(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
----- Urban Cruising #29 -----
「左義長」 水城雄
和太鼓の音だ。
仕事からもどり、玄関の戸をあけようとしたとき、それに気づいた。
そういえば、数日前から街の通りには、短冊が飾られていたっけ。今日は左義長祭だ。
はずしてしまっておいた正月の注連飾りを、物置から出してきた。
猫がものめずらしそうな顔で寄ってくる。
荒縄のにおいをかぎ、ちょいと手を出してさわる。
「だめよ。これから燃やしてもらいに行くんだから」
と妻がたしなめている。
猫を追いはらい、子どもと三人で玄関を出た。今度ははっきりと、和太鼓の音が耳にはいってきた。笛と三味線の音も聞こえるようだ。
「傘、いるかしら」
午後からやんでいた雪が、また降りはじめているようだ。毎年、この左義長の時期になると、なぜか一段と冷えこみが増し、雪になることが多い。
ジャンパーのフードを息子の頭にかぶせてやり、わたしたちは傘を開いた。
車の轍のあとにそって歩きはじめると、サワサワと傘に雪が降りつもる音が聞こえた。
街筋に出ると、雪が舞う中に短冊がひらめいているのが見えた。
赤、黄、緑の組み合わせ。
赤、白、青の組み合わせ。
三色の短冊が、通りの上に張りめぐらされた縄から無数にぶらさがり、雪と風にひらめいている。
息子がどこからか、とけた雪でびしょびしょになった短冊を拾ってきた。
「捨てなさい、そんなもの」
妻が即座に命令する。息子は残念そうにそれを道ばたに投げすてた。
最初の櫓が見えてきた。
最初の櫓の手前で、注連飾りを預けた。
竹で組んだ枠の中に、すでにたくさんの注連飾りが積みかさねられている。明日の夜、河川敷きでおこなわれるどんど焼きで、焼いてもらうのだ。
櫓のまわりにはもう見物の人の輪ができていた。
赤ん坊を抱いた父親と若い母親、ニコニコしたおばあちゃん、まっかな頬をした小学生、若いふたりづれ。
櫓の上では、中年の女性が弾く三味線と歌に合わせて、女物の長襦袢の尻をまくり、頬っかむりをした男がふたり、おおげさな動作で和太鼓をたたいていた。三味線の横では、別の男が笛を吹いている。豆しぼりに法被を着た子どもも、櫓の上にあがっている。どうやら、はやく交代してもらいたくて、うずうずしているらしい。
「ねえ、これおもしろいわね」
と妻が櫓の横にぶらさげられた行灯を指さした。
行灯に張られた和紙には、川柳が書かれている。それらをひとつひとつ読んでいくのも、左義長祭の楽しみのひとつでもあるのだ。
妻が指さした行灯には、川柳のほかに猫の寝姿も描かれていた。寝たふりしているが、猫は全部知っているんだぞ、という意味の、ちょっと色っぽい川柳だった。
「去年はたいへんだったわねえ」
私と同じことを、妻も思いだしたようだった。
そう、去年の左義長の日、ちょうどうちの猫がお産したのだった。
櫓の上で待機していた子どもに、ようやく順番が回ってきたらしい。ちょっと緊張した笑顔で立ちあがると、大人顔負けの動作で太鼓をたたきはじめた。
うまい具合に雪がやんでくれたようだ。
次の櫓へと移動する途中、わたしたちは傘をすぼめた。
街筋は車両通行禁止だ。かなりの人が通りを埋めつくすようにして、歩いている。半分以上が市外からやってきた人たちなんだろう。市の観光協会や商工会議所は、市の活性化をうたって祭の観光宣伝にやっきとなっている。その効果があらわれているのだろう。
私が子どもの頃には、こんなに人は多くなかったようにおぼえている。
「いまごろどうしているかなあ、あの子たち」
妻はまだ、去年生まれた子猫の話をつづけている。
息子もまだちいさかったっけ、去年は。たしか背中におぶっていた記憶がある。そうやって左義長をひととおり見物して家にもどってみると、猫のタマが四匹の子猫を産んでいたのだ。
火の気のない家の中の、それでもわずかにぬくもりが残っているらしい炬燵の下で、タマは途方にくれたような顔で子猫たちをながめていた。甘やかされて育った家猫だからだろうか、子猫の世話を自分ではできないようだった。
あやうく冷たくなりかけた子猫をタマから取りあげると、わたしたちはあわててうぶ湯を使わせてやった。大騒ぎをしてヘソのおと胎盤の始末をしてやり、寝床の用意をして子猫とタマをそこにいれてやったものだ。
そんなことを思いだしながら、ぼんやり櫓を見上げていると、人波に押されて息子の足を踏みつけそうになった。
ずいぶんひさしぶりに彼をだっこしてやりながら、私は思った。
この子が大人になったときには、祭はどのようになっているのだろうか。
2010年2月22日月曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿