2010年1月12日火曜日

It Could Happen to You

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----- Jazz Story #1 -----

  「It Could Happen to You」 水城雄


 ランチタイムのラストオーダーぎりぎりにやってきたのは、矢島のおじさんだった。
 おじさん――つまりママの弟。
「よう、なつき。がんばってるな。似合ってるよ、そのエプロン」
「ご注文は?」
 ウォーターグラスを置いて、わざと冷たく聞いた。
 平日の午後二時、こじんまりした店にはもうあと一組――ふたりのお客しか残っていない。その客もランチコースの最後のコーヒーを残すばかりだ。
 もうすぐ終わり。店にはいる前にケータイに届いたメールの返事を、なつきは早く書きたかった。
 春休みを利用してこのレストランでバイトしているのだ。バイトを紹介してくれたのはおじさん。オーナーと矢島のおじさんは、幼なじみらしい。
「ほかの客にもそんなに愛想悪いのかい? それじゃウェイトレス失格だな。
従業員の接客態度はその店の味の一部なんだぜ。そんな態度だと、きみをここに紹介したおれの立場がなくなるじゃないか」
「ほかのお客さんにはちゃんとしてるわよ」
「そうか。ならいい。おれはこの店が気にいってるんでね。まだつぶれてほしくないんだよ。せめてきみがアルバイトしているあいだくらいはね。お、キース・ジャレット・トリオだな。"It Could Happen To You"。いい曲だ。トーキョーでのライブのやつかな」
「おじさん、注文はなに?」
「めしはいいんだ。コーヒーだけでいい」
 なつきはうなずき、厨房のほうへ行くと、注文と、矢島のおじさんが来たことをオーナーシェフの中山に知らせた。

 メールは幹雄からだった。
 バイトはどうかということと、次の日曜日はあいているかということ。
 もちろん日曜日はあいている。でも、なんて返事しようか。
 なつきがアルバイトを始めたのは、夏休みに計画しているドイツ旅行のためだった。子どものころからミヒャエル・エンデの小説が好きだったおかげで、ドイツそのものに強いあこがれを持っている。大学でもドイツ語学科を選んだ。
今年こそドイツに行ってみたいと思っていた。
 でも、学費で面倒をかけてしまった親に、これ以上の負担を頼めない。だから、少しでも自分でかせぎたかったのだ。
 コーヒーをいれおえたオーナーの中山が、奥から出てきて、矢島のおじさんのテーブルに向かい合って座った。
 ふたりでなにやら親しげに話している。
 あたしの働きぶりについて話しているのかもしれない、となつきは思い、緊張した。
 コーヒーを持っておじさんのテーブルに近づいた。
「あ、なつきちゃん、もうあがっていいよ」
 中山がいった。なつきはほっとした。
「待て。なつきに用があるんだ。だからわざわざ来たんだよ」
 なに、となつきは思った。
「きみにプレゼントがある」
 プレゼントってなに?
「これ。受け取れよ」
 なにか封筒のようなものを渡された。
 あけてみると、紙切れが一枚、入っていた。航空券のようだった。
「ルフトハンザ。フランクフルト行きだ。帰りのチケットは自分で買いな」
「これをあたしに?」
「進学祝いだ。この店もよく勤めてるそうだし、ごほうびだ。たまにはいいだろ、こういうのも?」
 そういって、矢島は照れくさそうに笑った。
 キース・ジャレットがうなり声をあげながらスイングしている。

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