2012年10月23日火曜日

The Woman of Tea

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Authorized by the author

  「The Woman of Tea」
                       作・岡倉覚三/水城ゆう


 茶は薬用として始まり後飲料となる。シナにおいては八世紀に高雅な遊びの一つとして詩歌の域に達した。十五世紀に至り日本はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで進めた。茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々《じゅんじゅん》と教えるものである。茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。

 小さな箒で畳を小刻みに掃くような音をたてて茶を泡立てる。さっさっさっさっ。これまでに何度も繰り返してきた動作なのに、この音が彼に聞こえていると思うといつも緊張する。音の調子で彼は私のこころの乱れを聴きとっているのではないかと心配して、茶筅の動作が乱れないように注意しているのに、注意すればするほど手先に余分な力がはいってしまって動作が乱れるような気がする。ささっさっさっ。この音を彼は聴いているのだろうか。私の勝手な憶測なのだろう、彼はそんなことを気にもとめずに仕事に没頭しているにちがいない。そうは思うのだけれど、彼のことが気になってこれほどまでに緊張してしまうのは、私が彼にたいしていまだに、結婚していらいずっと、二十年以上にもなるというのにひけめを感じつづけているせいにちがいない。

 茶の原理は普通の意味でいう単なる審美主義ではない。というのは、倫理、宗教と合して、天人《てんじん》に関するわれわれのいっさいの見解を表わしているものであるから。それは衛生学である、清潔をきびしく説くから。それは経済学である、というのは、複雑なぜいたくというよりもむしろ単純のうちに慰安を教えるから。それは精神幾何学である、なんとなれば、宇宙に対するわれわれの比例感を定義するから。それはあらゆるこの道の信者を趣味上の貴族にして、東洋民主主義の真精神を表わしている。

彼は書斎の座卓に向かって正座し、黙々と仕事をつづけている。彼が仕事に使っているのは西洋ペンで、インキ壷にペン先をひたしては書きつづけている。ときおりペンを休め、肩肘をついて庭先をながめるが、その間もしきりになにかをかんがえているようだ。そうやってまたペンを動かしはじめる。ペン先からつむがれていく文字は私には読めない英国語で、彼は英国語をも流暢に話す。その巧みさはだれもおよぶ者がないほどだということを、私はいろいろな人から聞いている。無学な私が彼にひけめを覚えつづけていることのひとつの理由ともなっている。私が彼と結婚したのは、まだ十四歳のことだった。どうして学を身につけることができたろうか。

 日本が長い間世界から孤立していたのは、自省をする一助となって茶道の発達に非常に好都合であった。われらの住居、習慣、衣食、陶漆器、絵画等――文学でさえも――すべてその影響をこうむっている。いやしくも日本の文化を研究せんとする者は、この影響の存在を無視することはできない。茶道の影響は貴人の優雅な閨房《けいぼう》にも、下賤《げせん》の者の住み家にも行き渡ってきた。わが田夫は花を生けることを知り、わが野人も山水を愛《め》でるに至った。俗に「あの男は茶気《ちゃき》がない」という。もし人が、わが身の上におこるまじめながらの滑稽《こっけい》を知らないならば。また浮世の悲劇にとんじゃくもなく、浮かれ気分で騒ぐ半可通《はんかつう》を「あまり茶気があり過ぎる」と言って非難する。

茶筅を小刻みに動かし、充分に茶を泡立てる。先端からしずくが落ちないように茶筅をゆっくりと回しながら碗からはなし、脇に立てる。いまの音の乱れは夫に聴かれただろうか。さっさっささっ。茶柱虫という昆虫はこの茶をたてるようなかすかな声で鳴くという。しかし私は茶柱虫の鳴き声をいまだ聴いたことはない。夫は聴いたことがあるだろうか。聴いてみようか。大事な仕事をしている彼にそんなつまらない質問をするのはためらわれる。彼はまた来週にも横浜から出港する。今度はアメリカのボストンという街に行くのだそうだ。彼の頭のなかには茶柱虫のことなど想いうかぶすきまはないだろう。小さな盆に茶菓子と茶をのせ、私はおそるおそる書斎へと入っていく。

 よその目には、つまらぬことをこのように騒ぎ立てるのが、実に不思議に思われるかもしれぬ。一杯のお茶でなんという騒ぎだろうというであろうが、考えてみれば、煎《せん》ずるところ人間享楽の茶碗《ちゃわん》は、いかにも狭いものではないか、いかにも早く涙であふれるではないか、無辺を求むる渇《かわき》のとまらぬあまり、一息に飲みほされるではないか。してみれば、茶碗をいくらもてはやしたとてとがめだてには及ぶまい。人間はこれよりもまだまだ悪いことをした。酒の神バッカスを崇拝するのあまり、惜しげもなく奉納をし過ぎた。軍神マーズの血なまぐさい姿をさえも理想化した。してみれば、カメリヤの女皇に身をささげ、その祭壇から流れ出る暖かい同情の流れを、心ゆくばかり楽しんでもよいではないか。象牙色《ぞうげいろ》の磁器にもられた液体琥珀《こはく》の中に、その道の心得ある人は、孔子《こうし》の心よき沈黙、老子《ろうし》の奇警、釈迦牟尼《しゃかむに》の天上の香にさえ触れることができる。

 私が盆を畳の上に置くと、彼はすぐに気づいて身体をこちらに向け、ありがとうという。茶菓子を取って口にいれ、ゆっくりと味わう。菓子は練り菓子で、彼は歯を使わずに唇と上あごのあいだでつぶすようにしながら味わっている。その口の動きを私はしばらく見てから、あわてて目をそらす。濃い髭の間から見える唾液に濡れた唇の動きが、なにか見てはならない生々しいもののような気がしてしまう。その唇は私のものといってもいいというのに。その唇は私の夫のものなのに。

 おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖《そで》の下で笑っているであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮《さつりく》を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道――わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術――について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。

菓子を味わってから彼は無造作に茶碗をつかみ、茶をすする。彼がいま書いているのは『茶の本』なのだという。英国語で書いて、日本の茶の文化のすばらしさを世界に知らしめるという大切な仕事に取りかかっているのだ、と彼はいう。その本はニューヨークというところにある出版社から出版されるのだという。私の知らない世界。彼の世界。私の夫の私が知らない世界。さっさっさっ。

 いつになったら西洋が東洋を了解するであろう、否、了解しようと努めるであろう。われわれアジア人はわれわれに関して織り出された事実や想像の妙な話にしばしば胆《きも》を冷やすことがある。われわれは、ねずみや油虫を食べて生きているのでないとしても、蓮《はす》の香を吸って生きていると思われている。これは、つまらない狂信か、さもなければ見さげ果てた逸楽である。インドの心霊性を無知といい、シナの謹直を愚鈍といい、日本の愛国心をば宿命論の結果といってあざけられていた。はなはだしきは、われわれは神経組織が無感覚なるため、傷や痛みに対して感じが薄いとまで言われていた。

 私にも私の世界がある。私のなかにも彼の知らない世界がある。彼はそのことを想像したことがあるだろうか。机に向かい、むずかしい本を読んだり書いたりしている彼。日本の美術教育のために日々奔走している彼。日本と外国を行ったり来たり、外国人と流暢な英国語で議論を戦わしたりしている彼。そのいかめしい顔の奥に、十四歳で結婚し、子どもを産み育て、家をまもり、ささいな日々のことをすみずみまで気にし、気にやんで生きているちっぽけな女の世界について、想像が浮かんだことはあるだろうか。いけない、こんなふうにかんがえては。彼はきっと無学でちっぽけで私のことも全部わかりかんがえていてくれるにちがいないのだから。このようにかんがえるいやしい私のことも、彼は全部つつみこんでかんがえているにちがいない。さっさっさっ。すべてをみすかされているのかもしれないと思うと、私は彼の前にいる身が縮んでいってしまうような気がする。

 西洋の諸君、われわれを種にどんなことでも言ってお楽しみなさい。アジアは返礼いたします。まだまだおもしろい種になることはいくらでもあろう、もしわれわれ諸君についてこれまで、想像したり書いたりしたことがすっかりおわかりになれば。すべて遠きものをば美しと見、不思議に対して知らず知らず感服し、新しい不分明なものに対しては、口には出さねど憤るということがそこに含まれている。諸君はこれまで、うらやましく思うこともできないほど立派な徳を負わされて、あまり美しくて、とがめることのできないような罪をきせられている。わが国の昔の文人は――その当時の物知りであった――まあこんなことを言っている。諸君には着物のどこか見えないところに、毛深いしっぽがあり、そしてしばしば赤ん坊の細切《こまぎ》り料理を食べていると! 否、われわれは諸君に対してもっと悪いことを考えていた。すなわち諸君は、地球上で最も実行不可能な人種と思っていた。というわけは、諸君は決して実行しないことを口では説いているといわれていたから。

 私がたてた茶を飲みおえると、彼は身体の向きを変え、ふたたび座卓に向かって仕事をはじめる。彼の頭のなかでどれほどかむずかしく、私には理解のできない言葉やかんがえがうずまいているのか、私には知ることができない。しかし、私の眼にいま彼の姿が映っているように、彼の眼にも私の姿が映ることはあるだろう。彼がどれだけ私の知らない世界に行き、私の見ないものを見たとしても、彼はやはりここにもどってきて私の姿を眼に映し、私がたてた茶を味わうだろう。私はただそのことを思い、茶柱虫のようにかすかな存在であってもここにいて、この家にいつづけて、さやけき物音を立てながら生きつづけるだろう。さっさっさっ。さっさっさっ。

2012年10月11日木曜日

朗読者

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  「朗読者」
                            作・水城ゆう


 つづける。つづける。読みつづける。彼は読みつづける。彼は読みつづける。
 彼は読みつづける。老人に向かって。若者に向かって。少女に向かって。会社員に向かって。学生に向かって。浪人生に向かって。美大生に向かって。音楽家に向かって。小説家に向かって。プログラマーに向かって。デザイナーに向かって。クラリネット奏者に向かって。陶芸家に向かって。パティシエに向かって。女に向かって。あなたに向かって。
 彼は読みつづける。学校の校庭で。ギャラリーで。飲み屋の一角で。ホールで。講堂で。集会所で。アトリエで。往来で。商店街で。森のなかで。海辺で。多くの人々の前で。少しの人の前で。被災地で。戦火のなかで。あそこで。ここで。
 彼は読みつづける。日にあたりながら。ライトに照らされながら。雑踏に声をかき消されながら。子どもにからかわれながら。着信音にさえぎられながら。オルガンを聴きながら。エンヤに包まれながら。居眠りする老人を気にしながら。あなたを見ながら。
 来る日も来る日も彼は読みつづける。
 あなたは彼が読みつづけていることで世界がありつづけることを知る。彼が読みやめるときが来ることなどあなたは想像することができない。世界がありつづけるかぎり彼は読みつづけるだろう。彼が読みやめるその瞬間をあなたは知ることはない。
 しかしそのときはたしかに来る。
 彼は読みつづける。それが過去形になるときがたしかにある。しかしいま、彼は読みつづける。あなたに向かって。

2012年8月22日水曜日

ギターを弾く少年

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  「ギターを弾く少年」
                            作・水城ゆう



  ギター演奏から。
  ゆったりと静かだが、メジャーキーの曲想で。
  しばらくギター演奏。のあと、朗読が演奏にかぶさってはいる。

 風が吹いていました。
 もう夕方に近くなっていましたが、まだ日がさしていました。
 まだ春は来ていなかったけれど、今日は暖かい一日だったのです。
 やわらかな風が木々を歌わせていました。おだやかなリズムと暖かなハーモニーをかなでていました。森が音楽をかなでていたのです。
 その森のなかから、男の子はやってきました。

  ギター演奏がゆっくりと終わる。
  演奏が終わるのを待ってから。

 男の子はストラップを肩から斜めにかけて、ギターを背負っていました。身体の割にいかにもギターは大きく見えましたが、よく見るとギターは普通の大人用のものよりひとまわり小さいのです。それでも男の子には大きすぎるほどでした。
 ほかには男の子はつばのある帽子を目深にかぶっていて、そのせいでどんな表情なのかよく見えませんでした。そして大きな革靴を履いていました。革靴は靴ひもが締まっていましたが、長すぎるせいで蝶結びの部分は大きくなって地面に少しこすれていました。
 着ているものは質素なズボンとセーターだけ。セーターは首と肘のところにほころびがありました。
 森のなかから出てきた男の子は、森のはずれに切り株を見つけると、そちらに近づいていきました。その様子をさっきからずっと、ひとりのおじいさんが見ていました。おじいさんは天気がいいと、毎日この森のはずれの広っぱにやってきて、小川のへりにある古い柳の切り株に腰をおろしてひなたぼっこをするのが習慣なのです。
 少年が切り株を吟味し、身体をかがめてフッとほこりを吹きはらってから、そこに座るようすを、おじいさんは全部見ていました。少年はおじいさんに気がついているのかいないのか、こちらには目を向けません。でも、そう遠くはないのです。小川のへりに何本かはえているクルミの木を二本ばかり渡せば届きそうな距離なのです。
 少年は切り株に座ると、背負っていたギターをぐるっと身体の前に回し、抱えました。そしてしずかにギターを弾きはじめました。

  静かなアルペジオだけの演奏、しばらく。
  その演奏にかぶせて。

 少年の指には大きすぎるように見えるギターから、静かな音が聴こえてきました。その音は風が歌わせている森のざわめきに溶けこみ、ひとつの曲をかなでているみたいでした。
 森のなかからは鳥のさえずりも聴こえてきました。鳥はまるで森と少年のギターの伴奏にあわせてメロディを歌っているみたいでした。
 別の種類の鳥もさえずりはじめました。メロディが重なり、ハーモニーのように聴こえます。おじいさんは思わず耳をそばだたせました。
 そういえば、しばらく音楽を聴いていなかったことを思い出しました。しばらくどころか、この以前にいつ音楽を聴いたのか、思い出せないほどです。若いころはあんなに夢中になっていろいろな音楽を聴いていたというのに。しかしこのごろは森の音や鳥のさえずり、小川のせせらぎがあるので、音楽を聴く必要がなくなっていたのです。

  アルペジオの演奏、続く。
  コードとアルペジオパターンはゆっくりと変化していく。
  しばらくの間を置いて。
  朗読が始まったら徐々にギターは抜けていく。

 いつのまにか、ひろっぱに女の子の手を引いたお母さんらしき人と、おばあちゃんらしき人がやってきていました。街のほうから来たようです。おじいさんも見覚えのある人たちでした。時々おかあさんと女の子、あるいはおばあちゃんと女の子、そしてたいていは三人でこの広っぱに来て、しばらく遊んで帰るのです。
 三人はすぐに男の子に気づき、しばらく見ていましたが、女の子がお母さんの手を振りほどいて男の子のほうに駆けていきました。お母さんは「待って」と口を開きかけましたが、間に合いませんでした。そこでお母さんも女の子を追って少年に近づいていきました。
 女の子が男の子の前に立つと、男の子は演奏をやめました。そして女の子を見ました。ふたりは同じくらいの年に見えました。女の子のほうが少し小さいかもしれません。
 追いついてきたお母さんが少年を見下ろすと、いいました。
「こんにちは。ギター、上手なのね」
 少年はお母さんのほうを見上げましたが、なにもいいません。挨拶もしません。
 お母さんはちょっと困った顔になりましたが、またいいました。
「どこから来たの? あなた、ひとり? お母さんかお父さんはいないの?」
 男の子はなにも答えません。
 おばあちゃんが横からいいました。
「ぼく、お話はできる?」
 なにもいいません。お母さんがいいました。
「どこか悪いのかしら。見たところ病気でもなさそうだし。迷子かしら」
「警察に届けたほうがいいかねえ」

  ギター、コードストロークでリズミカルに入る。
  マイナーキーのコード進行。
  徐々に激しく。
  ギターにかぶせて。

 急に風が強まってきました。
 冷たい風が森をざわつかせながらやってきて、広っぱのみんなに吹きつけてきました。鳥のさえずりはいつのまにか聴こえなくなっていきました。
 みんなは思わず首をすくめて、襟をかきあわせました。
 そのとき、女の子が男の子にいいました。
「寒くない?」

  ギターのコードストロークが、にわかに静かになり、コード進行も変化する。

「あたしの上着、貸したげようか」
 男の子は首を横に振りました。それを見て、みんなは初めて、男の子が話を聞いて理解していたことがわかりました。
 それまでこちらでだまって見ていたおじいさんがゆっくりと立ちあがると、みんなのところへ歩いていきました。

  ギター演奏、とまる。

 おじいさんに気づいた三人が振り返りました。おじいさんは三人に黙ってうなずくと、少年の前に立ち、いいました。
「この風は天気が変わる前兆だ。日が暮れるし、これから急に冷えてくるよ。もうお家にお帰り」
 それを聞いたお母さんがいいました。
「この子のこと、知っておられるんですか?」
「いや、知らない子だ」
「どこに住んでるのかしら」
「わからない。しかし、帰るところはあるんだろう。私たちが詮索する必要はないだろうさ」

  ギター演奏。今度は曲。できればメロディをともなった曲。
  すぐに朗読はいる。

「お腹、すいてない?」
 女の子がききました。男の子が答える前に、女の子は背中にせおっていた小さな鞄をおろすと、中からリンゴをひとつ取りました。
「これ、あげる」
 リンゴが少年に手渡されました。
「ありがとう」
 少年がそういうのを聞いて、みんなちょっとびっくりしました。
 少年は立ちあがり、リンゴをズポンのポケットに入れると、ギターをぐるっと背中のほうに回しました。
 少年はやってきたときとおなじように、また森のなかへと帰っていきました。ズボンのポケットが大きくふくらんでいるのが、みんなにも見えました。
 風がすこしおさまり、森のざわめきのなかにまた鳥の声がもどってきていました。
「また会える?」
 女の子がそうたずねましたが、男の子の答える声は聞き取れないまま、森の中へと消えていきました。
「きっとまた会えるさ」
 おじいさんがそういうと、女の子はおじいさんを見上げ、ニコッと笑ってから、お母さんとおばあちゃんの手を求めてつなぎました。

2012年6月19日火曜日

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   「蛍」

 日が暮れるのを待ちわびて、ぼくらは夜の道に出た。
 ぼくらというのは、小学校にあがったばかりの四歳下の妹とぼく、そして父と母の四人のことだ。
 夕方にさっと通りすぎた通り雨のにおいが夏の強い日射しの名残を残した地面から立ちのぼり、それがこれから行こうとしている水場のことを予感させて、ぼくと妹は興奮ぎみだった。
 ぼくは竹箒、妹はうちわを持っている。これで蛍をとろうというのだ。
 父が数年前、市街地の一番はずれに新築した家は、国道を越えると繊維工場と田んぼしかなかった。しかし、そろそろ国道の向こう側にも田んぼを造成して家が建ちはじめていた。
 ぼくが小学校にあがったばかりのころは、まだ田んぼに「肥《こやし》」をまいている光景が見られたものだったが、このごろは太いホースのような長い袋を田んぼの上にわたして、ふたりがかりで白い農薬をまいている光景に変わっていた。それにともなって、学校帰りによく用水路にはいりこんでカワニナを採っていた遊びも、カワニナそのものがいなくなってしまってやらなくなっていた。もっとも、高学年になるとそんな子どもっぽい遊びはやらなくてもいいと思っていた。
 家の庭に面した縁側にすわっていると、蛍が池の上をちょくちょく横切ったものだが、最近ではそんな光景も見られなくなってしまった。市街地やその近くにはもう蛍は来なくなってしまったのだった。
 でも、山際の、山間部の水門から直接引いてきている用水路のあたりには、蛍がたくさんいることをぼくは知っていた。
 国道を渡って、まだ家もまばらな田んぼ道を歩いて、山際のほうに向かう。明かりがだんだん少なくなってきて、山裾の用水路に近づいたころにはほとんど真っ暗で、道路と田んぼの境界すらわかりにくいほどだ。
「田んぼに落ちないように気をつけろよ」
 父が注意をうながす。
 夜空を見上げると、満天の星。目をこらすと白鳥座のあたりに天の川が見えた。
 流れ星が見られるといいのに、とぼくは思ったけれど、それはかなえられなかった。ペルセウス座流星群の時期にはまだ早かった。
 目的地である山際の用水路のところまでやってきた。
 待つまでもなく、ぼくたちはすでに蛍の光のまっただなかにいた。たくさんの青白い光が点滅をくりかえしながら、不規則な航跡を描いてぼくらを取りかこんでいる。
 そばにある用水路から水の音が聞こえている。そちらのほうから無数の光が沸きあがってくる。羽化したばかりの蛍が乱舞しているのだ。
 ぼくは竹箒をふるって光をからめとり、つかまえた蛍を虫かごにそっと入れた。何匹も入れた。妹もうちわで払い落とした蛍をつかまえて、虫かごに入れた。
 そうやって十数匹の蛍をつかまえたぼくたちは、また真っ暗な道を引き返して家にもどった。
 その夜、ぼくと妹は、蛍を入れた虫かごを枕元に置いて寝た。虫かごにはススキの葉っぱもいっしょに入れてあり、池の水に虫かごごとつけて水滴をつけてあった。
 布団にもぐりこんで虫かごを見ると、虫かごの中で蛍が音もなく点滅を繰り返している。ぼくはそれを飽きることなく見つめていた。
 蛍の虫かごからは、すこしツンと鼻をつく、独特のにおいが流れてきた。それが蛍のにおいなのだとぼくは思った。
 光を見ているといつまでも眠れないような気がしたけれど、もちろんそんなことはなく、ぼくはいつの間にか眠ってしまっていた。
 朝、目覚めると、明るい日差しのなかで、蛍は黒い炭のかけらのように、ススキの葉っぱのあいだにわずかに確認できるくらいだった。
 その虫かごをそのあとどうしたのかは、結局思いだすことはできない。

2011年8月9日火曜日

ラジオを聴きながら

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   「ラジオを聴きながら」

 ラジオを聴きながら、私の主人は手紙を書いている。私はそれを、いつものように窓枠の上に身体を丸めて見ている。
 アナログ放送終了とかを機に、主人はテレビを見るのをやめた。かわりにいつもラジオがついている。必要があればケータイの地デジがあるからいいのだと、彼女はいう。たしかにそうだろう。私は前から、にんげんがなぜあのような箱に映る、うるさく動く絵を熱心に見るのか、よくわからなかった。テレビを見るのをやめた主人は、すこし猫にちかづいたような気がして、私はうれしい。
 手紙を書きながら、私の主人はまた泣いている。
 回収業者がテレビを運びだしていったとき、主人はほっとしたような顔をした。彼女がテレビを憎んでいるのを私は知っていた。テレビはあの日以来、何度も海が押し寄せるのを映し出し、いまになっても隙をみてその映像を流そうとする。
 彼はあの海のむこうに消えた。その海は私の生まれた場所だ。
 われわれはだれかが先にいっても泣いたりはしない。その時が必ずやってくることは知っているし、泣いてもその事実が変わるわけではないことを知っているからだ。私にもその時は必ずやってくる。ほぼ間違いなく、私は主人より先にあちらに行くだろう。
 私がいなくなったら主人はまた泣くだろうか。たぶん泣くのだろう。にんげんは猫よりずっと長く生きるせいで、死に対しておろかになりすぎている。死が遠くにあるせいで、死がどういうものなのかわからなくなっている。
 私がここに、この主人の家にやってくる前は、あの海の街で生まれ、しばらく暮らした。彼が私を主人に引きあわせ、ここにやってきた。
 彼は海の仕事をしていて、家は海べりにあった。その家のことはいまでもよく覚えている。古い家で、建ってからもう七十年もたっているという。その家が建つ前はそのあたりにはなにもなかったのだとも。そのあたりにはただ海岸があり、波が打ちよせ、風が吹きつけるだけだった。
 いまでも波は打ちよせ、風が吹きつけているだろう。カモメが風に逆らって長く伸ばした羽をひらひらさせながら、細長い声をあげているだろう。浜昼顔や月見草が風になびき、アブが羽音を立てて飛んでいるだろう。水平線の向こうからやってきた雲は、ゆっくりと近づき、やがて山の向こうに流れていくだろう。
 日が沈み、星が出るだろう。ペルセウス座の方角に流れ星が生まれ、そしてまたすぐに消えていくだろう。
 彼の生も死も、私の生も死も、主人の生も死も、みなおなじことなのだ。それは海と風と星のなかにある。
 そんなこともわからない主人は、届かない彼への手紙を書きながら、涙を流している。私はただそんな彼女をだまって見つめている。
 ラジオからは聴いたことのない音楽が、この部屋と世界をつなぐゆりかごのように、静かに流れてくる。

2011年5月31日火曜日

繭世界

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   「繭世界」


指先からつむがれた透明な音が長     私は生まれつつあった。
い尾を引いてからたちの刺にから     同時に死につつあった。
みつき真っ青な空の雲を誘惑する
梅雨が明けたばかりの夏の繭。き     世界は開かれつつあった。
らりと眼のすみを横切るのは塩辛     同時に閉じられつつあった。
蜻蛉か青条揚羽かふと顔を向ける
と自転車がもんどり打って倒れよ     闇に光が射しこみつつあった。
うとしていた繭。幾重にも連なっ     同時に闇に閉ざされつつあった。
ていつまでも打ち寄せてくる波の
向こうに見えるのは外洋航路に向
かうコンテナ船の色とりどりの繭。    我々は時間の軸を直線的に生きる
あなたは眼を閉じ身体を丸め折り     わけではない。
曲げた脚を両手で抱えるようにし     時間はからまりあった糸のように
ている。あなたが目覚めているの     もつれ行きつ戻りつしている。
か眠っているのかはあなた自身に     昨日は今日であり、今日は昨日で
すらわからない。閉じた眼の奥で     もある。
線香のようにイメージが交錯する。    昨日の出来事はまだ起こっていな
濡れたアスファルトの上をどこま     いことでもあり、明日の出来事は
でもつづいて伸びる烏の切断され     すでに起こっていることでもある。
た首から流れ落ちた赤い繭。これ
は考えているのか、それとも夢見
ているのか、あるいは幻覚なのか。
あなたは自分が何者なのかは知ら
ないが、ここに来る前にいた場所     津波は来たのかもしれないし、ま
のことはぼんやりと思い浮かべる     だ来ていないのかもしれない。
ことができる。青い海。青い空。     これから来るのかもしれないし、
打ち寄せる波。海岸線を不規則に     すでに来てしまったのかもしれな
区切る岩山の上には沖からの強い     い。
風で斜めにかしいで生えている細
長い松の木が何本か見えている。
波打ち際を歩いていたような気が
する。貝殻を拾い集めていたよう
な気がする。巻貝のからっぽの口     からまりあった糸が作る境界で、
を耳に押し当ててみたような気が     死者と生者が交錯する。
する。あなたは海が好きだったよ
うな気がする。しかしあなたが生
まれたのは海の見えない土地で、
いつも四方を山に囲まれたくぼん
だ場所だったような気がする。太     これは幻視なのか、それとも現実
陽は東にそびえる山脈の高い位置     なのか。
から遅くのぼり、西にも連なる山
々の高い場所に早く沈んだ。夏で
も一日は短く、そのくせ風も吹か
ずやたらと暑い土地だった。海の
近くに住んでみて、太陽が出てい     すべてが不確実なことをだれもが
る時間が長いにもかかわらずいつ     知っている。
も風が吹いて涼しく、見晴らしが
よいことにおどろいた。空がこん
なに広い場所があるということを
あなは知って驚いた。あなたはこ
の地に住むことを決めたような気
がする。それを後悔してはいない。
あなたは自分が何者でどこから来
たのか、どこへ行こうとしている
のかもわからない。そもそもどこ
かへ行く必要があるのだろうか。
あなたはいつからこの繭のなかに     どこかでだれかかが繭をつむいで
いるのかもわからない。だれかに     いる。
試されているのか。だれかに観察
されているのか。だれかに飼われ     我々は時間軸の糸によって繭のな
ているのか。そもそも人間なんて     かにからみとられていく。
そのようなものでどちらでもかま     いまはまだ蛹ですらない未熟で愚
わない。ふいにはっきりした思考     かな存在だ。
があなたの前頭葉に浮かぶ。同時 
に、ここへ来る前にあなたが見て
いたことを思い出したような気が     我々愚かな芋虫がこざかしい知恵
する。赤い血で染められたアスフ     を振りかざし、あたりをいくばく
ァルトがでたらめなダンスを踊り     か汚したところで、繭をつむぐ者
烏の首をはねた電線が喉を病んだ     がなにを気にするというのか。
テノール歌手のように歌っていた。
四角い木綿豆腐が腐って爆発し腐
臭をあたりにまき散らしていた。
溶岩のように熱く重い水に巻かれ
ながらあなたはそれを見ていたよ
うな気がする。水は時間そのもの
でありあなたはそれにからめとら
れてこの繭のなかへとやってきた。
もはや生きているのかも死んでい     もう眠ろう。
るのかもわからないしそんなこと     眠ってしまおう。
はどちらでもかまわない。ただい
まはもう時間のなか深いどろどろ     暖かな繭の奥深くで、どろどろの
の眠りへともぐり降りていくばか     液体に満たされた蛹になってしま
りだ。あなたのなかからなにか生     おう。     
まれてくるかどうかはだれもわか     
らないしそこにはもちろんあなた     生まれつつあると同時に、死にゆ
はもういない。             く存在になろう。
                              (おわり)

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2011年5月29日日曜日

帰り道

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  「帰り道」


 夜の帰り道
 線路脇で星空を見上げるのが癖になった
 東京の空は明るくて
 星はいくらも数えられない
 遠いふるさとの空には数えきれない星がある
 電車が通過する音を聴きながら
 そんなことを思う

〈地の光は絶え
 築けしものも流れた
 多くの魂が去り
 幾万の涙が流れた〉

 月のない夜
 春が去っていく夜
 かすかな星明かりをさがして
 失われたものを思う

 それでも風は吹き
 波は打ち寄せ
 木々は芽吹いて青々と茂る
 それでも星は輝き
 夜明けはやってくる
 それでも人々は生き
 涙は笑顔に変わる

 朝になれば線路脇では
 ヒバリがさえずるし
 ハナミズキが咲きかけている
 紫陽花さえもうじき咲きそうだ