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----- Urban Cruising #27 -----
「コーヒー」 水城雄
アルバイトの学生にカードを渡すと、
「コーヒーをいかがですか」
とたずねられた。
それも悪くはない。ついでに、洗車もしてもらうことにしよう。みぞれあがりの道を走ってきた車は、泥だらけだ。
スタンドの事務所の女性が、紙コップにはいったコーヒーを渡してくれた。
湯気を立てるコーヒーをひと口すすってから、あけはなった入口から事務所にはいった。
コーヒーはインスタントではないようだ。なかなかうまい。
「昨日からサービスしてるんですよ、それ」
と事務員がいった。
「コーヒーメーカーをいれたんです。ほら、これ」
わざわざ、事務所の奥にあるコーヒーメーカーを教えてくれた。
業務用のものらしく、縦一メートルはあろうかというフィリップスの大きなコーヒーメーカーが、そこに置かれていた。
「なるほど。こりゃあ、いいね。身体が暖まるよ」
わたしは世辞抜きにそうこたえ、ゴウゴウと音を立てている石油ストーヴに手をかざした。
ガラス越しに、洗車機をくぐろうとしているわたしの車が見える。
コーヒーをすすりながら、今日なんばいめのコーヒーなんだろうか、と考えた。
比較的よくコーヒーを飲むほうだろう。朝起きて一杯。朝食をすませて一杯。事務所にはいって一杯。仕事中もしばしば飲む。
外回りのときも、商談の相手から出されたコーヒーを飲むし、ひとりで息抜きにはいった喫茶店でも飲む。
多い日には、十杯近く飲むのではなかろうか。
コーヒーは好きだ。
胃が丈夫でよかった、とわたしは思う。
洗車機がしぶきをあげながら、わたしの車を洗っている。
便利になったものだ。
学生時代、わたしもガソリンスタンドでアルバイトをしていたことがあるが、洗車機というのはまだそれほど普及していなかった。今日のように寒い日には、洗車の仕事があるとよほどこたえたものだ。
そういうときのコーヒー一杯というのは、じつにありがたかった。
考えてみれば、頻繁にコーヒーを飲むようになったのは、大学にはいってからだろう。大学にはいり、親や教師の目を気にすることなく喫茶店に出入りできるようになってから、毎日のようにコーヒーを飲むようになったのだ。
そのころはまだ、コーヒーに砂糖とミルクをいれていた。
喫茶店にはいる。席につく。タバコに火をつける。
ウェイトレスが来るのを待ち、「ブレンド」とぶっきらぼうにつげる。
週刊誌を広げて、コーヒーが来るのを待つ。
コーヒーが運ばれてくると、砂糖を一杯半いれてていねいにかきまぜる。グラニュー糖が完全に溶けたのを確認すると、今度は慎重にフレッシュ・ミルクをカップのふちから注ぎいれる。ミルクが褐色の液体の表面に不可思議な模様を描いて広がっていくのを見るのが、楽しかった。
そういえば、あの頃はまだ、薄汚れたジャズ喫茶が残っていた。ばかでかいスピーカー。プチプチという雑音を立てるすり切れたレコード。タバコの煙。ちらしで埋めつくされた壁。無愛想な店員。
コーヒー一杯でなん時間もねばったものだ。
あの店はいったい、どこへ行ってしまったのだろうか。
洗車機が空気を吹きつけてわたしの車を乾燥させている。
わたしはそれをぼんやりながめながら、学生時代のことを思いだしている。
学生の街特有の喫茶店が、あのころはたくさんあった。〈しあんくれーる〉〈鳥類図鑑〉〈ほんやら堂〉〈マキ〉〈パブロ〉〈サンタクロース〉〈たくたく〉〈拾得〉〈バナナ・フィッシュ〉〈グリーン・スポット〉〈リンゴ〉〈新進堂〉。
そんな店が次々となくなり、あるいはこぎれいに改装されていったのと、学生運動が影をひそめていったのとは、ほとんど時を同じくしているように思える。
わたしは、大学の入学式で、自治会と称する連中が角棒を持って演壇を占拠し、受験戦争をくぐり抜けてやってきたばかりのわれわれをびっくりさせたことを、おぼえている。学生食堂でBランチを食べていると、突然プラカードをかかげ、拡声器でなにやらスローガンを叫びながら室内をぐるりと回っていった連中のことをおぼえている。また、2年の夏には、田舎から帰ったわれわれを正門に築きあげられたバリケードが待っていたことをおぼえている。
そういったものが次第に影をひそめ、うさん臭い喫茶店がこぎれいになっていくと同時に、学生たちもこぎれいになり、講義にはまじめに出席し、また裕福になっていったように思える。
そういうわたしも、いまではこぎれいな乗用車を乗りまわし、洗車会員になり、月に三度も四度も自分の手を汚さずに車を洗ってもらえる、というわけだ。
「終わりましたよ、洗車。中もやっときますか?」
アルバイトの学生がそういった。
「いや、中はいい」
わたしは空になったコーヒーカップを握りつぶし、ゴミ箱にほうりこむと、事務所をでた。
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