2009年11月12日木曜日

祈り

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----- Jazz Story #33 -----

  「祈り」 水城雄


 綿雪まじりの冷たい空気のなかで、私は大きな木に向かって祈りをささげる。
 神にでもなく、自分の幸せや健康にでもなく、ひとり、大樹に向かって祈りをささげる。
 昨夜見た、坂の途中で立ちつくしていたサンドイッチマンに。
 割り勘をごまかそうとした友人に。
 電話ボックスのなかで抱き合っていた若い男女に。
 席をゆずらず眠ったふりをしていた高校生に。
 祈りをささげる。
 ビルに衝突した飛行機の乗務員と乗客とテロリストに。
 くず折れるビルに。
 巻き散らされた白い粉に。
 アラファトとシャロンに。
 オウムとイエスの方舟たちに。
 祈りをささげる。
 私のコーヒーポットとオレガノの鉢に。
 息子に贈るハーモニカに。
 私は祈りながら、木の幹に手を触れる。
 見上げると、綿のような雪が暗い空のかなたから、ゆっくりと降りてくる。
 どこか遠くで鐘が鳴っている。

 この樫の木は、冬も青々と葉を広げて立っている。
 私が生まれるより前から、世界の人が生まれるずっと前から、樫の木はここにこうして立っていた。
 この樫の木より前に生まれた人は、ただのひとりもいない。
 この樫の木よりも長く生きる人も、ひとりもいない。
 樫の木が倒されないかぎり。
 樫の木が人の手によって倒されないかぎり。
 飛行機の形をした斧が、大陸のはずれの島に立っていた大きな木をなぎ倒した。斧の力はすさまじく、木は一瞬にしてくずれ倒れた。人の手が斧をふるい、人の手が何本もの木をなぎ倒した。
 人の手が細菌をばらまき、人の手がミサイルを異国に打ちこんだ。
 光でいろどられ、音楽があふれている街を、着飾り、作られた笑いを顔に張りつかせた人々が、目的もなく行き交っている。
 それを、今日、私は見ていた。
 雪がやんだ。
 私は手を樫の木に触れさせたまま、ひとり空をあおぎ、祈る。
 また鐘の音が聞こえた。

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