ですといったのさ」
野々宮「そのうち彼女の坐っている見当で女帯の擦れる音がした。
「姉さん何かしているんですか」と聞いた。
「ええ」
「何をしているんですか」と再び聞いた。
「先刻(さっき)下女が浴衣を持って来たから、着換えようと思って、今帯を解い
 ているところです」と嫂が答えた。
 自分が暗闇で帯の音を聞いているうちに、下女は古風な蝋燭を点けて縁側伝いに
 持って来た。そうしてそれを座敷の床の横にある机の上に立てた。蝋燭の焔がち
 らちら右左へ揺れるので、黒い柱や煤けた天井はもちろん、灯の勢の及ぶ限りは、
 穏かならぬ薄暗い光にどよめいて、自分の心を淋しく焦立たせた。ことさら床に
 掛けた軸と、その前に活けてある花とが、気味の悪いほど目立って蝋燭の灯の影
 響を受けた」

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