2009年10月20日火曜日

リサ

----- Jazz Story #19 -----

  「リサ」 水城雄


 直線に出て見通しがよくなったのを見計らって、リサはギアをひとつシフトダウンした。
 踏みこむと、アクセルは軽く吹きあがっていく。
 ハンドルを切り、のろのろ走りのピックアップトラックを右にかわしながら、さらにアクセルを踏みこむ。
 シートに背中が食いこむ加速感が、心地いい。
 トラックの荷台には魚網が山のように積んであった。さっきからそのにおいにちょっとへきえきしていたのだ。
 追い抜くとき、運転席を見ると、40がらみの浅黒く日に焼けた男がこちらに視線を向けた。怒ったように唇をへの字に結んでいる。いかにも漁師らしくがっちりしている。
 これから仕事だろうか。
 リサは一瞬、ケビンのことを思い出した。いまごろ、あたしを探しているだろうか。化粧台にリップで書きつけた伝言は、読んだだろうか。
 トラックを追いこすと、風が気持ちよくなった。
 ギアをトップに入れなおす。コトリとギアが気持ちよくおさまった。車の調子がいい証拠だ。
 70年代製のこのオープンカーは、色が気に入って買ったのに、機嫌を取るのが難しくて、ときどきリサの手には負えなくなるのが困りものだ。
 しかし、今日は違う。
 右手には海。左手も海。前はキーウェスト。
 そして、上は空。貿易風に乗った真っ白なコットンクラウズが、ぽんぽんと横切っていく。
 いい気持ち。あごをあげ、髪をなびかせてそう思ったとき、ボン!
 不快な音が車の後ろから聞こえて、ハンドルが取られた。
 パンクだ。
 点検したばかりなのに、なんてことだろう。

 追いこしたばかりのピックアップトラックは、無表情な顔つきのまま、通りすぎてしまった。
 リサはため息をつきながら車を降り、パンクしたタイヤを点検してみた。
 右の後輪。前輪でなくてよかった。
 ともかく、事故にはならずにすんだ。そしてスペアタイヤはトランクルームに入っている。
 しかし、問題がひとつ。リサはタイヤ交換が自分でできないのだ。何度かやってみようとしたことはある。しかし、8角形の内角の和を求められないのと同様、彼女の手には負えない問題なのだ。
 彼女は車の横に立ち、手をあげた。
 通っている車の数はそう多くない。多くないが、まったくないわけではない。
 手をあげている彼女を、ことごとく無視して、車はすべて通りすぎていった。
 リサは足を組みかえ、腰をすこしひねって立ってみた。
 胸をそらして、あごをあげてみる。
 手をあげる。
 大型のトレーラーがクラクションを鳴らしながら、轟音とともに通りすぎていった。
 彼女は運転手たちの気を引くことをあきらめた。
 スタンドまでどのくらいあったっけ? 2キロ、3キロ? たいした距離ではなかったと思う。いや、そう思いたい。
 でも、歩く前に一服しよう。一服くらいつけても、ばちはあたらないだろう。
 ボンネットに寄りかかり、セーラムに火をつける。
 カモメがほとんど目の高さをゆっくりと横切っていった。
 海の声が急に耳に入ってきた。

0 件のコメント:

コメントを投稿