2009年11月16日月曜日

Something Left Unsaid

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----- Jazz Story #24 -----

  「Something Left Unsaid」 水城雄


 ひとり、湿った闇に横たわったまま、私は息子のことを思っている。
 離れて暮らしている私の息子。
 夕立をいまにももたらしそうに重く垂れこめた雲は、いまだにこぼれ落ちてこない。開け放った窓から、湿気をたっぷりと含んだ大気がとろりと流れこんでくる。
 窓を閉め切り、エアコンをつけようか、私は迷っている。
 湿った空気に身を横たえるたび、私は思い出す。あの朝のこと。
 谷の台地で私たちはキャンプをしていた。密生しているミゾソバを足で踏み倒して、テントを張る場所を作った。なぎ倒した草がちょうどいいクッションになった。
 息子はまだ七歳に満たなかった。汗をふきふき、懸命に動きまわっていた。
もう10年も前のことだ。
 夕暮れが近づくと、谷を渡っていくヨシキリの鳴き声が聞こえた。
 コオロギの声、モリアオガエルの声。
 寝袋にくるまって眠っている幼い息子の横で、私はウイスキーを飲んだ。懐中電灯の明かりのなかで、いつまでも息子の寝顔を見ていた。
 そのときも、いまにも降りそうに空気は湿っていた。
 そう、いまがそうであるように。

 私は暗闇のなかで起き上がり、グラスにウイスキーを注いだ。
 ひと口含む。
 熱いかたまりが、喉から腹の奥へゆっくりと落ちていく。
 コンポーネントに手を伸ばし、スイッチを入れた。FM局からは静かなジャズが流れてきた。
 コオロギの声もヨシキリの鳴き声も、ずっと聞いていない。息子とは電話でしか話していない。そのかわり、私は音楽を聴いている。
 ひとりで。
 こういう湿った空気の夜が来るたびに、私は思い出すだろう。あのときの息子の寝顔を。私のたったひとりの子ども。
 あの谷の空気のこと。川が流れる音。虫の声、鳥の声、カエルの声。ミゾソバのクッションの感触。
 彼はそのことを覚えているだろうか。
 私はラジオから聞こえるピアノの音色に耳をすました。知らない曲だ。柔らかな和音が、アルコールのまわりはじめた身体に気持ちよくしみこんでいく。
 明日、電話してみよう。
 私はふたたび身体を横たえた。
 ようやく雨が降りはじめたようだ。雨の音と、雨のにおいが、開け放った窓から流れこんできて、私の身体をつつみこんだ。

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