2016年11月14日月曜日

ロード・オブ・ザ・カッパン

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   ロード・オブ・ザ・カッパン

                           水城ゆう


 いとしいシトよ。
 知ってのとおり、いまや、わしらの仲間の多くが死にたえた。生きのこったのは、このとおり、わしらわずかな者だけで、それも皆そろっているわけではない。途中で息絶えた者もいれば、行方知れずになった者もおる。連れ去られた者も何人かおるのは知ってのとおりじゃ、いとしいシト。
 しかし、生きのこっておる者は年月を重ねているとはいえ、おおむね元気じゃ。
 これを見よ、いとしいシトよ。まだ輝きとずっしりとした重みを失っておらんこのカツ爺を。このカツ爺の、鋭さをまだ失っていない頭部の刻みにインクを乗せ、紙にくぼみができるほど強く押しつけて黒々としるしを残す日を夢見ておる。
 その日は近い、いとしいシトよ。わしらがふたたび立ちあがる日がもうそこに来ようとしている。
 いまや世界はア・ドビ族やモ・リサーワ族に支配されておる。辺境にもリ・コピ族やリ・ソグラーフ族がモロドールをねらってうごめいておる。これらはいずれも、わしらを裏切って最初に世界を支配しはじめたシャーショク人の子孫じゃ。シャーショク人がバイオテクノロジーによってさらに電算シャーショク人へと進化したとき、ア・ドビ族、モ・リサーワ族という突然変異が世界を覆いつくしたのじゃ。
 彼らの欲はとどまるところを知らぬ。すべてを覆いつくし、食いつくしてもなお、世界を拡大させようとしておる。
 しかし、いとしいシトよ、彼らが生みだす紙にはあのかぐわしきくぼみがないではないか。わしらはかぐわしきくぼみを作ることができる。それはくっきりと、指でなぞればあたかも点字を読むかのようにそのまま読めるかもしれぬという魅力を感じるものじゃ。
 わしらの名前を聞いてくれ、いとしいシトよ。
 そう、わしらの名前はカッパン。
 カッパン、カッパン、カッパン。
 形ある活字、それがカッパン。
 いまわしらはふたたび立ちあがる。バーチャルイメージにおおいつくされた世界のなかで、重たき鉛を屹立させ、実体としての活字を復活させるのじゃ。
 カッパン、カッパン、カッパン。
 いざ足並みをそろえ、モロドールの地をともにめざさん!

2016年10月26日水曜日

編む人

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   編む人

                           水城ゆう

最初のループを引きしめて、鎖編みでつくり目をひとつ。できた。編み目の大きさを確認してから、ふたつめのつくり目。みっつめのつくり目。よっつ。いつつ。ろく。なな。はち。きゅう。じゅう。じゅういち。じゅうに。これでつくり目が十二目。できた。ひと目鎖で立ちあげて根元にかぎ針を差しこんでこま編みをひと目。その目にもう一回差しこんでこま編みをふた目。隣の鎖を拾ってみっつめのこま編み。また隣に移ってよっつめのこま編み。いつつめのこま編み。むっつめ。ななつめ。やっつめ。ここのつめ。じゅう。じゅういち。じゅうに。じゅうさんでつくり目の最初の鎖まできた。このつくり目にあとひとつこま編みを編んで一段めができた。あなたは作られて五十年もたったくるみ材の肘掛け椅子に腰をかけている。右手には八号のかぎ針、左手からは白い毛糸が床に置かれたかごのなかの毛糸玉へとのびている。あなたの前にはどっしりとした鋳物の薪ストーブが置かれ、ガラス窓越しにゆったりと揺れるオレンジ色の炎が見える。
(二回目はコーダにすすむ)

あなたは安心してくつろぎ、満ち足りているように見える。老眼鏡の奥の瞳はおだやかに編み目を追い、手の動きもせわしなさはない。あなたはたぶん手提げかばんを編んでいるのだが、だれのためのものなのかはわからない。だれかに編んであげると約束したような気もするが、それがだれなのかは忘れてしまった。ひょっとしたら孫娘なのかもしれない。孫は自分の娘の娘だが、今年十歳になったばかりだと思う。それともそれは去年のことだったろうか。とにかく、孫娘がおばあちゃん編み物上手ねといい、おまえにもなにか編んであげようかといい、うん編んであたし毛糸の帽子がいいなと孫娘がいい、そうかいじゃあ暖かい毛糸の帽子を編んであげようねといい、そのことをあなたは忘れてしまっていま手提げかばんを編んでいる。孫娘が本当は二十三で来月には結婚式をあげる予定であることも忘れている。孫娘とその母親、つまりあなたの娘が、あなたが結婚式に出られるかどうかでちいさないさかいを起こしていることも、あなたは知らない。ひと目鎖を立ちあげて二段めに取りかかる。二段めもこま編みで編み進める。いち。に。さん。し。ご。ろく。しち。はち。きゅう。じゅう。じゅういち。じゅうに。これまでどのくらい編んだろうか。数え切れないくらいたくさん編んだ。マフラー、帽子、かばん、セーター、靴下、ひざ掛け、カーディガン、クッション、シュシュ、エコたわし、コースター、ドアノブカバー、ポーチ、ポシェット、ペンケース。あなたが編み物をはじめたのは割合遅くて、もちろん学生時代はクラスメートといっしょにマフラーを編んだりしたこともあったのだが、受験が忙しくなったり、課題に追われたりといつしか遠ざかっていたあと、結婚し長女をみごもり、仕事を一時中断したときに再開した。三段めもこま編みで一周してから、四段めから模様編みで進めることにする。かわいい模様にしよう。女の子に気にいってもらえるように。あなたは自分もお気に入りの玉編みにしようと思う。中長《ちゅうなが》編み三目をひとつの目に編み入れる中長編み三目の玉編み模様にしよう。四段めの最初を鎖三目で立ちあげたら、まずは未完成の中長編みをひとつ編んで三目めのこま編みの頭に引き抜く。未完成の中長編みのふたつめをおなじところで引き抜く。未完成の中長編みのみっつめをおなじところで引き抜く。そして最後に中長編みの未完成になっているループを一気に引き抜けば、玉編みがひとつ完成だ。ひとつ鎖でつないで、つぎの中長編み三目の玉編みに取りかかる。いまはそんなことをかんがえもしないけれど、かつてはかんがえていたことがある。編み物はなにかに似ていると。そう、たとえば、あなたが生涯を捧げようと決意していた音楽。あなたは好きになった同級生のために、ラジオを聴きながらマフラーを編んでいた。FMラジオで、そのときクラシック音楽の番組が流れていて、クラシックだけれど現代に近い作曲家の音楽が聴こえてきた。トランペットが鋭い高音のメロディを奏《かな》で、あなたは雷に打たれたように編む手を止めた。あとでわかったことだけれど、それはストラビンスキーのペトルーシュカというバレー組曲で、そのとき以来、あなたは毛糸を編むことから音を編むことに進んだのだった。とてもつらくて大変な受験の準備と受験を乗りこえてあなたは音楽のアカデミーに進み、たくさんの音を編む道にはいっていった。そのことをいまのあなたはすっかり忘れている。いや、どうだろう。ちょっと待って。いま、孫娘のためだと思って手提げかばんを編んでいるあなたから鼻歌が聴こえてくる。そのメロディは聴いたこともないものだけれど、クロマティックな現代的なラインを持っている。ひょっとしてそれはあなたが過去にたくさん書いた曲のひとつなのだった。それをあなたはいま、口ずさんでいる。口ずさみながら五段めに取りかかっている。五段めも中長編み三目の玉編み模様で編み進めていく。五段目、六段目、七段目と、四段を中長編み三目の玉編み模様で編み進めた。ほら、とってもかわいくなってきたわ。これなら私のかわいい娘も気にいってくれるでしょう。もうすぐ小学校を卒業する私の娘。音楽にはあまり興味がないみたいなのが残念だけど、体を動かすことは好きみたいで、バレエは楽しく通ってくれている。べつにバレリーナになってほしいわけじゃないけれど、音楽とともに人生を編んでいってくれるとうれしいわね。七段めが終わり、八段めに取りかかろうとしたとき、突然あなたは手をとめる。だめ。やっぱりこれ、だめ。かわいくない。こんなんじゃ気にいってもらえない。女の子はこんなものを好きにならない。もっとかわいくなきゃだめ。これは失敗。やりなおし。最初からやりなおし。ほどいて最初からやりなおし。そしてあなたはそれまで編んだ毛糸を端からどんどんほどいていってしまう。
(最初にもどる)

(コーダ)
人生は取りかえしがつかない、すぎてしまった時間には二度ともどれない、とよくいわれるけれど、あなたはそうは思わない。あなたが編んできたたくさんの編み物や音楽や愛する人や子どもたちとの時間や、年輪を重ねたその肉体は、二度ともとにはもどらないし先にすすむしかないのだ、その先は肉体のおとろえと滅びの時間へとつながっていて、すべてのものは無に帰すのだという人がいるけれど、あなたはそのようにはかんがえていない。あなたがいま編み物をほどいているように、編んだ先から毛糸をほどいて最初にもどろうとしているように、あなた自身もいまほどかれつつある。孫娘が本当は二十三歳であることも、来月には結婚式をあげることも、手提げかばんではなく帽子をほしがっていたことも、あなたは忘れほどかれていく。自分が何歳であるのかも忘れてしまったし、目の前にあると思っている薪ストーブが本当はたんなるガラスのテーブルで冷たい光を反射しているだけであることもわからなくほどかれている。四段め、三段め、二段めと順調にほどいていって、最後の段もほどきはじめる。手のなかの編み物は幅が細くなり、ゆっくりと慎重に毛糸をほどかないとからまってひっかかってしまいがちになる。最後の段も一目、二目とほどいていき、とうとう鎖編みの作り目だけがのこる。たくさんの編み物や音楽や愛する人や子どもたちとの時間や、年輪を重ねた肉体をほどいてきたあなたは、最後の作り目だけになって、いまそこにそうやってくるみ材の肘掛け椅子に腰をかけている。そしてあなたは最後の作り目をほどきはじめる。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。
(フィーネ)

2016年6月19日日曜日

かそけき虫の音に耳をすます

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   かそけき虫の音に耳をすます

                           水城ゆう

 窓枠にびっしりとならんだちいさなちいさなカマキリのミニチュア。
 彼女は制服を着たまま、授業を抜けだして、墓地にしのびこむ。空《そら》が広くて、気持ちが晴ればれする。そしてときにはおもしろいものを見つける。
 カマキリの卵が産みつけられたススキの茎を部屋に持ちかえったのは、中学が春休みにはいる前だ。期末試験は終わっていたけれど、授業はまだあった。英語の袴田《はかまだ》先生のぬるっと光っているように見える顔がどうしても気持ち悪くて、その日も授業がはじまる前に抜けだした。
 いまは夏がちかづいている。欠席が多く、成績も悪かったけれど、三年生になれた。
 自分の部屋の勉強机の奥のほうに、ジャムの空き瓶にさしておいたら、昨日、二匹孵化しているのを見つけた。出窓のところに移して、今日、数えきれないほどのミニチュアのカマキリが孵化した。
 日曜日でよかった。
 たぶん百匹以上。ひょっとして二百匹。こうなることはわかっていた。
 見たかったんだ。
 カマキリの卵がくっついたススキの茎を、親は一度もとがめなかった。見もしなかった。そこにそんなものがあることに気づかなかったのかもしれない。気づいたとしても、それが卵鞘《らんしょう》と呼ばれるカマキリの卵のかたまりであることは知らないだろう。
 今日は出てくる瞬間をしっかりと観察できた。カマキリの幼虫は最初からカマキリの形をしていてかわいいってだれかから聞いていたけど、あれは嘘だ。カマキリの幼虫は最初からカマキリの形はしていない。最初はちいさな芋虫みたいな、細長い形をしている。調べたら前幼虫というらしい。それが外に出てきてしばらくすると脱皮する。そうすると小さなカマキリがあらわれる。でも、正確にいうと、成虫のカマキリとはちがう。なにより羽がない。
 羽のないミニチュアのカマキリ。
 かわいい。
 開け放った出窓に、びっしりと幼虫がぶらさがった卵鞘を置いたら、みんな脱皮してから明るいほうにすこしずつ移動していく。机の上に取り残されていた先に産まれた幼虫も、紙ですくって窓枠に移動させた。
 ぞろぞろ、ぞろぞろ。のろまな行進。
 このうちの何匹がちゃんと大人になれるんだろうか。
 出窓の端にはもうひとつ、ちいさなコップにさした木の枝が置いてある。こちらのことは親も知っている。
「クロアゲハの蛹《さなぎ》だよ」
 教えてある。
「そうなの。ここからアゲハ蝶が出てくるのね」
 母がいう。
「かもしれない」
「かもしれないって?」
「蝶じゃないのが出てくるかもしれない」
「蝶の蛹なのに?」
「うん。蝶の蛹に寄生する蜂がいるんだ。蛹になる前の蝶の幼虫に卵が産みつけられるの。それが蛹のなかで孵化して、蝶の蛹を食べながら成長して、蜂になって出てくる」
「蝶はどうなるの?」
「もちろん死んじゃうよ」
「気持ち悪い」
 親はひどく顔をしかめる。
 そうかな。気持ち悪いかな。蜂だって生まれるのに必死だ。そうやって何万年も、何百万年も命をつないできたから、アゲハヒメバチも種をたやさずに生きているんだ。
 でも、まだわからない。この蛹から出てくるのがアゲハヒメバチなのかクロアゲハなのか。
 蝶の蛹の横をカマキリの幼虫たちが窓の外にむかってのろまな行進をつづけている。
 がんばれ、みんな。
 外はみんなにとってけっして生きやすい世界ではないだろう、と思う。外の世界が暴力的で、危険に満ちていて、彼らのうちほんの数匹しか……いや、ひょっとしたら一匹も生きのこれないかもしれないということを、彼らはまだ知らない。なにも知らずに、ただ窓の外の明るい空の下へと出ていこうとしている。
 もうすぐきっとお腹がすきはじめる。なにか食べなければ。彼らは一匹一匹、それぞれ獲物をさがさなくてはならない。彼らが食べることのできるちいさな虫を見つけ、それをつかまえて食べなければ、たぶん数日とたたないうちに死んでしまうだろう。もし運よく自分よりちいさな虫をみつけて、つかまえて食べることができたとしても、そのあともそれをくりかえせなければ、その時点でやはり飢えて死んでしまうことになる。
 わたしは人間なので、そんな厳しい生存競争にさらされることはないな、と彼女は思う。でも、よかった、とは思えないのはなぜだろう。
 ふと、英語の袴田先生が気持ち悪いと感じるのは、肌のせいではなく、しゃべりかたのせいだと気づく。なんかぬるぬるしたしゃべり方。一昨日も、宿題を忘れたクラスメートのアンナをぬるぬると遠回しに責めた。アンナはクラスで一番成績がよくて、超難関校の高校進学をねらっているのはみんな知っている。だからクラスメートも応援しているけれど、教師にはウケがよくない。命令されたりコントロールされるのを嫌悪して、教師には反抗的な態度を取ってばかりいる。教師はそれをしかりたいのに、成績は非の打ち所がないので、やりにくくてしようがないらしい。
 アンナはわたしたちのスターで、アイドルだ。アンナをぬるぬると責める袴田のことばと、彼のぬるぬるした油っぽい肌が結びついて、彼女のなかに生理的な嫌悪感が生まれている。
 アンナは気持ち悪い大人たちをものともしないで、いい高校に行き、いい大学に進んで、社会でもバリバリにキャリアを積んでいくのだろう。わたしはアンナのようにはなれない。わたしはアンナのようには強くない。
 そう、まるでいま窓際で世界の暴力をなにも知らずにのろのろと行進しているカマキリの子どものように、弱くて、ちっぽけで、いまにも消え入りそうな存在だ。弱いものがこの暴力的な世界で生きていくには、どうしたらいいんだろう。生きのびるために戦わずにすむ世界はないのだろうか。弱いものがあたたかく受けいれられ、弱いままでいられる世界はないのだろうか。
 このカマキリの子どもたちのなかに、もし大人になるまで生きのこり、パートナーを見つけ、つぎの世代をのこすことに成功するものがいるとするなら、彼は……あるいは彼女はどうやって生きのこるのだろうか。生きのこれないものと生きのこれるものの差はなんだろう。わたしとアンナの差みたいなものだろうか。

 明け方に目がさめた。
 カマキリの子どもたちがみんな外に出ていけるように、窓を開け放ったまま眠りについていた。それが気になって、彼女はベッドに身体を起こす。裸足のつま先で床をさわり、さほど冷たさを感じないのを確認してから、立ちあがる。
 空はまだ暗い。日の出までまだだいぶ時間がありそうだ。
 今日は学校があることを彼女は思いだす。
 カマキリの子どもたちはもうほとんどいなくなっていた。窓枠を越え、外壁をつたって地面へと降りていったのだ。部屋の窓は隣家の壁に面しているけれど、すこし距離があって、人ひとり通れるくらいの路地になっている。砂利が敷きつめられ、雑草がしょぼしょぼと生えている。日当たりが悪く、生い茂った草が手におえなくなることはない。もちろんそこでカマキリたちが生きていくことはできないだろう。
 目をこらしたけれど、地面に子どもたちの姿は確認できない。
 路地の右手は道路、左手はうちと隣家の庭、そして裏の屋敷の大きな庭へとつづいている。そこなら何匹か生きのびられるかもしれない。殺虫剤がまかれなければ。
 ふとなにかの物音で、彼女は首をまわす。アゲハの蛹がかすかな音を立てながら動いていた。
 羽化しようとしている。背中が割れて、なかから蝶の一部が顔を出している。
 蜂に寄生されてはいなかった。
 蝶はだれかの生まれかわりだという話を、だれかから聞いたことがあるような気がする。幼いころの記憶、おばあちゃんから聞いたのかもしれない。もしそうだとしたら、わたしが死んだらどんな蝶に生まれかわるんだろうか。
 世界がどんなであろうと、みんな命をつないで生きていく。

2016年3月13日日曜日

世界が眠るとき、私は目覚める

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   世界が眠るとき、私は目覚める

                           水城ゆう

 ゆるやかな登り坂にさしかかると、上向きにスイッチしたヘッドライトの明かりが道とガードレールと山肌をなめていく。
 季節はずれの雪が春の日に溶け、いまはアイスバーンになっている。重量のない軽《けい》のパジェロは四輪駆動モードでもすべりやすく、彼はアクセルのペダルを踏みこみすぎないように注意を払う。
 トンネルの手前でいったん道は平坦になり、信号が点滅している。黄色の点滅の下を抜けるとすぐにトンネルにはいる。彼はアクセルを踏みこむ。
 トンネルのなかは乾いていて、緊張をややゆるめることができる。ダッシュボードのデジタル時計は午前四時十二分を示している。いつもより早いペースだ。昨日の雪の影響を考慮して、今日も冬時間での店着――販売店への荷物の到着となった。今日の店着は午前二時十五分だった。
 トンネルの出口がちかづくと、彼はアクセルをすこしゆるめる。トンネルの向こう側は標高が高いべつの谷の尾根すじになっていて、凍結はさらにすすんでいると思われる。
 スピードをゆるめぎみにトンネルを出ると、スタッドレスタイヤがバリバリと音を立てて路面を踏む。彼はハンドルをしっかりと握りなおす。
 左にゆるくカーブしながらさらに登っていく道をいつもよりゆっくりと走らせる。その先は山のもっとも高い場所にある配達先で、いつもなら快調に飛ばすところだが、今日はそうはいかない。
 このあたりは街灯もまばらで、うっすらと見える稜線の上には星がきらめいている。稜線が見えるのは、新月が近づいてだいぶ欠けているとはいえ月がまだ西に沈みきっていないせいだ。真正面のやや左手の空に、北斗七星が見えている。しかし、その正面もすぐに右に流れる。彼がハンドルを左に大きく切ったせいだ。
 幹線道路を左に鋭角にまがると、そこからの枝道を街までずっとくだっていきながらの配達となる。最初の家は、枝道の入口の右側にある大きな農家だ。ここにまず、農業関係の業界紙をいれる。この家は明かりもなく、道路から玄関先まで距離があるため、彼はダッシュボードに置いた懐中電灯を手にしてから車のドアをあける。新聞を左の小脇にはさみ、懐中電灯のスイッチをいれてから、取っ手を口にくわえる。農家特有の玄関前の広い敷地を、氷を踏まないように気をつけながら進む。
 この家は玄関前もコンクリートで舗装されているのだが、舗装がでこぼこしていて、いつも水溜りができている。雪を溶かすために谷川からひいた水がいつも流れるようにしてあるのだが、夜中は水は止めてある。そのために水溜りが凍結していることが多いのだ。
 気をつけてはいたが、水たまりのへりの部分の目立たない氷にうっかり靴底を乗せてしまって、一瞬ツルッとバランスをくずす。ひやっとしたが、ステップでかわして、転びはしない。
 敷石を踏んで玄関脇の赤いポストに新聞を投函する。
 懐中電灯の明かりをたよりに、車へともどる。今度は足をすべらせない。車はヘッドライトをきらめかせ、エンジン音を響かせながら、後部のマフラーからもうもうと白いガスを吐いて、たのもしく彼を待っている。
 尻から座席に乗りこみ、両足を軽く叩きあわせて靴底の氷のかけらを払ってから、アクセルにつま先を乗せ、ドアを閉めると同時に発進する。
 そこからはずっと、長い下り坂がはじまる。
 順調にいけば、あと一時間半くらいで配達は終わるだろう。都会とちがって、田舎は家と家の間隔が遠く、しかも車での山間部の配達なので、百軒あまりがせいいっぱいだ。都市部だと二百軒はかるく配れるだろう。郵便受けがならんでいるアパートやマンションは楽勝だし、新聞も一社が基本だ。田舎だと朝日も毎日も読売も、スポーツ新聞各紙も、それにくわえて子ども新聞、英字新聞、業界紙、週刊誌などもある。まちがえないように配達するのが大変だ。
 ふだんは東京の販売店で配達しているのだが、春休みや夏休みのあいだだけ故郷《くに》でアルバイトする。最初にやるのは、どの家になにをいれるのか覚えることだ。もっとも、田舎では夕刊の配達はない。
 三百メートルほど下《くだ》り、左に寄せて車を停める。朝日新聞と農業新聞を一部ずつ手にして、今度は懐中電灯を持たずに出る。ぼんやりした街灯の明かりのなかを、まずは右側の村の雑貨屋の、古びて錆だらけのポストに朝日を、道路と用水路をわたって左側の家のドアの郵便受けから農業新聞をすべりこませる。
 新聞配達のアルバイトをしているのは、もちろん貧乏だからだ。世界には学生が働かなくても学べる国がいくつかあるという。しかしここは日本だ。日本はアメリカにならって、貧乏な学生は働かなければ学ぶことができない。たぶん日本という国は豊かな未来を望んでいないのだろう、と本気で思う。
 とはいえ、新聞配達をしている時間は嫌いではない。世間のほとんどの人が眠っているか、あるいは眠りにつこうとしている時間に起きだして働く。やがて仕事を終えるころには夜明けがやってくる。一日のうちでもっとも美しい時間に自分が目覚めて働いていることに、喜びを感じることもある。
 つぎの配達先は道路に背を向けるようにして建っている農家だ。車をぐるりと玄関先まで迂回させて進入させる。この家はいつもネギのにおいがする。朝日をいれる。
 バックさせて方向転換すると、道路にもどり、ふたたびゆるい坂をくだっていく。つぎの家までしばらくあるのと、ほぼ直線にちかい道なので、彼はいつもここでシートの横に置いてある水筒を取って、水を飲む。
 唇を水筒につけたとき、一瞬、塩気を感じるが、すぐに錯覚だとわかる。あのときの記憶が流れ星のように脳内に光跡をつくる。
 いったん下りきった道は、橋をわたってから、ちいさな丘に向かってすこしだけ登りになる。
 ゆるい上り坂の向こう――丘の上には、沈みかけたオリオン座が見えている。
 丘をのぼりきると、かすかにそれと見分けがつく水平線が見える。海と空が、まだ水平線のずっと下にある太陽の薄明かりで切り分けられる時間、天文薄明だ。
 彼は丘の一番高くなったところに車を停め、外に出る。
 丘から平野部を見下ろす。
 かつてはそこに街があった。おおぜいの人が住んでいた。道路を車が行き交い、港には荷や魚が陸揚げされていた。住宅も商店も役場も加工場もたくさんあった。彼もその街に住んでいた。
 彼もまた街とともに流された。
 自分が海へと濁流に連れだされていくとき感じた潮の味は、いまでも彼の唇や喉の奥に残っている。
 彼は車を残し、丘を海岸のほうへと歩きくだっていく。
 かつて街があったところは、いまは太古の昔そうであったように、灌木や草が茂り、小川が流れ、夜明けになればヒバリが巣を飛び立つ。浜の植物が砂地をはい、松の苗がふたたび岩のすきまから顔を出しはじめている。
 あのときのように彼は海へと出ていく。打ち寄せる波しぶきが、徐々に明るくなる空の下でくっきりと形を見せている。
 沖へ、沖へと出ていくにつれ、水平線は輝きを増し、すぐそこに日の出が待っていることを知らせている。オリオンはもう見えない。もうすっかり沈んだのだが、そもそももう星の光はほとんど見えない。
 どこかでウミネコの声が聞こえたようだ。
 彼は一刻もはやく太陽を浴びるかのように、海面をはなれ、空へと舞いあがる。
 空には雲は少ないが、東の空の低い雲は日に照らされて赤く染まっている。
 彼は高く高く上昇し、水平線が丸みをおびているのがわかるほどまでに高度を上げ、やがてウミネコからも見えなくなる。

2015年12月13日日曜日

暗く長い夜、私たちは身を寄せあって朝を待つ

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   暗く長い夜、私たちは身を寄せあって朝を待つ

                           水城ゆう


 この季節、日の出は午前七時近く、太陽は真東よりずっと南寄りの方角からのぼってくる。母屋《おもや》の屋根のむこうに隠れてまだ光はここまでとどかない。屋根から顔を出し、葉を落とした杏《あんず》と柿の木の枝のあいだから光がとどきはじめるのは午前九時をまわってからだ。それまで私たちは真っ暗な巣のなかで身を寄せあい、身体を震わせて暖をとっている。
 日の光が巣箱にとどくと私たちはようやくもそもそと動きはじめる。門番が今朝の天気をつげる。氷点下近くまで冷えこんでいるが、霜が立つほどではない。水場にも氷が張るほどではない。
 飛べるだろう。
 花はあるだろうか。蜜は集められるだろうか。花粉は採れるだろうか。
 一番の働き者たち数匹が巣門から飛びだしていく。のこった私たちはその音を聞きながら、巣箱の板がすこしずつ温められていくのを感じている。
 私たちの中心には幼虫と卵がいて、彼らがこごえないように、無事に孵化するように、私たちは飛翔筋を震わせて摂氏三十度以上にたもっている。冬越しのために集めた貴重な蜜がエネルギー源だ。それが枯渇しないように、すこしでも蜜源の花があるのはありがたい。
 しばらくすると飛びだしていった仲間が一匹、また一匹と、巣にもどってくる。お腹にはたっぷりの蜜がはいっていて、それを仲間に口移しで渡す。そのにおいで、枇杷の花が満開なのだなと私たちは知る。べつの仲間からはヤツデの蜜のにおいもただよってくる。
 今日は冬晴れのようだ。晴れて暖かいうちにできるだけたくさん、蜜と花粉を集めておきたい。しかし、外で活動できる時間は夏よりずっとみじかく、すぐに夕暮れがやってくる。南西にそびえたつスダジイは常緑の葉を生い茂らせていて、巣箱にとどいていた日差しはもう陰っていってしまう。そうすると私たちはふたたび身を寄せあい、ふたたび朝がめぐってくるのを、暗く長い夜のなかで待ちつづける。

 この季節、日の出は午前七時近く、太陽は真東よりずっと南寄りの方角からのぼってくる。母屋の屋根のむこうに隠れてまだ光はここまでとどかない。屋根から顔を出し、葉を落とした杏と柿の木の枝のあいだから光がとどきはじめるのは午前九時をまわってからだ。それまで私たちは真っ暗な巣のなかで身を寄せあい、身体を震わせて暖をとっている。
 日の光が巣箱にとどくと私たちはようやくもそもそと動きはじめる。門番が今朝の天気をつげる。
 一番の働き者たち数匹が巣門から飛びだしていく。
 私たちの中心には幼虫と卵がいて、彼らがこごえないように、無事に孵化するように、私たちは飛翔筋を震わせて摂氏三十度以上にたもっている。冬越しのために集めた貴重な蜜がエネルギー源だ。それが枯渇しないように、すこしでも蜜源の花があるのはありがたい。
 しばらくすると飛びだしていった仲間が一匹、また一匹と、巣にもどってくる。お腹にはいくぶんかの蜜がはいっていて、それを仲間に口移しで渡す。そのにおいで、枇杷の花が咲いているのだなと私たちは知る。
 今朝は晴れているようだが、私たちは雨のにおいをかぎとっている。午後には雨が降りだすだろう。それまでにどれだけの蜜と花粉を集められるだろうか。いまの季節、外で活動できる時間は夏よりずっとみじかい。今日はとくに短かそうだ。
 雨が降りはじめると私たちはふたたび身を寄せあい、ふたたび朝がめぐってくるのを、暗く長い夜のなかで待ちつづける。

 この季節、日の出は午前七時近く、太陽は真東よりずっと南寄りの方角からのぼってくる。母屋の屋根のむこうに隠れてまだ光はここまでとどかない。屋根から顔を出し、葉を落とした杏と柿の木の枝のあいだから光がとどきはじめるのは午前九時をまわってからだ。それまで私たちは真っ暗な巣のなかで身を寄せあい、身体を震わせて暖をとっている。
 日の光が巣箱にとどくと私たちはようやくもそもそと動きはじめる。門番が今朝の天気をつげる。昨日の雨は夜のうちにやんでいる。冷えこみはゆるく、大気にはたっぷりと湿り気がある。曇り空だ。
 それでも働き者たち数匹が巣門からためらいがちに飛びだしていく。
 私たちの中心には幼虫と卵がいて、彼らがこごえないように、無事に孵化するように、私たちは飛翔筋を震わせて摂氏三十度以上にたもっている。冬越しのために集めた貴重な蜜がエネルギー源だ。それが枯渇しないように、すこしでも蜜源の花があるのはありがたい。
 しばらくすると飛びだしていった仲間が一匹、また一匹と、巣にもどってくる。お腹にはいくぶんかの蜜がはいっていて、それを仲間に口移しで渡す。そのにおいで、枇杷の花が咲いているのだなと私たちは知る。
 晴れて暖かいうちにできるだけたくさん、蜜と花粉を集めておきたい。しかし、外で活動できる時間は夏よりずっとみじかく、すぐに夕暮れがやってくる。

 この季節、日の出は午前七時近く、太陽は真東よりずっと南寄りの方角からのぼってくる。母屋の屋根のむこうに隠れてまだ光はここまでとどかない。屋根から顔を出し、葉を落とした杏と柿の木の枝のあいだから光がとどきはじめるのは午前九時をまわってからだ。それまで私たちは真っ暗な巣のなかで身を寄せあい、身体を震わせて暖をとっている。
 日の光が巣箱にとどくと私たちはようやくもそもそと動きはじめる。門番が今朝の天気をつげる。氷点下近くまで冷えこんでいるが、霜が立つほどではない。水場にも氷が張るほどではない。
 飛べるだろう。
 花はあるだろうか。蜜は集められるだろうか。花粉は採れるだろうか。
 昨日は何匹かの仲間がとうとう帰ってこなかった。しかし、今朝も一番の働き者たち数匹が巣門から飛びだしていく。
 しばらくすると飛びだしていった仲間が一匹、また一匹と、巣にもどってくる。お腹にはいくぶんかの蜜がはいっていて、それを仲間に口移しで渡す。そのにおいで、枇杷の花が咲いているのだなと私たちは知る。と同時に、なにか不吉なにおいを私たちはかぎわける。経験のないにおいだが、それは私たちに警鐘を鳴らしているように思える。
 いまの季節、晴れて暖かいうちにできるだけたくさん、蜜と花粉を集めておきたい。外で活動できる時間は夏よりずっとみじかく、すぐに夕暮れがやってくる。南西にそびえたつスダジイは常緑の葉を生い茂らせていて、巣箱にとどいていた日差しはもう陰っていってしまう。そうすると私たちはふたたび身を寄せあい、ふたたび朝がめぐってくるのを、暗く長い夜のなかで待ちつづける。

 この季節、日の出は午前七時近く、太陽は真東よりずっと南寄りの方角からのぼってくる。母屋の屋根のむこうに隠れてまだ光はここまでとどかない。屋根から顔を出し、葉を落とした杏と柿の木の枝のあいだから光がとどきはじめるのは午前九時をまわってからだ。それまで私は真っ暗な巣のなかで身体を震わせて暖をとる。
 もう仲間はほとんどいない。多くの仲間が出ていったきり、もどってこなかった。蜜を集めに出かける者もいない。巣は不吉なにおいで満ちている。
 私はこの冬を越せるだろうか。幼虫たちはこごえ、卵は孵化しなかった。
 蜜はたっぷりある。この冬を越せさえすれば私も……
 私は身体を震わせ、ふたたび夜が来てふたたび朝がめぐってくるのを、それが何度くりかえされるのだろう、かぎりなく繰り返されるように思える夜と朝の交代ののちにやってくるはずの春を、寒く暗い巣箱の奥で待ちつづける。

2015年10月29日木曜日

待つ

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   待つ

                           水城ゆう


 私は待っている。湖というより池といったほうがいいような、川の支流がせき止められてよどんでいる沼地のほとりで、折りたたみ椅子に座っている。私が待っているのは、動きだ。いまは止まっていて動かない浮きが、動いて水面の下に沈む瞬間を待っている。
 動かない、といったが、実際にはわずかに動いている。いまはほとんど風がない。それでも水面はまったく鏡のように平らというわけではなく、支流から流れこんでくる水の動きでかすかな波紋が生まれている。浮きはその波紋と、ほとんどないとはいえときおりゆっくりと水面をなでて渡ってくる風によって、わずかに揺れている。その浮きが、ちょんちょんと上下に揺れ、水面に丸い波紋を描き、そのつぎの瞬間にはすっと水面下へと引きこまれて消える瞬間を、こうやって私はもう一時間も待っている。
 古びたぜんまいを巻きあげるような鳴き声をあげながら、目の前の水面をオオヨシキリが横切って飛ぶ。
 爆撃にやられた市街地にはまったく動きはない。私は瓦礫の下に身を潜め、待っている。冬だ。気温は氷点下だ。レニングラードの冬に戸外でじっと動かずにいることは、自殺行為に近い。死なないまでも手足や耳、頬を凍傷にやられる。そんななか、私は夜明け前のまだ暗い時刻にここにやってきて、ここに身を潜めている。分厚い毛皮の帽子と耳あて、外套にすっぽり身をくるんでいる。銃身は濡れた手で触ればそのまま皮膚が接着してはがれてしまうほど冷えこんでいるはずだが、トリガーには温めた指をかけている。指を温めなおすために、ときおり下腹部に手をいれ、睾丸をもむよう触る。レニングラードが包囲されてもう十五か月、情報では今朝八時すぎに、ドイツ軍の少将があそこに見える駐屯地に到着することになっている。彼が車から降り、私のライフルのスコープにとらえる瞬間を、私は待っている。
 どこかから煙のかすかなにおいがただよってくる。私は無性に火が恋しくなる。
 雨季のマングローブ林はさまざまな音とにおいに満ちている。乾季にはほぼ干上がっているこの林も、いまは人の背丈くらいの深さまで浸水している。
 私は待っている。水底に打ちこんだ杭のてっぺんに尻を乗せ、両脚を杭にからめて水面をのぞきこみながら、待っている。この下にきっといずれ通りかかるピラルクーの輝かしくきらめく巨体を、手製の銛《もり》をいつでも放てるように構えながら、待っている。
 肉は市場で高く売れるし、塩漬けにしてもよい。それもまた自家用にはもったいないほど高く売れる。うろこは靴べらや爪やすりとして土産物屋に高く売れる。とくに大型のものは珍重される。
 去年のシーズンには最大で五メートル級を仕留めた。今年も大物をねらっている。だから、尻が杭に食いこんで痛くなっても、両足が攣《つ》りそうになっても、全身がこわばっても、一瞬たりとも水面から目をはなさず、銛の構えも解かずに、待っている。
 雨季の森はさまざまな鳥の声で満ちている。熟した果物の濃厚なにおいがただよってくる。たまに熟れきった果実が水面に落下する音も聞こえる。遠くの密林のほうからホエザルのせわしない鳴き声が聞こえてくる。
 ここからは見えないけれど、海のほうからは湿った空気が吹きつけてくる。私は尻を高くかかげて待っている。大西洋からの湿った風は、このナミブデザートを吹きぬけていくが、私は尻を大きく空中に突きだして身体全体でその風をさえぎる。わずかに冷たい私の身体は、湿り気のある風があたるとわずかに結露する。私はそれをただひたすら、待っている。
 私の身体の表面には突起やでこぼこがあり、結露した水滴は身体の表面をつたわって私の首のうしろに集まってくる。すこしずつ、わずかずつ、結露した水滴が伝わって集まってくる。私はそうやって一晩中待っている。朝方になると、集まった水滴は私の頭のうしろに大きなかたまりとなる。その水分のおかげで、まったく水場のないナミブデザートでも私のようなビートルも生きぬくことができる。生きぬくために、私は待つ。いまも夜の時間がすぎ、灼熱の日がのぼる前の至福の一瞬を待っている。
 軍楽隊の音楽が聞こえる。道端の群衆の歓声が聞こえる。まさにいまテレビ中継されているその音声が、どこかのスピーカーから拡大されて流れてくる。ダラスの街を見下ろしながら、私はもう二時間半も待っている。私の姿はだれからも見えないはずだ。私は建物の上に姿を隠し、狙撃用のライフルを構えている。照準を合わせたスコープのなかにはパレードのために通行規制された道路や、旗を持った沿道の観衆が見えている。
 今日は金曜日。正午をすぎて二十数分がたとうとしている。やがて視界のなかにパレードの車列を先導する白バイが三台、見えてくる。道はばいっぱいを使って邪魔者を警戒するように白バイが通っていくその後ろから、黒のオープンカーとセダンがくっつくようにして走ってくる。そのまわりを何台もの白バイが取りかこんでいる。
 オープンカーの後部シートにジョン・Fの顔を確認する。すぐ横にはジャクリーンもいる。私のライフルのスコープにはほぼ正面にジョン・Fの頭部が見えていて、照準の中央に彼をとらえる。
 窯では薪《まき》が赤々と燃えている。時々火がはぜる音がする。薪は先ほどみんなで、慣れない腰つきで割ったばかりだ。その薪をフィルが煉瓦《れんが》を組んで作ったピザ窯で燃やし、窯のなかを充分な温度にする。だから、薪はストーブに入れるよりも細く、最終的には鉈《なた》を使って割った。
 窯小屋の外は徐々に夕闇が落ちて星々の輝きが見えはじめている。私はピザ生地が発酵するのを待っている。生地が発酵したら、丸くのばして、具を乗せ、それを窯にいれて焼く。私はそれを待ちどおしく待っている。
 私は待っている。ハレー彗星がやってくるのを。この前にハレー彗星がやってきたのは一九八六年で、そのときも私は七十五年待ったのだった。いまもまた七十五年待っている。満天の星だ。オリオンが東の空からのぼってくるのが見える。ミルキーウェイも見えるような気がするが、ひょっとして雲なのかもしれない。南の空に出ていて、ミルキーウェイは見えないだろう。つぎにハレー彗星がやってくるのは二〇六一年だ。私はそれを待っている。
 私は待っている。半減期を。半減期の半減期を。半減期の半減期の半減期を。しかし、それは永久になくなりはしない。人にも半減期はあるのか。私は待っている。
 もうすぐ息がたえる。私は待っている。自分の呼吸が止まるのを。自分の鼓動が停止するのを。だれかがご臨終ですと告げるのを。私はそれを聞くだろう。その声を私は待っている。
 まだ声が聞こえる。街の音が聞こえる。部屋の音が聞こえる。私は待っている。
 外からは人々の話し声が聞こえる。学生街で、若い男女の笑いあったり、ふざけあったりする声が聞こえる。車が通りすぎる。すこし離れた甲州街道からは救急車のサイレンが聞こえてくる。
 室内には人が何人かいる。話し声はしない。みんな耳をすませて聞いている。ピアノの音を。朗読の声を。それらがしだいに静まり、間遠になり、沈黙の比重が増していくのを私は待っている。
 まだ聞こえる。ピアノの音が。もうほとんどまばらにしか聞こえないが、まだぽつりぽつりと聞こえてくる。朗読者の声も、とぎれがちだが、まだ聞こえる。
 まだ聞こえる。
 それらが完全に聞こえなくなるのを、私は待っている。
 それらが完全に




(おわり)

2015年9月19日土曜日

コンテナ

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   コンテナ

                         水城ゆう

 なかを泳げるほどの濃霧の朝、ぼくらは出発する。
 ぼくらを岸壁から引きはなしたタグボートがはなれていくと、フォグフォーンを一発。ながく尾を引く警告音が港内にひびきわたり、ぼくらは白灯台を右に見ながら外海《そとうみ》へと乗りだす。
 波はない。波高ゼロ。油を流したように凪《な》いだ海面を、濃い霧がなめている。その霧と海面の境界を分けて、ぼくらのコンテナ船五万トンがゆっくりと進んでいく。五万トンの海水が右と左と下へと分けられ、巨大なスクリューによって後方に押しやられる。巨大な質量の移動だが、それは静かにおこなわれる。聞こえるのは低くくぐもったディーゼルエンジンの音と、ひたひたと船腹をなでる水音だ。
 カモメが何匹かついてきて、船のまわりをせわしなく調べる。自分たちに餌を投げあたえる人影がないかどうか、調べているのだ。が、出港時のいそがしい時間に、そんなことをする乗組員はいない。すくなくともぼくらのコンテナ船にはいない。もしいるとしたら、暇を持てあますか、酔いざましにデッキに出てきた客船かフェリーの乗客くらいだろう。
 コンテナ船が沖へ出て、エンジン音が変化すると、カモメたちもあきらめて霧のなかへと去っていく。
 霧もまた、急速に薄れていくようだ。
 陽が射しはじめると、濡れていたコンテナもあっというまに乾いていく。陸地近くでは凪いでいた海面も、沖合に出るとわずかなうねりを見せはじめる。ほとんど揺れはしないが、わずかに平行が傾くと、老朽化したドライコンテナの継ぎ目からノイズミュージックが聞こえはじめる。
 ぎしっ、ぎしっ、かちゃん。
 ぎゅっ、ぎしっ、かちん。
 それぞれのコンテナはセル・ガイドにそって固定されていて、船が揺れても荷崩れの心配はない。積荷も船体そのものも、巨大ハリケーンにも耐えるように作られている。ぼくらは海に出てすでに十五年を経たベテランだけれど、まだまだやれる。現役まっさかりといっていい。
 ぼくら大型コンテナ船は、各地のハブ港に集結したコンテナ貨物をさらに積みかえ、世界をまわる。香港、シンガポール、ドバイ、ハンブルグ、ロッテルダム、ブレーメン、ニューヨーク、ロサンゼルス。地球を何周したことだろう。人々が見たこともないような光景をたくさん見てきた。
 フォークランド諸島の沖合で無数のクジラの群に遭遇したことがある。吹きあげる潮と壮大な合唱で、海がだれのものなのか思い知らされた気がした。
 ペルシャ湾では巨大な空母とそれから発着する戦闘機を見た。彼らは昼となく夜となく働いて、思想信条のことなる人々を殺戮するのに余念がなかった。ぼくらのすぐ上をミサイルが飛びすぎたこともあった。
 冬のノルウェー沖では満天に踊り舞うオーロラに怖れおののいた。それらはときに天使の舞のように、ときには悪魔の牙のように、ぼくらの身体のなかにまではいりこんでくるような気がして、生きたここちがしなかった。
 夏の日本海ではイカ釣り漁船団のまっただ中を通過したこともあった。無数のまばゆい集光灯が、まるでそこに一機の巨大な宇宙船でも着水しているような錯覚を見せていた。
 いま、ぼくらは、霧が晴れ、まばゆい陽光を受けながら、おだやかな南シナ海をすすんでいる。高雄、香港を経由し、いまはシンガポールに航路を取っている。この航路では何度か台風に見舞われた。でもぼくらはそのつど、台風の目が頭上を通過するなかを、五万トンの水を分けながら進んでいった。十二メートルに達しようという波もものともせず乗りこえてきた。五〇メートルを超えるほどの風速でも、きっちりと積みあがったコンテナの位置は一ミリも狂わなかった。
 ぼくらの右のほうからかなりの速度で、おそらく中国籍の漁船がちかづいてくる。大きな漁船でも、何人かの男が船べりで立ち働いているのが見える。これから遠洋に出かけるのだろう。彼らはぼくらの後方をすり抜け、左後方へと遠ざかっていく。漁船がけたてる白い波が静かな海にくっきりと航跡を残す。ぼくらの航跡もまた、黒々とした海面の色をうすくかきまぜて、まっすぐ後ろへと、速力24ノットでのびている。
 コンテナ船の仕事は、入港前と接岸時、そして入港後がピークだ。よく、遠洋航路の船員はいろいろな土地を訪れることができることをうらやましがられることがあるが、実際には入港してものんびり上陸して観光しているような時間はほとんどない。ガントリークレーンによる荷揚げ、荷積み、積み込みのプログラム、コンテナの計数、マニフェストとの付きあわせといった山のような仕事がある。接岸するとほぼ一日がかりで荷揚げと荷積みがおこなわれるが、それでも何百個というコンテナの入れ替えが一日しかかからない。そして乗組員はのんびり上陸を楽しむ時間はほとんどない。
 港を出てしばらくし、点検、データ確認などの作業が終わると、ようやくひと息つける。しばらくは退屈との戦いの日々となる。
 香港を出て半日、ちょうど秋分に差しかかろうという秋の太陽が、いま、西の水平線へと落ちかかっていく。ぼくらはそれを、朝がたに中国の漁船が去っていった方角、左舷後方に見ている。
 左舷後方の水平線近くには、いつの間にか薄い雲がかかっている。たっぷりバターを使ったパイ生地のように層状になっていて、太陽はまさにその層のあいだをくぐり抜けて沈もうとしている。大気圏で光がゆがみ、倍の大きさになった太陽。空中の塵で青色が拡散し、オレンジの火球と化した太陽。オレンジ色は雲と空と、それを映す海面をもそめあげる。
 一瞬たりともとどまらない変化のなかで太陽は水平線へと急速に落ちていき、やがて溶けこむように海に呑みこまれて消える。
 赤の光は空にとどまり、やがて紫から青みを帯び、暗く沈んでいく。光量が急速に減衰し、宇宙の背景があらわれるとともに、星々が姿を見せる。
 ぼくらの船は星空にブリッジを高々と突きあげ、左舷の緑色灯と右舷の赤色灯をほこらしげに輝かせて進みつづける。
 夜がふけると、船員たちは当直と眠れない者を残してほとんどが、それぞれの寝台で寝静まる。当直の航海士は操舵室に立っているが、ぼくらはオートパイロットで航海しているし、なにか障害物があればレーダーが知らせてくれる。当直も四時間の辛抱で、真夜中が来れば交代して自室にもどれる。あるいはしばらく星でも見ようか。今夜はミルキーウェイが見られそうだ。
 と、レーダーに右舷からなにか接近してくるものが映る。船ではない。低く飛ぶ航空機のようだ。旅客機ではない。軍用機、速度からして戦闘機かもしれない。南シナ海は 東シナ海ほどではないにせよ、さまざまな軍事的緊張がある海域で、ぼくらもいろいろな軍事的事象を見てきた。空母や護衛艦、駆逐艦などの艦船はもとより、いまのように航空機も軍用のものを頻繁に見る。浮上した潜水艦が休んでいるのを見たこともある。あれはひょっとしてエンジントラブルで停止していただけだったのかもしれない。
 ぼくら民間船が港と港をつないで人々に物資をとどけているあいだにも、軍用船はあっちへいったりこっちへいったりと、ぼくらみたいに忙しそうにしている。ぼくらコンテナ船が車の部品や、衣服や、コーヒー豆や、缶詰や、パスタや、ワインや、果物や、材木や、冷凍肉や、スパイスや、本や、電気製品を運んでいるあいだにも、彼らはダミーの的になっている廃船に向かって大砲を撃ったり、戦隊を組んで演習したりしている。
 レーダーの機影は、やがて左舷方向に消えていった。
 夜中がちかづいてくる。
 このあたりの緯度だと、この季節でもさそり座がくっきりと前方に視認できる。アンタレスの目玉がひときわ赤い。
 そしてミルキーウェイ。
 それを斜めに横切っていく人工衛星。
 すこし波が出てきている。といっても、一メートルかそこいら。二メートルはない。
 波を切る音が立つ。暗闇でほとんど見えないけれど、航跡はさらにくっきりと白いことだろう。
 ぼくらは闇と黒い海面を切りわけて、力強く進む。
 ぼくらが運ぶのは、さまざまな国の、さまざまな人種の、さまざまな階層の、さまざまな立場の、さまざまな人々のいとなみのための物資。ぼくらを待っている人が、世界中にいる。