2010年3月20日土曜日

群読シナリオ「Kenji」(3)

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----- 群読のためのシナリオ -----

  群読シナリオ「Kenji」(3)


  ピアノ、入る。
  ここから「ポエティック・インプロヴィゼーション」。
  ピアノとBとCによる。

(B・静)
 わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
 風景やみんなといつしよに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

(C・静)
 これらは二十二箇月の
 過去とかんずる方角から
 紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
 ここまでたもちつゞけられた
 かげとひかりのひとくさりづつ
 そのとほりの心象スケツチです

(B・動)
 これらについて人や銀河や修羅や海胆は
 宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
 それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
 それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
 たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
 記録されたそのとほりのこのけしきで
 それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
 ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

(C・動)
 けれどもこれら新生代沖積世の
 巨大に明るい時間の集積のなかで
 正しくうつされた筈のこれらのことばが
 わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
 すでにはやくもその組立や質を変じ
 しかもわたくしも印刷者も
 それを変らないとして感ずることは
 傾向としてはあり得ます

(B・静)
 すべてこれらの命題は
 心象や時間それ自身の性質として
 第四次延長のなかで主張されます

(C・静)
 大正十三年一月廿日
 宮沢賢治

  演奏、そのまま星めぐりの歌(Bパターン)へ。
  歌と演奏。
  一番が終わったら、ピアノBGMへ。
  全員、始めの位置へ。Aだけ中央へ。

A「夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。もう山
 焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見えません。よだかはのぼってのぼって行きま
 した。
 寒さにいきはむねに白く凍りました。空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせ
 わしくうごかさなければなりませんでした。
 それだのに、ほしの大きさは、さっきと少しも変りません。つくいきはふいごのようで
 す。寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺しました。よだかははねがすっかりしびれ
 てしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました」

  全員、ハミングで星めぐりの歌を静かに。
  歌いながら、全員Aのまわりに集まってくる。ひとかたまりになる。

A「そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼってい
 るのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただ
 こころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ました
 が、たしかに少しわらって居(お)りました。
 それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだ
 がいま燐(りん)の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見まし
 た。
 すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになって
 いました。
 そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
 今でもまだ燃えています」

  星めぐりの歌二番を歌手が歌う。
  歌が終わったら、かたまったまま、礼。
  終わり。

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