(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #55 -----
「捨てる」 水城雄
幻想と無意味な希望を捨て
現実と真実を見据えて生きる
自らの能力を過信せず
しかし力のおよぶ限り尽くす
自らの才を過大評価せず
孤独に立ちむかうことを怖れない
捨てよう
どうせ読まない本を捨てよう
古いマニュアルを捨てよう
欠けた茶碗を捨てよう
黴びた梅干を捨てよう
二年前のドレッシングを捨てよう
縮んだセーターを捨てよう
たまった雑誌と古新聞を捨てよう
鳴らないラジオを捨てよう
乗れない自転車を捨てよう
乾いた植木鉢を捨てよう
破れた靴を捨てよう
聴かないCDを捨てよう
なんにつなぐかわからないACアダプターを捨てよう
1ページしか書いていないノートを捨てよう
片方しかない靴下を捨てよう
10年前の年賀状を捨てよう
古い恋人の写真を捨てよう
日記を捨てよう
しがらみを捨てよう
プライドを捨てよう
思い出を捨てよう
過信を捨てよう
欲を捨てよう
名誉を捨てよう
虚栄を捨てよう
過去を捨てよう
未来を捨てよう
希望を捨てよう
絶望を捨てよう
それでも
それはそこにいる
どうしようもなく自分はそこにある
2010年2月26日金曜日
2010年2月25日木曜日
単独行
(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
----- Urban Cruising #2 -----
「単独行」 水城雄
山道にさしかかると、視界が緑におおわれた。
エアコンをとめ、車の窓を開放した。
草いきれ、木々の香り、谷川の音。そういったものがドッと車内に流れこんできて、思わず微笑してしまう。
スピードを落とし、緑の空気を楽しみながら、ゆったりとハンドルを切る。
ぼくは部長に休戦宣言をして、ここにやってきた。
いや、ことによると、あれは部長にとって、ぼくからの宣戦布告だったのかもしれない。
まあいい、そんなことは。いまぼくはひとりでここにやってきた。
それでいい。
一か月前の日曜日、すでにロケーションはすませてある。テントを張れそうな場所も見つけてある。
ほんとうは、自転車か徒歩でここにやってきたかったのだ。が、もらった休暇が三日では、ぜいたくはいえない。それでもギリギリの線だ、と部長はいったものだ。いまの時期をなんだと考えているんだ。
山道を走りはじめて約二十分、ぼくは目的の場所についた。
いちおう舗装は完備しているが、道はほそくまがりくねっている。道の右側には、谷川が流れている。
ぼくが車をとめたところは、ちいさなダムがあった。ダムで川がせきとめられ、上流は細長い湖になっている。雨があがって数日たっているため、水のにごりはとれていた。しかし、あたりには雑草がたくましく生い茂っている。
ぼくは車から荷物を下ろすと、それを背にかつぎあげ、ダムを渡った。
ダムの向こう側に、道路からはまったく見えず、それでいて湖の水面をすっかり見わたせる絶好の場所があるのを、すでに確認してある。
そこでこれから三日間、すごすのだ。
テントの中で。
ひとりのぜいたくな時をすごす。
二日めの朝、ぼくは川をさかのぼった。
手に一本の竿を持って。
大きな岩の上に腰をおろし、谷川の音を聞きながら、仕掛けを作る。
川にはいり、岩を返して岩虫をさがす。
見つけた岩虫は、口にくわえた笹の葉に貼りつけておく。そうすればいつでも餌が必要なときに、針にかけることができる。
岩虫を針にとおし、流れがうずを巻いている深みにむかって、糸を投げこむ。
糸を流しながら、岩かげに身体をひそませる。
そうやって魚と知恵をくらべあっていると、日常のさまざまな思いが肩から抜けおち、身体が軽くなってくるのを感じる。
ぼくは部長のことを考えた。
この三日間の休暇を取るのに、彼とはひと悶着あった。なぜこの時期に休暇なんか、というわけだ。おまえ、いま会社がどういう状態なのかわかってるのか。
わかっているとも。しかし、部長に、部下の営業成績しか頭にないような男に、ぼくのなにがわかる?
まあいい。
いまはぼくの時だ。
日常からときはなたれた、ぼくの時間だ。
会社も家庭も忘れ、いまは魚との知恵くらべに、うつつを抜かすのだ。
いきなりラインが引きこまれ、棹が大きくしなった。グイと棹を立てる。針が魚の上顎にしっかり食いこむ感触が伝わってきた。
魚め。勝負あったな。
いや、まだわからないとも。勝負ははじまったばかりだ。
いつの間にか、ぼくの身体の中に、漁師がすべりこんでいる。
たけりたったやつ、大きなイワナが、銀色の身体をひらめかせて、水面を走った。
星だ。
星々だ。
何年ぶりだろう、星を見るのは。
確かに、仕事帰りに夜空に、星のまたたきを見ることはある。が、あれは星を見るとはいえない。仕事帰りに見る夜空は、狭く、暗い。屋根やアンテナや電柱やビルディングにかこまれ、ひどく視界が狭い。
そして、暗い。
いや、逆に明るいというべきか。
つまり、街頭や家々の明かりが明るくて、星の光が暗いのだ。
いまこうやって夜空をながめていると、街の中では見えないじつに多くの星が見える。
それを見つめていると、すうーっと立ちくらみを起こしそうな感覚に引きこまれる。自分がまさに、この大地、地球という星の表面にへばりつき、星々の空間にただよっているのだ、という感覚。
うん。この感覚。あいつにも味わせてたい。もうすぐ五歳になろうという、ぼくの息子。
よし。今度はやつとふたりでここにやってこよう。
ぼくがやつに伝えられることなど、たかが知れているが、その星々を見せるだけで、やつはぼくのなにかを理解するはずだ。ぼくの息子なのだから。
明日はまた、家庭にもどる。
いまのこの心を、そのまま持って帰れることができるだろうか。もしそれが可能なら、すごい土産になるぞ。そして語ってやろう、やつに。父がいかにしてテントをはり、いかにして火をおこし、いかにして魚と闘ったかを。
そしてその次の日は、また仕事という戦場に出ていくのだ。
部長め。ぼくを待ちかまえていることだろう。
上等だ。やってやろうじゃないか。
うむ。彼にもきっと、息子がいる。
彼も彼なりに戦っているのだ。
よし。彼に応えてやろうじゃないか。
ぼくはテントにもぐりこむと、目をとじた。
夜がぼくをすっぽりと、つつみこんだ。
Authorized by the author
----- Urban Cruising #2 -----
「単独行」 水城雄
山道にさしかかると、視界が緑におおわれた。
エアコンをとめ、車の窓を開放した。
草いきれ、木々の香り、谷川の音。そういったものがドッと車内に流れこんできて、思わず微笑してしまう。
スピードを落とし、緑の空気を楽しみながら、ゆったりとハンドルを切る。
ぼくは部長に休戦宣言をして、ここにやってきた。
いや、ことによると、あれは部長にとって、ぼくからの宣戦布告だったのかもしれない。
まあいい、そんなことは。いまぼくはひとりでここにやってきた。
それでいい。
一か月前の日曜日、すでにロケーションはすませてある。テントを張れそうな場所も見つけてある。
ほんとうは、自転車か徒歩でここにやってきたかったのだ。が、もらった休暇が三日では、ぜいたくはいえない。それでもギリギリの線だ、と部長はいったものだ。いまの時期をなんだと考えているんだ。
山道を走りはじめて約二十分、ぼくは目的の場所についた。
いちおう舗装は完備しているが、道はほそくまがりくねっている。道の右側には、谷川が流れている。
ぼくが車をとめたところは、ちいさなダムがあった。ダムで川がせきとめられ、上流は細長い湖になっている。雨があがって数日たっているため、水のにごりはとれていた。しかし、あたりには雑草がたくましく生い茂っている。
ぼくは車から荷物を下ろすと、それを背にかつぎあげ、ダムを渡った。
ダムの向こう側に、道路からはまったく見えず、それでいて湖の水面をすっかり見わたせる絶好の場所があるのを、すでに確認してある。
そこでこれから三日間、すごすのだ。
テントの中で。
ひとりのぜいたくな時をすごす。
二日めの朝、ぼくは川をさかのぼった。
手に一本の竿を持って。
大きな岩の上に腰をおろし、谷川の音を聞きながら、仕掛けを作る。
川にはいり、岩を返して岩虫をさがす。
見つけた岩虫は、口にくわえた笹の葉に貼りつけておく。そうすればいつでも餌が必要なときに、針にかけることができる。
岩虫を針にとおし、流れがうずを巻いている深みにむかって、糸を投げこむ。
糸を流しながら、岩かげに身体をひそませる。
そうやって魚と知恵をくらべあっていると、日常のさまざまな思いが肩から抜けおち、身体が軽くなってくるのを感じる。
ぼくは部長のことを考えた。
この三日間の休暇を取るのに、彼とはひと悶着あった。なぜこの時期に休暇なんか、というわけだ。おまえ、いま会社がどういう状態なのかわかってるのか。
わかっているとも。しかし、部長に、部下の営業成績しか頭にないような男に、ぼくのなにがわかる?
まあいい。
いまはぼくの時だ。
日常からときはなたれた、ぼくの時間だ。
会社も家庭も忘れ、いまは魚との知恵くらべに、うつつを抜かすのだ。
いきなりラインが引きこまれ、棹が大きくしなった。グイと棹を立てる。針が魚の上顎にしっかり食いこむ感触が伝わってきた。
魚め。勝負あったな。
いや、まだわからないとも。勝負ははじまったばかりだ。
いつの間にか、ぼくの身体の中に、漁師がすべりこんでいる。
たけりたったやつ、大きなイワナが、銀色の身体をひらめかせて、水面を走った。
星だ。
星々だ。
何年ぶりだろう、星を見るのは。
確かに、仕事帰りに夜空に、星のまたたきを見ることはある。が、あれは星を見るとはいえない。仕事帰りに見る夜空は、狭く、暗い。屋根やアンテナや電柱やビルディングにかこまれ、ひどく視界が狭い。
そして、暗い。
いや、逆に明るいというべきか。
つまり、街頭や家々の明かりが明るくて、星の光が暗いのだ。
いまこうやって夜空をながめていると、街の中では見えないじつに多くの星が見える。
それを見つめていると、すうーっと立ちくらみを起こしそうな感覚に引きこまれる。自分がまさに、この大地、地球という星の表面にへばりつき、星々の空間にただよっているのだ、という感覚。
うん。この感覚。あいつにも味わせてたい。もうすぐ五歳になろうという、ぼくの息子。
よし。今度はやつとふたりでここにやってこよう。
ぼくがやつに伝えられることなど、たかが知れているが、その星々を見せるだけで、やつはぼくのなにかを理解するはずだ。ぼくの息子なのだから。
明日はまた、家庭にもどる。
いまのこの心を、そのまま持って帰れることができるだろうか。もしそれが可能なら、すごい土産になるぞ。そして語ってやろう、やつに。父がいかにしてテントをはり、いかにして火をおこし、いかにして魚と闘ったかを。
そしてその次の日は、また仕事という戦場に出ていくのだ。
部長め。ぼくを待ちかまえていることだろう。
上等だ。やってやろうじゃないか。
うむ。彼にもきっと、息子がいる。
彼も彼なりに戦っているのだ。
よし。彼に応えてやろうじゃないか。
ぼくはテントにもぐりこむと、目をとじた。
夜がぼくをすっぽりと、つつみこんだ。
2010年2月24日水曜日
A Flying Bird in the Dark
(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #42 -----
「A Flying Bird in the Dark」 水城雄
鳥になりたいと思う。
重力から解きはなたれ、ゴツゴツした地表を離れ、上昇気流に身をまかせてどこまでも飛んでみたいと思う。
人はわたしのことを、幸せな女だという。たしかにそのとおりかもしれない。住む家にも食べるものにも不自由のない生活。家のローンはあるけれど、明日のお金の心配をする必要はない。毎月、きちんきちんと一定額以上のお金がはいってくる。
結婚三年め。やさしくて、働き者の夫がいる。子どもがまだできないことが唯一の心配だけれど、それがなんだというのだろう。世間には子どものいない夫婦なんていくらでもいるし、いまのこの世に子どもを作ることのほうが、その子の将来をかんがえれば不安かもしれない。
でも、わたしのこの、牢獄に閉じこめられているような気持ちは、いったいなんなのだろうか。わたしがわたしでないような、自由がなにもないような気持ちになるのはなぜなんだろうか。
今日もわたしは朝六時に起きる。目覚まし時計の音で。遠い距離を通勤する夫に朝食を作るために。
コーヒーと野菜ジュースとパンとベーコンエッグを作って、夫を起こす。新聞を読みながら、テレビニュースを見ながらわたしの作った朝食を食べた夫は、スーツに着替えて会社に出かける。わたしは玄関で夫にキスして送りだす。ときにはキスなんかしたくないときもある。でも、わたしはわたしの気持ちをいつわって、形だけのいつわりのキスを夫にする。それで夫が安心することを知っているから。
いや、それで夫が本当に安心するわけでないことはわかっている。夫はただ、いつもがいつもであることを確認して、心の奥に不安をかかえながらもそれを無視する材料を得て家をあとにするだけ。それだけ。
洗濯物を全自動の機械にほうりこみ、掃除をしたあと、テレビニュースを見ていると、アラブの女性が出てきた。チャドルで全身、頭から足まですっぽりと隠している。そして彼女は怒っている。アメリカがアラブ諸国の神を冒涜することに。信仰の自由を侵すことに。でも、彼女自身はアラブの宗教に彼女自身の自由を束縛されていはしないのか。
わたしは宗教に自由を束縛されていないけれど、目に見えないものにがんじがらめにされているような気がする。自由に寝坊もできなければ、今日はキスしたくないといえないし、子どもなんか生みたくないと宣言することもできない。着る服はその日の気分で選んでいるけれど、結局はスカートの丈とか、流行の色とか、カジュアルすぎないかとか、なにかに束縛されているということではニュースに出ていたアラブ女性となにも変わらない。
思いきり寝坊して、夫にキスもしなければ、ミニスカートで街を歩いて男たちの視線を集めてみたいというのは、結局はわたしのなかの妄想――印刷されたコミックのような想像の世界でしかない。
洗濯物を干していると、ケータイが鳴った。
結婚前に付き合っていたカレ。ケータイのメモリからなぜか消せずにいた。三年ぶり。
「元気?」
「うん」
「どう? ひさしぶりに会わない?」
カレはまだひとりだと聞いている。会えばどうなるだろう。けっして幸福ではなかったけれど、幸福だったこともあるカレとのみじかい日々。
あのとき、わたしには、まだ羽があったように思う。いまはもうその羽はない。
いま、もう一度、羽を得たいと思う。カレとどうとかいうんじゃない。だれにもなにもいわれず、大地を離れ、自分の気持ちのおもむくままに空を飛ぶ。
青空はもう無理だろう。せめて夜の、まっ暗な空のなかを、羽をひろげて気のむくままに飛ぶ自由を、わたしは渇望している。
背をそらし、羽をひろげて、思いきり声をあげてみたい。
Authorized by the author
----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #42 -----
「A Flying Bird in the Dark」 水城雄
鳥になりたいと思う。
重力から解きはなたれ、ゴツゴツした地表を離れ、上昇気流に身をまかせてどこまでも飛んでみたいと思う。
人はわたしのことを、幸せな女だという。たしかにそのとおりかもしれない。住む家にも食べるものにも不自由のない生活。家のローンはあるけれど、明日のお金の心配をする必要はない。毎月、きちんきちんと一定額以上のお金がはいってくる。
結婚三年め。やさしくて、働き者の夫がいる。子どもがまだできないことが唯一の心配だけれど、それがなんだというのだろう。世間には子どものいない夫婦なんていくらでもいるし、いまのこの世に子どもを作ることのほうが、その子の将来をかんがえれば不安かもしれない。
でも、わたしのこの、牢獄に閉じこめられているような気持ちは、いったいなんなのだろうか。わたしがわたしでないような、自由がなにもないような気持ちになるのはなぜなんだろうか。
今日もわたしは朝六時に起きる。目覚まし時計の音で。遠い距離を通勤する夫に朝食を作るために。
コーヒーと野菜ジュースとパンとベーコンエッグを作って、夫を起こす。新聞を読みながら、テレビニュースを見ながらわたしの作った朝食を食べた夫は、スーツに着替えて会社に出かける。わたしは玄関で夫にキスして送りだす。ときにはキスなんかしたくないときもある。でも、わたしはわたしの気持ちをいつわって、形だけのいつわりのキスを夫にする。それで夫が安心することを知っているから。
いや、それで夫が本当に安心するわけでないことはわかっている。夫はただ、いつもがいつもであることを確認して、心の奥に不安をかかえながらもそれを無視する材料を得て家をあとにするだけ。それだけ。
洗濯物を全自動の機械にほうりこみ、掃除をしたあと、テレビニュースを見ていると、アラブの女性が出てきた。チャドルで全身、頭から足まですっぽりと隠している。そして彼女は怒っている。アメリカがアラブ諸国の神を冒涜することに。信仰の自由を侵すことに。でも、彼女自身はアラブの宗教に彼女自身の自由を束縛されていはしないのか。
わたしは宗教に自由を束縛されていないけれど、目に見えないものにがんじがらめにされているような気がする。自由に寝坊もできなければ、今日はキスしたくないといえないし、子どもなんか生みたくないと宣言することもできない。着る服はその日の気分で選んでいるけれど、結局はスカートの丈とか、流行の色とか、カジュアルすぎないかとか、なにかに束縛されているということではニュースに出ていたアラブ女性となにも変わらない。
思いきり寝坊して、夫にキスもしなければ、ミニスカートで街を歩いて男たちの視線を集めてみたいというのは、結局はわたしのなかの妄想――印刷されたコミックのような想像の世界でしかない。
洗濯物を干していると、ケータイが鳴った。
結婚前に付き合っていたカレ。ケータイのメモリからなぜか消せずにいた。三年ぶり。
「元気?」
「うん」
「どう? ひさしぶりに会わない?」
カレはまだひとりだと聞いている。会えばどうなるだろう。けっして幸福ではなかったけれど、幸福だったこともあるカレとのみじかい日々。
あのとき、わたしには、まだ羽があったように思う。いまはもうその羽はない。
いま、もう一度、羽を得たいと思う。カレとどうとかいうんじゃない。だれにもなにもいわれず、大地を離れ、自分の気持ちのおもむくままに空を飛ぶ。
青空はもう無理だろう。せめて夜の、まっ暗な空のなかを、羽をひろげて気のむくままに飛ぶ自由を、わたしは渇望している。
背をそらし、羽をひろげて、思いきり声をあげてみたい。
2010年2月23日火曜日
Airplane
(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #41 -----
「Airplane」 水城雄
飛行機が乱気流に突っこんだ
機体がゆれる
上下にゆれる
左右にゆれる
ガタガタゆれる
機内はとたんにアビキョーカン
子どもがさけぶ
女がさけぶ
男がうめく
みんな青ざめる
客室乗務員がシートベルトの金具を握りしめる
だれもが最悪の事態を予想する
ばあちゃんがホトケの名をとなえる
ぼくは安全のしおりをいまさらながらに確認する
ぼくは頭のなかで遺書を書く
お父さん お母さん 先立つ不幸をお許しください
いや お父さんはおととし死んでもういないんだった
生命保険にはいっておくんだった
ああ しかし 保険金はだれが受けとるんだろう
きみの顔が浮かぶ
ごめんよ まっ先に思い浮かべなくて
でも きみとはまだケッコンもしていないし
セックスだってまだ六回くらいしかしていない
そのうちの五回はぼくが早く終わっちゃったし
残りの一回は宅急便のお望みの人に邪魔された
ぼくが死んじゃったら きみはどんな顔をするんだろう
悲しむだろうか
まさか喜ぶなんてことはないよね
いや わかんないよね
きみはもう ぼくのことを嫌いかもしれないからね
なにしろ早いからね
でも ぼくはきみのことが好きだ
それははっきりしてる
こんなにきみのことを好きなぼくが
理不尽な事故で死んじゃうなんて
かわいそうすぎる
て思わない?
世の中 ぼくのような人がきっといっぱいいるにちがいない
突然に生きていることを遮断されてしまう人たち
自分の意思とき関係なしに 生きる道を奪われる人たち
これまでそのことに気づかなかったぼくを
かみさまはゆるしてくれるだろうか
いまさら遅いよね
死ぬ前にならなきゃこんなことにも気づかないおろかなぼく
でも 遅かれ早かれ 人は死ぬ
ぼくも死ぬ きみも死ぬ
お父さんはもう死んだし お母さんも死ぬ
魚屋のおばちゃんも ビデオショップのにいちゃんも死ぬ
総理大臣も天皇陛下も死ぬ
ブッシュもビンラディンも死ぬ
人間 死亡率 百パーセント おめでとう!
遺書にはなんて書けばいい?
と思っているうちに 飛行機はうそのように静かになる
乱気流を無事に脱出する
雲のしたにおりると そこには真っ青な海が見える
おもちゃのようにちいさな船が 白い航跡を描いている
世はこともなし
平穏無事そのもの
人々はすぐに恐怖をわすれて
平和のなかにもどっていく
着陸のとき ちょっとだけ遺書のことを思いだすけれど
また忘れて
ぼくもぞろぞろ 人ゴミのなかにもどっていく
Authorized by the author
----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #41 -----
「Airplane」 水城雄
飛行機が乱気流に突っこんだ
機体がゆれる
上下にゆれる
左右にゆれる
ガタガタゆれる
機内はとたんにアビキョーカン
子どもがさけぶ
女がさけぶ
男がうめく
みんな青ざめる
客室乗務員がシートベルトの金具を握りしめる
だれもが最悪の事態を予想する
ばあちゃんがホトケの名をとなえる
ぼくは安全のしおりをいまさらながらに確認する
ぼくは頭のなかで遺書を書く
お父さん お母さん 先立つ不幸をお許しください
いや お父さんはおととし死んでもういないんだった
生命保険にはいっておくんだった
ああ しかし 保険金はだれが受けとるんだろう
きみの顔が浮かぶ
ごめんよ まっ先に思い浮かべなくて
でも きみとはまだケッコンもしていないし
セックスだってまだ六回くらいしかしていない
そのうちの五回はぼくが早く終わっちゃったし
残りの一回は宅急便のお望みの人に邪魔された
ぼくが死んじゃったら きみはどんな顔をするんだろう
悲しむだろうか
まさか喜ぶなんてことはないよね
いや わかんないよね
きみはもう ぼくのことを嫌いかもしれないからね
なにしろ早いからね
でも ぼくはきみのことが好きだ
それははっきりしてる
こんなにきみのことを好きなぼくが
理不尽な事故で死んじゃうなんて
かわいそうすぎる
て思わない?
世の中 ぼくのような人がきっといっぱいいるにちがいない
突然に生きていることを遮断されてしまう人たち
自分の意思とき関係なしに 生きる道を奪われる人たち
これまでそのことに気づかなかったぼくを
かみさまはゆるしてくれるだろうか
いまさら遅いよね
死ぬ前にならなきゃこんなことにも気づかないおろかなぼく
でも 遅かれ早かれ 人は死ぬ
ぼくも死ぬ きみも死ぬ
お父さんはもう死んだし お母さんも死ぬ
魚屋のおばちゃんも ビデオショップのにいちゃんも死ぬ
総理大臣も天皇陛下も死ぬ
ブッシュもビンラディンも死ぬ
人間 死亡率 百パーセント おめでとう!
遺書にはなんて書けばいい?
と思っているうちに 飛行機はうそのように静かになる
乱気流を無事に脱出する
雲のしたにおりると そこには真っ青な海が見える
おもちゃのようにちいさな船が 白い航跡を描いている
世はこともなし
平穏無事そのもの
人々はすぐに恐怖をわすれて
平和のなかにもどっていく
着陸のとき ちょっとだけ遺書のことを思いだすけれど
また忘れて
ぼくもぞろぞろ 人ゴミのなかにもどっていく
2010年2月22日月曜日
左義長
(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
----- Urban Cruising #29 -----
「左義長」 水城雄
和太鼓の音だ。
仕事からもどり、玄関の戸をあけようとしたとき、それに気づいた。
そういえば、数日前から街の通りには、短冊が飾られていたっけ。今日は左義長祭だ。
はずしてしまっておいた正月の注連飾りを、物置から出してきた。
猫がものめずらしそうな顔で寄ってくる。
荒縄のにおいをかぎ、ちょいと手を出してさわる。
「だめよ。これから燃やしてもらいに行くんだから」
と妻がたしなめている。
猫を追いはらい、子どもと三人で玄関を出た。今度ははっきりと、和太鼓の音が耳にはいってきた。笛と三味線の音も聞こえるようだ。
「傘、いるかしら」
午後からやんでいた雪が、また降りはじめているようだ。毎年、この左義長の時期になると、なぜか一段と冷えこみが増し、雪になることが多い。
ジャンパーのフードを息子の頭にかぶせてやり、わたしたちは傘を開いた。
車の轍のあとにそって歩きはじめると、サワサワと傘に雪が降りつもる音が聞こえた。
街筋に出ると、雪が舞う中に短冊がひらめいているのが見えた。
赤、黄、緑の組み合わせ。
赤、白、青の組み合わせ。
三色の短冊が、通りの上に張りめぐらされた縄から無数にぶらさがり、雪と風にひらめいている。
息子がどこからか、とけた雪でびしょびしょになった短冊を拾ってきた。
「捨てなさい、そんなもの」
妻が即座に命令する。息子は残念そうにそれを道ばたに投げすてた。
最初の櫓が見えてきた。
最初の櫓の手前で、注連飾りを預けた。
竹で組んだ枠の中に、すでにたくさんの注連飾りが積みかさねられている。明日の夜、河川敷きでおこなわれるどんど焼きで、焼いてもらうのだ。
櫓のまわりにはもう見物の人の輪ができていた。
赤ん坊を抱いた父親と若い母親、ニコニコしたおばあちゃん、まっかな頬をした小学生、若いふたりづれ。
櫓の上では、中年の女性が弾く三味線と歌に合わせて、女物の長襦袢の尻をまくり、頬っかむりをした男がふたり、おおげさな動作で和太鼓をたたいていた。三味線の横では、別の男が笛を吹いている。豆しぼりに法被を着た子どもも、櫓の上にあがっている。どうやら、はやく交代してもらいたくて、うずうずしているらしい。
「ねえ、これおもしろいわね」
と妻が櫓の横にぶらさげられた行灯を指さした。
行灯に張られた和紙には、川柳が書かれている。それらをひとつひとつ読んでいくのも、左義長祭の楽しみのひとつでもあるのだ。
妻が指さした行灯には、川柳のほかに猫の寝姿も描かれていた。寝たふりしているが、猫は全部知っているんだぞ、という意味の、ちょっと色っぽい川柳だった。
「去年はたいへんだったわねえ」
私と同じことを、妻も思いだしたようだった。
そう、去年の左義長の日、ちょうどうちの猫がお産したのだった。
櫓の上で待機していた子どもに、ようやく順番が回ってきたらしい。ちょっと緊張した笑顔で立ちあがると、大人顔負けの動作で太鼓をたたきはじめた。
うまい具合に雪がやんでくれたようだ。
次の櫓へと移動する途中、わたしたちは傘をすぼめた。
街筋は車両通行禁止だ。かなりの人が通りを埋めつくすようにして、歩いている。半分以上が市外からやってきた人たちなんだろう。市の観光協会や商工会議所は、市の活性化をうたって祭の観光宣伝にやっきとなっている。その効果があらわれているのだろう。
私が子どもの頃には、こんなに人は多くなかったようにおぼえている。
「いまごろどうしているかなあ、あの子たち」
妻はまだ、去年生まれた子猫の話をつづけている。
息子もまだちいさかったっけ、去年は。たしか背中におぶっていた記憶がある。そうやって左義長をひととおり見物して家にもどってみると、猫のタマが四匹の子猫を産んでいたのだ。
火の気のない家の中の、それでもわずかにぬくもりが残っているらしい炬燵の下で、タマは途方にくれたような顔で子猫たちをながめていた。甘やかされて育った家猫だからだろうか、子猫の世話を自分ではできないようだった。
あやうく冷たくなりかけた子猫をタマから取りあげると、わたしたちはあわててうぶ湯を使わせてやった。大騒ぎをしてヘソのおと胎盤の始末をしてやり、寝床の用意をして子猫とタマをそこにいれてやったものだ。
そんなことを思いだしながら、ぼんやり櫓を見上げていると、人波に押されて息子の足を踏みつけそうになった。
ずいぶんひさしぶりに彼をだっこしてやりながら、私は思った。
この子が大人になったときには、祭はどのようになっているのだろうか。
Authorized by the author
----- Urban Cruising #29 -----
「左義長」 水城雄
和太鼓の音だ。
仕事からもどり、玄関の戸をあけようとしたとき、それに気づいた。
そういえば、数日前から街の通りには、短冊が飾られていたっけ。今日は左義長祭だ。
はずしてしまっておいた正月の注連飾りを、物置から出してきた。
猫がものめずらしそうな顔で寄ってくる。
荒縄のにおいをかぎ、ちょいと手を出してさわる。
「だめよ。これから燃やしてもらいに行くんだから」
と妻がたしなめている。
猫を追いはらい、子どもと三人で玄関を出た。今度ははっきりと、和太鼓の音が耳にはいってきた。笛と三味線の音も聞こえるようだ。
「傘、いるかしら」
午後からやんでいた雪が、また降りはじめているようだ。毎年、この左義長の時期になると、なぜか一段と冷えこみが増し、雪になることが多い。
ジャンパーのフードを息子の頭にかぶせてやり、わたしたちは傘を開いた。
車の轍のあとにそって歩きはじめると、サワサワと傘に雪が降りつもる音が聞こえた。
街筋に出ると、雪が舞う中に短冊がひらめいているのが見えた。
赤、黄、緑の組み合わせ。
赤、白、青の組み合わせ。
三色の短冊が、通りの上に張りめぐらされた縄から無数にぶらさがり、雪と風にひらめいている。
息子がどこからか、とけた雪でびしょびしょになった短冊を拾ってきた。
「捨てなさい、そんなもの」
妻が即座に命令する。息子は残念そうにそれを道ばたに投げすてた。
最初の櫓が見えてきた。
最初の櫓の手前で、注連飾りを預けた。
竹で組んだ枠の中に、すでにたくさんの注連飾りが積みかさねられている。明日の夜、河川敷きでおこなわれるどんど焼きで、焼いてもらうのだ。
櫓のまわりにはもう見物の人の輪ができていた。
赤ん坊を抱いた父親と若い母親、ニコニコしたおばあちゃん、まっかな頬をした小学生、若いふたりづれ。
櫓の上では、中年の女性が弾く三味線と歌に合わせて、女物の長襦袢の尻をまくり、頬っかむりをした男がふたり、おおげさな動作で和太鼓をたたいていた。三味線の横では、別の男が笛を吹いている。豆しぼりに法被を着た子どもも、櫓の上にあがっている。どうやら、はやく交代してもらいたくて、うずうずしているらしい。
「ねえ、これおもしろいわね」
と妻が櫓の横にぶらさげられた行灯を指さした。
行灯に張られた和紙には、川柳が書かれている。それらをひとつひとつ読んでいくのも、左義長祭の楽しみのひとつでもあるのだ。
妻が指さした行灯には、川柳のほかに猫の寝姿も描かれていた。寝たふりしているが、猫は全部知っているんだぞ、という意味の、ちょっと色っぽい川柳だった。
「去年はたいへんだったわねえ」
私と同じことを、妻も思いだしたようだった。
そう、去年の左義長の日、ちょうどうちの猫がお産したのだった。
櫓の上で待機していた子どもに、ようやく順番が回ってきたらしい。ちょっと緊張した笑顔で立ちあがると、大人顔負けの動作で太鼓をたたきはじめた。
うまい具合に雪がやんでくれたようだ。
次の櫓へと移動する途中、わたしたちは傘をすぼめた。
街筋は車両通行禁止だ。かなりの人が通りを埋めつくすようにして、歩いている。半分以上が市外からやってきた人たちなんだろう。市の観光協会や商工会議所は、市の活性化をうたって祭の観光宣伝にやっきとなっている。その効果があらわれているのだろう。
私が子どもの頃には、こんなに人は多くなかったようにおぼえている。
「いまごろどうしているかなあ、あの子たち」
妻はまだ、去年生まれた子猫の話をつづけている。
息子もまだちいさかったっけ、去年は。たしか背中におぶっていた記憶がある。そうやって左義長をひととおり見物して家にもどってみると、猫のタマが四匹の子猫を産んでいたのだ。
火の気のない家の中の、それでもわずかにぬくもりが残っているらしい炬燵の下で、タマは途方にくれたような顔で子猫たちをながめていた。甘やかされて育った家猫だからだろうか、子猫の世話を自分ではできないようだった。
あやうく冷たくなりかけた子猫をタマから取りあげると、わたしたちはあわててうぶ湯を使わせてやった。大騒ぎをしてヘソのおと胎盤の始末をしてやり、寝床の用意をして子猫とタマをそこにいれてやったものだ。
そんなことを思いだしながら、ぼんやり櫓を見上げていると、人波に押されて息子の足を踏みつけそうになった。
ずいぶんひさしぶりに彼をだっこしてやりながら、私は思った。
この子が大人になったときには、祭はどのようになっているのだろうか。
2010年2月20日土曜日
An Octpus
(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #38 -----
「An Octpus」 水城雄
「釣りたいんだけど、乗せてくれる舟はないかな」
英語で話しかけると、見るからに漁師風のまっ黒に日焼けした男は、無表情に彼を見返した。
通じないのか? それもやむをえない。イタリア語ですら通じないかもしれない。なにしろここはマルタ島なのだから。
それにしても、なぜおれはこんなところに?
あきらめて、英語が通じそうなところはないかとその場を離れかけると、思いがけず漁師が返事をした。
「わしの舟でよければ、乗りな」
そこそこの英語だ。強いなまりはあるが、意味はわかる。
「あんたの舟って?」
「そら、あそこに」
指さした先には、地元でルッツと呼ばれている派手な模様がペイントされた木造の小舟が見えた。このあたりの漁船だ。
「なにが釣れる?」
「なんだって。いまの時期だと蛸がいい」
「タコね……」
「あんた、日本人だろう。タコを食うだろうが。もっとも、知られていないことだが、わしらマルタ人もタコを食う。ちなみに、ギリシアの連中もな」
まあいい。釣果が目的ではない。ただなんとなく釣りをしてみたくなっただけだ。
学生時代、マルタで生まれたという同級生の女がいた。父親の仕事のために一家でそこに住んでいた。いい島だと彼女はいっていた。
学生のときに立ちあげた会社がたまたまうまくいき、若い起業家としてマスコミからもてはやされた。実際、業績ものび、株式上場するまでに急成長した。株によって多額の資金を手に入れ、結婚もして順風満帆に思われた矢先、インサイダー取引疑惑で内偵が進められているという情報がはいった。さらに、写真週刊誌にはアイドルタレントとの火遊びをすっぱ抜かれた。実際、少しのぼせあがっていたところはあると、自分でも自覚している。
ほとぼりをさますべく、ひとり、見知らぬ島に逃げてきた。妻にも行き先は伝えていない。来てみれば、乾いた砂ぼこりと、白い土壁ばかりの土地だ。なにもない。ただ、海と空は見たこともないほど美しかった。
丘の上のホテルの窓から、ちっぽけな漁船が浮かぶ湾をながめていて、唐突に「釣りでもするか」と思いたった。日本にもどれば、ほとぼりがさめるどころか、検察が手ぐすねひいて待っているのかもしれない。なぜか知らないけれど、いま、美しい海にわが身を浮かべてみたくなった。置きざりにしてきた妻も、まだ子どもといってもいいようなアイドルタレントのことも、いまはどうでもいい。
海に出ると景色が変わった。赤茶けた丘と、そこに建ちならぶ白い壁の家。海側から見るマルタの街は、ジオラマのようだ。
釣糸をたらしてしばらくすると、手ごたえがあった。ぐねぐねと抵抗する感触を力ずくで引張りあげると、いきなり墨を引っかけられた。
漁師が遠慮のない笑い声を彼に浴びせかける。顔の墨を指さして、ゲラゲラ笑っている。
「いいさ、そうやって笑ってろ」
どうせおれはそういう人間なんだ。これまでだって、けっこううまくやってきたように見えて、じつは無理してた。かっこばっかりつけてた。ほんとは笑われて、こきおろされて、馬鹿にされるのがちょうどいい男なんだ。かんがえてみれば、ガキのころからいつも馬鹿にされていた。だから見返そうと思って無理を重ねてきた。
こちらの日本語に対抗したのか、漁師が笑いながらマルタ語でなにかいう。もちろんなにをいっているのかわからない。
墨を引っかけた蛸は、ルッツの船底でぐにゃぐにゃと足をよじらせてあがいている。自分そっくりだと思った。
彼は着ているものを全部脱いだ。船べりに足をかけ、頭から思いきり海に飛びこんだ。
浮かびあがると、気でも狂ったのかという顔でこちらを見下ろしている漁師の顔があった。それを見て、彼は笑いだした。いましがた笑われた分まで笑い返してやった。
素っ裸のまま海面に仰向けになる。
漁師がなにかいっている。今度は英語かもしれない。波の音に消されて聞こえない。
真っ青な空と地中海の雲が、彼の網膜に焼きつけられる。
よし、日本に帰るか。帰ってまたひとあがきするか、と彼は思う。
Authorized by the author
----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #38 -----
「An Octpus」 水城雄
「釣りたいんだけど、乗せてくれる舟はないかな」
英語で話しかけると、見るからに漁師風のまっ黒に日焼けした男は、無表情に彼を見返した。
通じないのか? それもやむをえない。イタリア語ですら通じないかもしれない。なにしろここはマルタ島なのだから。
それにしても、なぜおれはこんなところに?
あきらめて、英語が通じそうなところはないかとその場を離れかけると、思いがけず漁師が返事をした。
「わしの舟でよければ、乗りな」
そこそこの英語だ。強いなまりはあるが、意味はわかる。
「あんたの舟って?」
「そら、あそこに」
指さした先には、地元でルッツと呼ばれている派手な模様がペイントされた木造の小舟が見えた。このあたりの漁船だ。
「なにが釣れる?」
「なんだって。いまの時期だと蛸がいい」
「タコね……」
「あんた、日本人だろう。タコを食うだろうが。もっとも、知られていないことだが、わしらマルタ人もタコを食う。ちなみに、ギリシアの連中もな」
まあいい。釣果が目的ではない。ただなんとなく釣りをしてみたくなっただけだ。
学生時代、マルタで生まれたという同級生の女がいた。父親の仕事のために一家でそこに住んでいた。いい島だと彼女はいっていた。
学生のときに立ちあげた会社がたまたまうまくいき、若い起業家としてマスコミからもてはやされた。実際、業績ものび、株式上場するまでに急成長した。株によって多額の資金を手に入れ、結婚もして順風満帆に思われた矢先、インサイダー取引疑惑で内偵が進められているという情報がはいった。さらに、写真週刊誌にはアイドルタレントとの火遊びをすっぱ抜かれた。実際、少しのぼせあがっていたところはあると、自分でも自覚している。
ほとぼりをさますべく、ひとり、見知らぬ島に逃げてきた。妻にも行き先は伝えていない。来てみれば、乾いた砂ぼこりと、白い土壁ばかりの土地だ。なにもない。ただ、海と空は見たこともないほど美しかった。
丘の上のホテルの窓から、ちっぽけな漁船が浮かぶ湾をながめていて、唐突に「釣りでもするか」と思いたった。日本にもどれば、ほとぼりがさめるどころか、検察が手ぐすねひいて待っているのかもしれない。なぜか知らないけれど、いま、美しい海にわが身を浮かべてみたくなった。置きざりにしてきた妻も、まだ子どもといってもいいようなアイドルタレントのことも、いまはどうでもいい。
海に出ると景色が変わった。赤茶けた丘と、そこに建ちならぶ白い壁の家。海側から見るマルタの街は、ジオラマのようだ。
釣糸をたらしてしばらくすると、手ごたえがあった。ぐねぐねと抵抗する感触を力ずくで引張りあげると、いきなり墨を引っかけられた。
漁師が遠慮のない笑い声を彼に浴びせかける。顔の墨を指さして、ゲラゲラ笑っている。
「いいさ、そうやって笑ってろ」
どうせおれはそういう人間なんだ。これまでだって、けっこううまくやってきたように見えて、じつは無理してた。かっこばっかりつけてた。ほんとは笑われて、こきおろされて、馬鹿にされるのがちょうどいい男なんだ。かんがえてみれば、ガキのころからいつも馬鹿にされていた。だから見返そうと思って無理を重ねてきた。
こちらの日本語に対抗したのか、漁師が笑いながらマルタ語でなにかいう。もちろんなにをいっているのかわからない。
墨を引っかけた蛸は、ルッツの船底でぐにゃぐにゃと足をよじらせてあがいている。自分そっくりだと思った。
彼は着ているものを全部脱いだ。船べりに足をかけ、頭から思いきり海に飛びこんだ。
浮かびあがると、気でも狂ったのかという顔でこちらを見下ろしている漁師の顔があった。それを見て、彼は笑いだした。いましがた笑われた分まで笑い返してやった。
素っ裸のまま海面に仰向けになる。
漁師がなにかいっている。今度は英語かもしれない。波の音に消されて聞こえない。
真っ青な空と地中海の雲が、彼の網膜に焼きつけられる。
よし、日本に帰るか。帰ってまたひとあがきするか、と彼は思う。
2010年2月18日木曜日
Soon
(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
----- Jazz Story #3 -----
「Soon」 水城雄
ベンチに腰をおろし、見上げると、桜はすっかり葉ばかりになっている。
そうか、もうそんな季節なのか。
彼は上着を脱ぎ、背もたれにかけた。
ふうっとため息をつく。
向かい側のベンチでは、黒いスーツを着た女子大生が、ひとりでポツンとサンドイッチを食べている。就職活動中なのだろう。
彼の会社にも、たくさんの大学生が訪問している。みな、懸命で、熱心で、そして若い。おれにもそのような時があったのだろう。もう20年も前のことだ。
まるで白亜紀の記憶のように思いだすこともできないが。
そしていま、ここには、仕事で疲れ、くたびれた中年の男がひとり、ぼんやりとすわっている。こんな新緑の季節だというのに。リクルート活動中の大学生たちも、いずれこのおれのように現実に直面し、くたびれ、すり切れてしまうのだろうか。
売上をのばせ、ただ飯を食うな、さもなきゃリストラだ。そんなことをいわれても、シュレッダーなんてそうそう売れるもんじゃない。朝はもう三件も回った。午後には四件回る予定だ。
人生は消耗という名の階段を果てしなくのぼりつづけるもののような気がする。
そういえば、さっき、コンビニで買った雑誌のことを忘れていた。弁当を買おうと思ったのだが、気が変わったのだ。昼飯のかわりに、雑誌。
十何年ぶりかで買った音楽雑誌。
ライブ情報のページを開いてみた。
と、彼のベンチに近づいてきたふたりのOLから問いかけられた。
「ここ、あいてます?」
「どうぞ。あいてるよ」
こたえながら見上げると、木漏れ日がまぶしかった。
ライブ情報のページには、知らないミュージシャンの名前がたくさんならんでいた。が、彼が若いころから活躍している名前も、ちらほらとある。
まだやってんだ、あいつ。
若い頃、ライブハウスで聴いたあの演奏。いまはどんな音を出しているのだろうか。彼より少し上の年齢のはずなのだ。
「これ、よかったらどうぞ」
ふいに横から声をかけられて、彼はびっくりした。
見ると、横にすわったOLたちが、こちらに顔を向けている。その手には、おにぎりの詰まった箱。
「作りすぎちゃったんです。よかったら食べてくれません?」
「喜んで」
「お茶もよければ」
「ありがとう」
彼は握り飯をひとつ取り、そして紙コップを受け取った。
水筒からお茶を注いでくれたOLは、二十四、五歳だろうか。
「おいしいですね」
「よかった。なにを読んでるんですか?」
「ジャズの雑誌。きみたちには興味がないでしょう」
「そんなことないです。興味はあるんだけど、なんだか難しそうで」
彼は読んでいたライブ情報のページをベリベリと破った。
雑誌をふたりに差し出す。
「これ、あげましょう。きっと最新のCDとかが紹介されてるから、よかったら聴いてみるといい」
「いいんですか?」
「私はこの部分だけで充分」
「なんですか、それ?」
「ライブハウスのスケジュール。ひさしぶりにライブでも聴きに行こうかなと思ってね」
春だからね、といいかけた言葉を、彼は飲みこんだ。
そう、階段をのぼりながらたまに休憩するのも、まんざら悪くない。
Authorized by the author
----- Jazz Story #3 -----
「Soon」 水城雄
ベンチに腰をおろし、見上げると、桜はすっかり葉ばかりになっている。
そうか、もうそんな季節なのか。
彼は上着を脱ぎ、背もたれにかけた。
ふうっとため息をつく。
向かい側のベンチでは、黒いスーツを着た女子大生が、ひとりでポツンとサンドイッチを食べている。就職活動中なのだろう。
彼の会社にも、たくさんの大学生が訪問している。みな、懸命で、熱心で、そして若い。おれにもそのような時があったのだろう。もう20年も前のことだ。
まるで白亜紀の記憶のように思いだすこともできないが。
そしていま、ここには、仕事で疲れ、くたびれた中年の男がひとり、ぼんやりとすわっている。こんな新緑の季節だというのに。リクルート活動中の大学生たちも、いずれこのおれのように現実に直面し、くたびれ、すり切れてしまうのだろうか。
売上をのばせ、ただ飯を食うな、さもなきゃリストラだ。そんなことをいわれても、シュレッダーなんてそうそう売れるもんじゃない。朝はもう三件も回った。午後には四件回る予定だ。
人生は消耗という名の階段を果てしなくのぼりつづけるもののような気がする。
そういえば、さっき、コンビニで買った雑誌のことを忘れていた。弁当を買おうと思ったのだが、気が変わったのだ。昼飯のかわりに、雑誌。
十何年ぶりかで買った音楽雑誌。
ライブ情報のページを開いてみた。
と、彼のベンチに近づいてきたふたりのOLから問いかけられた。
「ここ、あいてます?」
「どうぞ。あいてるよ」
こたえながら見上げると、木漏れ日がまぶしかった。
ライブ情報のページには、知らないミュージシャンの名前がたくさんならんでいた。が、彼が若いころから活躍している名前も、ちらほらとある。
まだやってんだ、あいつ。
若い頃、ライブハウスで聴いたあの演奏。いまはどんな音を出しているのだろうか。彼より少し上の年齢のはずなのだ。
「これ、よかったらどうぞ」
ふいに横から声をかけられて、彼はびっくりした。
見ると、横にすわったOLたちが、こちらに顔を向けている。その手には、おにぎりの詰まった箱。
「作りすぎちゃったんです。よかったら食べてくれません?」
「喜んで」
「お茶もよければ」
「ありがとう」
彼は握り飯をひとつ取り、そして紙コップを受け取った。
水筒からお茶を注いでくれたOLは、二十四、五歳だろうか。
「おいしいですね」
「よかった。なにを読んでるんですか?」
「ジャズの雑誌。きみたちには興味がないでしょう」
「そんなことないです。興味はあるんだけど、なんだか難しそうで」
彼は読んでいたライブ情報のページをベリベリと破った。
雑誌をふたりに差し出す。
「これ、あげましょう。きっと最新のCDとかが紹介されてるから、よかったら聴いてみるといい」
「いいんですか?」
「私はこの部分だけで充分」
「なんですか、それ?」
「ライブハウスのスケジュール。ひさしぶりにライブでも聴きに行こうかなと思ってね」
春だからね、といいかけた言葉を、彼は飲みこんだ。
そう、階段をのぼりながらたまに休憩するのも、まんざら悪くない。
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