2009年12月3日木曜日

Come Rain Or Come Shine

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----- Jazz Story #10 -----

  「Come Rain Or Come Shine」 水城雄


 そうなの。今日はひとり。
 ううん、とくにどうってわけでもないんです。なんとなくひとりで飲みたい気分になっただけ。
 そうね、マスター、いつもの。うん、モスコーミュール。
 雨はまだだけど、なんとなく生暖かくていや。あたし、梅雨って苦手なんです。マスターは?
 梅雨どきにあう曲って、どんなのがあるんですか?
 雨の歌。
 ふうん、それ、どう訳すんだろう。
「降っても晴れても」?
 そういえば、村上春樹に紀行文に「雨天晴天」というのがあったけど、関係あるのかな。ギリシャとトルコの話なんだけど。タコを料理して食べる話があったんだけど、ギリシャで食べるタコってどんな感じなんだろう。
 ギリシャって行ったことあります? 一度行ってみたいなあ。
 マスターは好きですか、村上春樹?
 え、そうなの? あんまり男の人で好きっていう人にあったことないんですよね。でも、いいですよね。わたしは好き。
「中国行きのスローボート」もジャズのスタンダードナンバーなんですか。ふーん。ロリンズ? オンナ・スローボート・トゥ・チャイナっていうんですか。
 この曲、いまかかっているのはなんていうんですか?
 あ、これが「カム・レイン・カム・シャイン」なんだ。
 ふーん、ウイントン・ケリー。知らないなあ。

 店には彼女以外、客はだれもいない。
 バーテンダーの池田は、カウンターの端の換気扇の下で煙草を吸っている。
 シングルノートを多用したウイントン・ケリーの明快なピアノソロの合間に、エアコンの音がかすかに聞こえている。
 静かな夜だった。
 彼にはじめてこの店に連れてきてもらったときも、こんな静かな夜だった。
彼はジャズが好きで、しかし彼女はまったく知らなかった。聴くのはいつもロックかJポップ。
 ほんとをいうと、いまでもジャズはよくわからない。でも、この店の雰囲気は大好きだ。
 彼と別れようと決めたとき、最後にもう一度ここに来てみようと思った。ここは彼のホームグラウンドの店。別れればもう二度と来ることもないだろう。
 マスター、この曲はなんという曲、と彼女は聞いた。枯葉ですよと、マスターが答えた。ふうん、秋の曲ね。
 灰皿と、煙草を一本くれないかと、マスターに頼んだ。
 ずっとやめていた煙草を、彼からこの店でひさしぶりにもらい煙草したことを思いだしたのだ。あのときの煙草の味は、はっきりと覚えている。
 マスターがあたらしい煙草の封を切っている。自分の煙草はまだ残っているのに。
 一本だけでいいのよ。
 わかってますよ。でも、あの方とおなじ煙草を吸いたいんでしょう?
 あたらしい煙草を一本振りだし、彼女に差しだす。
 抜き取り、差し出されたライターの火をつけた。
 ふうー。
 マスター、だれだっけ、このピアノ。
 ウイントン・ケリーですよ。
 ふうん。
 たなびいている煙を払うように、ウイントンのシングルノートがいくつもころがってきて、彼女の目からこぼれた。

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