2010年1月30日土曜日

群読シナリオ「前略・な・だ・早々」(3)

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----- 群読のためのシナリオ -----

  群読シナリオ「前略・な・だ・早々」(3)

   原作:夏目漱石・太宰治/構成:水城雄


  B、集団から抜け出る。

B「こんな夢を見た。腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が、静かな
 声でもう死にますと云う」
E「女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている」
B「真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色は無論赤い。とうて
 い死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然云った。
 自分も確にこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上か
 ら覗き込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちり
 と眼を開けた」
E「大きな潤のある眼で、長い睫に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。そ
 の真黒な眸の奥に、自分の姿が鮮に浮かんでいる」
B「自分は透き徹るほど深く見えるこの黒眼の色沢を眺めて、これでも死ぬのか
 と思った。それで、ねんごろに枕の傍へ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大
 丈夫だろうね、とまた聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうにたまま、やっぱ
 り静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと云った」
D「じゃ、私の顔が見えるかい」
B「と一心に聞くと」
C・野々宮「見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんか」
B「と、にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組をしな
 がら、どうしても死ぬのかなと思った。しばらくして、女がまたこう云った」
E「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ち
 て来る星の破片(かけ)を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下
 さい。また逢いに来ますから」
B「自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた」

  C、出る。

C「日が出るでしょう」

  D、出る。

C・D「それから日が沈むでしょう」
C・D・E「それからまた出るでしょう」
C・D・E・野々宮「そうしてまた沈むでしょう」
B「赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、あなた、待っていら
 れますか。自分は黙って首肯いた。女は静かな調子を一段張り上げて、「百年待
 っていて下さい」と思い切った声で云った。「百年、私の墓の傍(そば)に坐っ
 て待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」自分はただ待っていると答えた。
 すると、黒い眸のなかに鮮に見えた自分の姿が、ぼうっと崩れて来た。静かな水
 が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じ
 た。長い睫の間から涙が頬へ垂れた」
全員「もう死んでいた」

  全員(野々宮も)、その場にうずくまる。
  D、立ちあがる。

D「結局、僕の死は、自然死です。人は、思想だけでは、死ねるものでは無いん
 ですから」

  野々宮、立ちあがる。

野々宮「百年はもう来ていたんだなとこの時始めて気がついた」
D「それから、一つ、とてもてれくさいお願いがあります。ママのかたみの麻の
 着物。あれを姉さんが、直治が来年の夏に着るようにと縫い直して下さったでし
 ょう。あの着物を、僕の棺にいれて下さい。僕、着たかったんです。夜が明けて
 来ました。永いこと苦労をおかけしました。さようなら。ゆうべのお酒の酔いは、
 すっかり醒めています。僕は、素面で死ぬんです。もういちど、さようなら。姉
 さん。僕は、貴族です」

  D、うずくまる。

野々宮「はっと思った。右の手をすぐ短刀にかけた。時計が二つ目をチーンと打っ
 た」

  E、立ちあがる。

E「彼は千代子という女性の口を通して幼児の死を聞いた」
野々宮「おれは人殺であったんだなと始めて気がついた途端に、背中の子が急に石
 地蔵のように重くなった」
E「千代子によって叙せられた「死」は、彼が世間並に想像したものと違って、
 美くしい画を見るようなところに、彼の快感を惹いた。けれどもその快感のうち
 には涙が交っていた。苦痛を逃れるために已を得ず流れるよりも、悲哀をできる
 だけ長く抱いていたい意味から出る涙が交っていた。彼は独身ものであった。小
 児に対する同情は極めて乏しかった。それでも美くしいものが美くしく死んで美
 くしく葬られるのは憐れであった。彼は雛祭の宵に生れた女の子の運命を、あた
 かも御雛様のそれのごとく可憐に聞いた」

  E、うずくまる。

野々宮「こんな悲い話を、夢の中で母から聞いた」

  B、立ちあがる。

B「しかし私は今その要求を果たしました。もう何にもする事はありません。こ
 の手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とく
 に死んでいるでしょう。私は私の過去を善悪ともに他の参考に供するつもりです。
 しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせ
 たくないのです。妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存して
 おいてやりたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生き
 ている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中に
 しまっておいて下さい」

  B、うずくまる。
  C、立ちあがる。

C「「泣きましたか?」「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああ
 なっては、もう駄目ね」「それから十年、とすると、もう亡くなっているかも知
 れないね。これは、あなたへのお礼のつもりで送ってよこしたのでしょう。多少、
 誇張して書いているようなところもあるけど、しかし、あなたも、相当ひどい被
 害をこうむったようですね。もし、これが全部事実だったら、そうして僕がこの
 ひとの友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかも知れない」
「あのひとのお父さんが悪いのですよ」何気なさそうに、そう言った。「私たちの
 知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まな
 ければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
野々宮「けれども爺さんは、とうとう上がって来なかった。庄太郎は助かるまい。
 パナマは健さんのものだろう」

  Cも野々宮もうずくまる。
  全員、ゆっくり立ちあがり、客席に向かって一列にならぶ。

B「吾輩は猫である」
C「恥の多い生涯を送って来ました」
B「名前はまだ無い」
C「自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」
D「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく
 に人の世は住みにくい」

  礼。
  音楽、終わり。

  終わり。

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