2009年12月18日金曜日

ねむるきみと霧の中を通って

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----- Urban Cruising #3 -----

  「ねむるきみと霧の中を通って」 水城雄


 ハイウェイの路面はすこし濡れている。
 霧が出てきたようだ。
 助手席からは、きみのかすかな寝息が聞こえてくる。まだ乾ききっていない髪は、潮の香りを伝えてくる。

 折りたたみ式の椅子とビーチパラソルを持って、あの島に渡った。そうそう、ちいさなキャンプの道具も持っていたっけ。
 あれは正解だった。あの島----あの夢青い水に囲まれた夢みたいな小島には、桟橋と白い砂と松の木のほかには何もないことを、ぼくは知っていたからね。
 最初、あの島ではなくて、どこか違うところに行くはずだったんだ。
 どこへ行くつもりだったんだろう、ぼくたちは?
 湖へヨットに乗りに?
 そうだ。それが、あまりにいい天気なので、海に行くことになったんだな。ヨットには確かにきつすぎる日ざしだった。
 あの島へは、学生時代の合宿で一度行ったことがあるだけだ。それが、きみと行くことになるなんて。
 ぼくたちは泳げそうな浜をさがして、まがりくねった海べりの道路を走っていた。まだ夏休み前で、あまり泳いでいる人はいなかった。
 視界がぽっかりと開け、あの島が目に飛び込んできた。
 そう。まるで南海の孤島のような、コバルトブルーの海に囲まれたあのちいさな島。もちろん、椰子のかわりには松が生えているのだけど。
 学生時代の記憶がなにもかもよみがえってくるのを、ぼくは感じた。
 だから、島に渡るとき、キャンプの道具を持って行こうと思ったんだ。島には、砂浜と松と桟橋以外、なんにもないことを知っていたからね。
 夏休みにならなければ連絡船が動かないと聞き、ぼくたちは渡し舟を頼んだ。
 そう、あの腹巻をして、海からの風の音を顔にきざみつけたおじいさんの舟だ。おじいさんの舟で、ぼくたちはあのなんにもない島に渡った。
 なんにもないということは、じつはすばらしいことなんだ。きみにわかるだろうか。
 車がトンネルにはいる。黄色っぽい明りが、きみの横顔を照らす。
 でも、きみは起きない。
 トンネルを出ると、霧はさらに深まっている。

 潮が引いていて、おじいさんの船頭はゆっくりと舟を進めた。
 水は澄んでおり、白い砂の海底がそっくり見すかせた。桟橋からは、ぼくたちより先に到着した人々の広げたパラソルが、いくつか見えた。
 ぼくたちは、椅子とパラソルとキャンプ道具を持って、舟をおりた。
 でも、結局、パラソルはいらなかったね。松の木陰に椅子をひろげると、風が気持ちよかった。
 きみは水着の上に着ていたTシャツを椅子の背にすっぽりとかぶせた。それから波打ち際に歩いていった。爪先を水にひたし、肩をすくませているきみの姿に、ぼくはしばらく見とれてしまった。
 静かで、ほとんど波のない水面にあお向けに横たわると、指先でちぎれそうな雲が見えた。広げたぼくの手を、きみがつかまえた。ぼくはゆっくりときみにむかって流れていった。
 浜にもどると、キャンプ道具の中から小さなコンロを出し、松の木陰でひたいを寄せあって、コーヒーをわかした。
 マグカップにいれたコーヒーを持って、ぼくたちは椅子にもどった。おかしかったのは、なぜかきみの椅子だけが何度も、風で倒されてしまうんだな。たぶん、あのへんてこりんなTシャツのせいだろう。なんていったかな、あのコメディアンの顔がプリントしてあるTシャツだよ。
 ほとんど言葉をかわすこともなく、ぼくたちはずっと海を見つめていた。
 波打ち際では、名前のわからない水鳥が遊んでいたね。

 きゅうに濃くなりはじめた霧に、ぼくは車のスピードを落とした。
 ときおりワイパーを動かし、フロントガラスをぬぐう。
 きみはあいかわらず、助手席でねむっている。すこし疲れたのかもしれない。塩水と風と強い日差しは、人を疲れさせるものだからね。
 きみがシャワーを浴びているあいだ、ぼくは雲をながめたていたんだ。そして気がついた。つまり、雲の色ってそれぞれにちがうんだってこと。けっして白一色なんかじゃないってこと。
 遠くの高い雲は、空の色を映して青みがかっている。近くの低い雲は、日の陰になって淡い灰色だ。そんなことにいまさらながら気づく自分が、なんだかおかしかった。それとも、そんなことは知っていたのに、忘れていただけなのかもしれない。幼い頃は、それこそいやになるほど雲をながめてすごしたものだ。
 シャワーを終えたきみが車に乗りこんでくると、流しきれなかった潮の香りがぼくにはうれしかった。
 いまも息を大きく吸いこむと、潮の香りを感じることができる。
 ぼんやりした照明灯。
 濡れて光る路面。
 赤いテールランプ。
 かすかに見えはじめた街の明り。
 霧の中を通って、ぼくたちは夜の街へ帰っていく。
 せめてランプウェイをおりるまで、きみが眼をさまさないでいると、いいのに。
 ぼくは、カセットテープの音をしぼると、さらに車のスピードを落とした。

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