2010年2月12日金曜日

青い空、白い雲

(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author

----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #40 -----

  「青い空、白い雲」 水城雄


 ぼくの生まれた土地のことを、きみに話そう。
 田舎のほうの、山が谷でくびれ、せせらぎが川となって平野へと流れこむ、その出口のところだ。小さな村となだらかな山があって、人々は長い年月をかけて山と折り合いをつけながら、段々畑や田圃を作ってきた。
 ぼくが生まれたのは、コブシや桜が終わり、藤や桐が薄紫色の花を咲かせるころ、山吹が山裾の小道を黄色く彩るころだった。雪解けの名残り水が田に導かれて水平に広がり、空を映してぬるむと、白鷺が冬眠からさめた蛙をついばみ、子どもらはスカンポを噛みながら畦道を駆け抜ける。
 生まれてしばらくしてから、ぼくは家族とともに街へと引っ越したけれど、いつも思い出すのは野山のことだった。軒先に作られた燕の巣を見つめながら、畑の上の草はらで見つけた雲雀の雛のことを思った。街を歩きながら、風とともに山道を駈けおりたことを思い出した。近所の大きな子どもに囲まれてからかわれながら、ひとり、せせらぎのヤマメを狙ったことを思い出した。
 村を離れたことを後悔してはいない。それはぼくにはどうすることもできなかったことだし、街には街の生活があった。ただ、夜中にこっそり裏口から抜け出し、ひと気のない公園をさまようとき、ぼくの脳裏には谷川から沸き立つように舞い上がる羽化したばかりの蛍の光の渦が見えていた。
 いま、ぼくは、街の中でこうやって身を横たえている。身体の下には、日に照りつけられて熱くなったアスファルトがある。でももうその熱さも感じない。
 買物に出かけた主人を追って道を横切ったとき、ひとかたまりの鉄がぼくを跳ね飛ばし、走り去ったのだ。
 聞こえるのは主人の声だろうか、それとも谷川のせせらぎだろうか。ぼくの頬に生暖かく伝わるのは、主人の涙だろうか、それともぼくの血だろうか。
 やがて静寂がやってくる。
 ぼくの身体は軽くなり、ふわりと浮いて舞い上がる。青い空と白い雲が見える。
 向かうはぼくが生まれた谷と川の里。畑の脇の柔らかい土に埋められて、ぼくの存在は里山になる。

0 件のコメント:

コメントを投稿