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----- Jazz Story #14 -----
「High Life」 水城雄
機体の故障で、使用機がトリプルセブンからB767に変更された。おかげでほぼ満席になってしまった。
月曜日の昼便、復路は観光帰りの老若男女と、出張のビジネスマンがまだらに混じりあっている。
梅雨明けの晴れわたった日。くっきりと影を抱えて、綿帽子のような雲が西から東へ流れていく。
赤ん坊の泣き声が聞こえた。きっと、26Bのお客さんだ。
わたしはそちらに行った。
「だいじょうぶですか?」
母親らしい若い女性に声をかける。赤ん坊はもう泣きやんでいる。口に哺乳瓶をあてがわれている。女性の返事を待たずとも、だいじょうぶらしいことはわかった。
「もうすぐ離陸しますので」
彼女のシートベルトを確かめ、わたしは通路を前方のほうにもどっていった。
アナウンスがあったのに携帯電話を操作している客、シートベルトを着けてない客、背もたれを倒している客、荷物を足置きがわりにしている客。ひとりひとりに笑顔で注意しながら、もどっていく。
収納棚のチェックも忘れない。
笑顔と背伸びに疲れた。
やっと乗務員用の座席に戻り、客と向かい合って座ると、4点式のシートベルトを着けた。
向かいの客は、初老の夫婦だ。
と、背後のトイレのほうから、先輩の声が聞こえた。
「お客さま、もうすぐ離陸ですので、お急ぎください」
客がトイレにこもったまま出てこないのだ。たしか中年の男性客だった。
手伝おうかどうしようか迷いながら、わたしはベルトの金具に指をかけた。
飛行機が滑走路の端にたどりついても、トイレの男性は出てこなかった。
先輩がこまったような、半分おこったような声で、くりかえしている。
「お客さま、出ていただけないと離陸できないんです。お急ぎください」
わたしの妹もスチュワーデスをしている。妹は国際線。オランダの航空会社。
わたしは国内3位の航空会社。羽田と地方のリゾートを行ったりきたりしている。でも、行き先でのんびりすることはない。行き先の飛行場から出られないばかりか、飛行機からすら降りられないほどだ。到着したら、機内清掃と復路の準備に追われ、すぐに出発時間となる。
姉は小さな出版社で編集の仕事。毎日終電の時間まで残業している。姉だけが結婚しているのに、夫とはすれ違いの生活だとこぼしている。週末のテニス三昧だけが、彼女の楽しみらしい。
わたしの楽しみって、なんだろう。妹はフライト先の街で、適当に楽しく遊びまわっているらしい。
空の仕事は一見はなやかだけど、いろんなことがある。楽しいことばかりじゃない。
「先輩、だいじょうぶですか?」
たまりかねて声をかけたとき、トイレのドアが開いた。
こぶとりの中年男性が、青い顔をして出てきた。あきらかに宿酔いだろう。
アルコールが強くにおう。
「シートベルト着用のサインが消えるまで、席でご辛抱くださいね」
先輩がいいきかせながら、男を席に案内していった。
ほっとしてシートベルトの金具から手を離し、向かい側の席を見ると、初老の夫婦が青ざめた顔をならべている。
ふたりとも指が白くなるほどギュッと肘掛をつかんでいる。
「当機は間もなく離陸いたします。いまいちど、シートベルトをご確認くださいませ」
エンジン音がたかまり、飛行機が加速をはじめた。身体がぐっと前かがみに引っ張られる。
ふたりの表情が引きつった。
赤ん坊の泣き声が聞こえはじめた。
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