2009年12月14日月曜日

締切り

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----- Urban Cruising #20 -----

  「締切り」 水城雄


 いまにも雪が降りそうな寒さではあるが、空は雲ひとつなく晴れわたっている。
 昼すぎには、この寒さもやわらいでいることだろう。
 こんな土曜日だというのに、わたしは仕事場から出ることをゆるされない。
 1日5枚ずつ、10日間コンスタントに書けば、50枚の原稿が完成するはずなのだ。
 わかっているとも。それは充分にわかっているとも。
 原稿の依頼は、1か月も前にはいっているのだ。依頼されてすぐに取りかかっていれば、なお20日間の余裕を残して完成、ということになる。推敲するのに充分すぎる日数だ。
 わたしにだって、そのぐらいの計算はできる。では、なぜそのように仕事ができないのか。
 1日5枚という仕事量は、けっして多いとはいえない。むしろ、ゆったりしすぎるくらいだ。それをたったの10日間、なぜ持続することができないのか、わたしは。まったく不可解としかいいようがない。
 今日は土曜日。仕事場の外からは、会社が休みなのだろう、父親とちいさな子供がキャッチボールを楽しんでいる声が聞こえる。
 私の息子も、やがて、午後になれば小学校から帰ってくることだろう。どこかに連れて行けとせがまれるのだろうか。だが、今日はだめなのだ。今日、この父親は、仕事場を出るわけにはいかないのだ。
 明日の朝までに50枚の原稿を書きあげていただかなければ、雑誌が出せません、と、担当編集者から宣告されている。
 ところがわたしは、いまだ一字も書けていない有り様だ。
 今朝起きてからずっと、わたしは仕事場の机にむかってすわっていた。
 机の上には、最近買ったばかりのノートパソコンが鎮座ましましている。
 ワープロソフトの画面はまっ白だ。ひと昔前なら、原稿用紙はまっ白だ、というところなのだろうが。
 どちらにしても、原稿が書けていないことには、変わりはない。
 机の端には、なにかの記念(たぶん古い友人の結婚しきかなにかだと思う)でもらった時計が、テクテクと時を刻んでいる。
 わたしはワープロの画面から目をそらすと、その時計をじっとながめた。
 乾電池駆動の丸い時計。文字板にはかすかにほこりが付着している。そういえば、時計を掃除したことなどない。
 わたしは時計がきらいだ。その証拠に、腕時計はしていない。していなくても、どうにかなるものだ。とくにわたしのように仕事が個人作業である場合はそうなのだろう。
 ひとりで時間を区切り、ひとりで仕事をする。時間の割り振りは、わたしの自由だ。そのわたしが、いまは時間に追いかけられている。時間という壁が、容赦なくわたしを追いつめてくる。
 明日の朝、編集者が原稿を取りに来るまでに、20時間以上ある。2時間につき5枚の割合で書きすすめれば、タイムリミットまで仕上がることになる。
 もっとも、それはあくまで計算上のことではあるが。
 わたしはパソコンのそっけないキーボードの上に、指をそっと置いた。
 このパソコンをわたしに売りつけた電気店の店員が、ホームポジションという言葉を教えてくれた。
 そんな言葉を、わたしは知らなかった。言葉を使って仕事をしている身だというのに、なんとこの世には知らない言葉があるのだろうか、とそのときは思ったものだ。なんとこの世には、新しい言葉があふれかえり、そしてまた次々と誕生してくることだろうか、と。
 ホームポジションというのは、キーボードに指を置く基本的な位置のことだ。左手の小指が「ち」という文字の上に置かれなければならない。右手の小指は「れ」という文字の上に置かれなければならない。
 左手の小指から人差し指にかけて「ちとしは」という文字に置かれなければならない。右手の人差し指から小指にかけて「まのりれ」という文字に置かれなければならない。その位置をホームポジションと呼ぶのだそうだ。
 文字を打つときには、それぞれの指はその位置から上や下に移動しながら、リズミカルに動くことになる。
 いわれたとおり、わたしは練習した。なにしろ、仕事のための道具なのだ。ある程度使いこなせなければならない。
 が、そんな練習も、いまこの瞬間には、なんの役にも立たない。なにしろ、打つべき言葉がひとつも浮かんでこないのだから。
 こうやってまっ白なパソコンの画面をながめながら、はたしていつまでここにすわっていることになるのだろうか、わたしは。

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