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----- Urban Cruising #33 -----
「親知らず」 水城雄
親知らずとはうまいことをいったものだ。
なるほどねえ、こんな歳になってから生えはじめ、歯グキを押しあげてはシクシクと痛むなんて。
切ないような、それでいてなつかしいような感じだ、この歯の痛みというのは。
ここ数年、風邪をひくたびに奥歯のあたりが腫れぼったくなり、シクシク痛むことが多くなっていたが、二、三日前、やはり同じように重い痛みをおぼえ、指で軽く押さえてみたら、どうやらすこし出血しているようだった。
家内がせいいっぱいあけたこちらの口の中をのぞきこんで、
「親知らずが生えかかってるわよ、これ」
といった。
いまごろになって成長をはじめた歯が、内側から歯グキを押しあげ、ついにはそれを破って外に出てきてしまったというわけだ。傷口から雑菌でもはいりこんだのか、化膿しているみたいにジクジクと痛む。舌の先で押さえてみると、血の味がかすかににじむ。
「抜いてもらったら?」
家内はあっさりいうが、当事者としてはそう簡単にかたづけるわけにはいかない。歯医者に行く、ということをかんがえたとたん、思い浮かぶのはあのいけ好かない金属音と消毒薬のにおいだ。それに、親知らずなんていうのは歯の中でも一番奥のほうに位置している。そんなところにあるものを抜くとなると、ギリギリ、ゴリゴリ、ガリガリと、相当に苦労するにちがいないのだ、歯医者だって。
虫歯ならあきらめもつこうが、ちょっと成長がおそかったからといって、正常に生えてきた新しい歯をひっこ抜いてしまうというのは、気がひける。
抜かずにすむものなら、このままにしておきたい。
が、痛みはズキンズキンと、頭の芯にこたえるようだ。このままほうっておけば、ひどくなるのか、あるいはおさまるのか。
歯医者。
行くとすれば、何年ぶりになるのだろうか。十年。いや十五年は行っていないな。
高校のときに治した歯は、いまでもけなげにがんばっている。
ズキズキ痛む箇所は、舌先でさわってみると、ぷっくりと腫れあがり、そのあいだから確かに硬いものが顔をのぞかせている。
親知らずとはまあ、なんということだ、このわたしに限って。
歯の痛みなどというものは、年月がたつにつれて次第に記憶がうすれてしまうものだ。知人で歯痛をかかえてうなっている人を見ても、自分がじっさいに経験した歯痛の実感を思いだすことはできない。そんなに痛かっただろうか、顔をかかえて涙を流すほど痛いものだっただろうか。
どうにも痛みの実感というものは、思いだせない。思いだすのは、歯科医院の待合い室で見た事務員の笑顔であるとか、白いマスクをつけた赤ら顔の先生の顔であるとか、そんなものばかりだ。小学校の集団検診で意味のわからない記号をぶっきらぼうに看護婦につげる先生の声も、思いだす。あるいは、コンジスイという薬の刺激性のにおい。歯痛のために眠れないわたしをおぶって、夜の堤防をトボトボと歩いた父親の姿。
あれはわたしが何歳のころだったのだろう。負われていたぐらいだから、おそらくまだ小学校にははいっていなかっただろう。そう、小学校にはいると同時に、わたしたちはあの川向こうの家からこの街中に引っ越してきたんだった。だからあれはやはり、四歳か五歳のころの記憶ということになる。
夜になってジクジクと痛みはじめた虫歯に困惑したのは、わたしばかりではなかったと思う。ふとんにはいっても眠るどころかいつまでもメソメソと泣きやまない幼いわたしを見て、思いあまった父親はわたしを背中を背負い、冷たい夜風の中に出ていったのだ。
かたく目をとじて父親の背中にしがみつくと、雨あがりで増水した川のゴウゴウとうなる音が聞こえた。
冷たい夜風は、虫歯で腫れあがった頬に心地よかったような気がする。
家の中ではメソメソ泣きつづけていたわたしも、父親の背中に負われて夜の中に出ていくと、泣くことを忘れてしまった。
親知らずの痛みに誘われて、わたしはいま、思いがけず、あのときの夜の感触をはっきりと思いだしている。
増水した川がゴウゴウうなる音。
暗くて川面は見えなかったが、茶褐色のうず巻く濁流が手のとどかんばかりのところに見えるような気がした。堤防添いの桜並木が、風に吹かれてザワザワと不気味な音をたてていた。
台風か前線か、とにかく雨が通過したばかりなのだろう、まだ強く冷たい風は残っていて、出がけに母親は、父の背中のわたしをすっぽりおおうようにして半天をかぶせてくれていた。その中でわたしはカメの子のように父親の広い背中にしがみついていた。
父親がなにかをいっている。歌を歌っているのだろうか。あるいはたんに言葉に節をつけて歌っているように聞こえるだけだろうか。
あの川のそばを、いまでもときおり通ることがある。川はあのときとはすっかり姿を変えてしまった。上流に大きなダムがいくつもできたのだ。護岸工事が進み、河川敷きは公園となり、川で泳ぐ子どもたちの姿は見られなくなった。
虫歯の痛みとともに記憶の底にしまわれていたあの光景——荒々しい濁流のひびき、広い父親の背中、あたたかな半天、桜並木のざわめき——そういったものが、親知らずの痛みでよみがえってきたわけだ。
「あっさり抜いちゃったほうがいいんじゃない?」
そう妻が提案している。
なんだかおしいような気がして、わたしはてのひらで腫れあがった頬を包んでみる。
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