2010年3月2日火曜日

おまえの夏休みの宿題に父は没頭する

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----- Urban Cruising #7 -----

  「おまえの夏休みの宿題に父は没頭する」 水城雄


 宿題をほうり出して、おまえはいつものように遊びに出かけてしまった。
 どこに行ったのだろうか。おまえの父は、夏休み最後の日曜日、こうやっておまえの宿題をかたづけてやっている。

 いま、父の前には、おまえの宿題の材料がならんでいる。
 おまえの母が、つまりわたしの妻が、昨日、百貨店から買ってきたものだ。これらがはいっていたケースには、〈昆虫採集セット〉と書いてある。
 おまえの母はいったものだ。
「ねえ、あなた。あの子ったら、夏休みの宿題を全然やってないのよ」
 わたしは答えた。
「夏休みといっても、あと何日もないじゃないか。どうしてほうっておいたんだ」
 するとおまえの母親は非難がましく、あなたが宿題なんかほうっておけばいいっていったのよ、それを間に受けたのよあの子は、毎日毎日遊びまわってばかりいるんだから、あなたが悪いのよ、という。
 おおいにけっこう、とわたしはこたえる。
 そうとも。宿題なんかやらなくていい。見ろ。おかげで、どの子にも負けないくらいまっ黒に日焼けしてるじゃないか。
 そうよ。おかげでまっ黒で汚い格好をして、ガキ大将気取りで走りまわっているわ。勉強嫌いになって。出かけたら出かけたで、まっ暗になるまで帰ってこないし。ちょっとやりたい放題がすぎるんじゃなくて?
 子供はそれでいいんだ。元気なのが一番なんだ。
 あなたは自分があの子の面倒を見ないから、そんな無責任でいられるのよ。結局、たまった宿題を手伝ってやらなければならないのは、このあたしなのよ。
 宿題なんかなんだ。よし、わかった。わたしが責任を取ってやろうじゃないか。

 というわけで、父はいま、〈昆虫採集セット〉を前に、腕組みしているのだ。
 ガラス瓶の中には、おまえがかけずりまわって集めてきた名前も知らない虫ケラが、たくさんひからびているぞ。

 ガラス瓶をさかさにする。
 ひからびた虫たちが、新聞紙の上にころがり落ちてきた。
 いつなんだ、この虫を集めたのは、とわたしは妻にたずねた。
 妻は妻で、牛乳パックを利用して、なにやら工作をしているのだ。夏休みの工作とか昆虫採集といっても、親の宿題みたいなものだな、これでは。
 知らない、と妻がこたえる。だいぶ前なんじゃない。ずいぶん遠くまで自転車で取りに行ったみたいよ。
 わたしはピンセットで昆虫を転がしてみる。
 脚をちぢめて乾ききったカナブン。羽のかけた蝶、蝉、トンボ。足のちぎれたバッタ。
 あわれな犠牲者たち。おまえというハンターの獲物たち。
〈昆虫採集セット〉には、虫ピンや採集ラベル、コルクを貼りつけた箱などがふくまれている。
 わたしはカナブンのひとつをピンセットで押さえつけ、背中から虫ピンを突きさした。
 目の前にかかげ、ひとわたり観察してから、おまえの昆虫図鑑を広げる。
 そうか。カナブンというのはカブトムシの仲間なのか。コガネムシ科、カナブン。これだな。
 わたしは採集ラベルにボールペンで書きつける。
 採集ケースにラベルを貼りつけ、その上に虫ピンであわれなカナブンをとめた。
 あわれなカナブン。
 おまえはまだ帰ってきそうにない。
 いいとも。好きなだけ遊んでこい。もうすぐ夏休みは終りだ。

 ギンヤンマ。
 4月から10月に平地の池で活動する、か。産卵は、連結したまま植物の組織内に行なう。
 なるほど。そういえばつながったまま飛んでいるトンボを見たことがあるぞ。しかし、植物の組織内というのは、なんのことだろう。
 おまえはこのあわれなトンボをどこで取ってきたのだろうか。池といえば、たぶんあの池のことだな。父も子供のころ、あの池でフナやウグイを釣ったものだ。いまでも釣れるのだろうか。
 たぶん、無理だろう。池のすぐ横の崖の上に、大きな道路が通ってしまったからな。
 しかし、こうやって見ると、昆虫図鑑というものもなかなかおもしろいものだ。スズムシの飼い方か。わたしも飼ったことがあるぞ。縁の欠けた大きな壷を母親からもらい、キュウリやナスで育てたものだ。ニボシなんかもやったな。タンパク質の補給だとかいって。
 そういったことも、ここにちゃんと書いてある。なかなかいい本じゃないか。母に買ってもらったのか?
 その母がわたしにいう。
 あなた、宿題は進んでいるの? なんだかぼんやり本ばかりながめて。
 わたしはこたえる。
 おまえこそ、どうなんだ?
 あたしのほうはもうすっかり終りですよ。
 そうかい? で、なにを作ってやったんだ?
 風車ですよ。ほら、あのオランダなんかによくあるじゃない。子供が作ったってことにしなきゃならないから、あまり上手にならないようにするのに苦労したわ。
 よくいうよ、まったく。
 わたしはふたたび、昆虫の分類に取りかかる。

 外はそろそろ暗くなってきている。もうすぐおまえが帰ってくることだろう。まっ黒な顔と手足をして。
 そうして、甘えた声でいうことだろう。
 おかあさん、おなかすいた。
 と。

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