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----- Urban Cruising #19 -----
「講演」 水城雄
紹介が終わり、ステージの端にすわっていた私は、ゆっくりと立ちあがった。
演壇の前に立ち、マイクにひたいをぶつけないように気をつけながら、おじぎをする。ひかえめな拍手が聞こえた。
私は背広の内ポケットから、この講演のためのメモを取りだし、演壇に広げた。
スポットライトがまぶしい。
500人近くの聴衆が私を見つめているはずだが、ライトの光でよく見えはしない。最前列にすわっている人の顔だけが、はっきり見えている。
私は折りたたんだメモを、演壇の上でていねいにひろげた。その私の一挙手一同が、聴衆に見守られているのを感じる。今日の聴衆は、熱心な聞き手ばかりのようだ。
広げたメモには、今日は話そうと考えていることが、自分だけにわかる簡単なキーワードを使って書きとめられている。
私はそのメモに目を落とした。
せきばらい。
メモには、
「まず謝辞をのべること」
と書いてある。
つまり、
「本日は私のような若輩者をこのような席に呼んでいただき、ありがとうございます」
とかなんとかいう、形式的な挨拶である。それをまずいおうと考えていたのだが……
これではだめだ。
最前列には、固唾を飲んで私の言葉を待っている中年の女性の顔が見える。そのとなりでは、はやくも鉛筆とメモをかまえ、私のいうことを書きとめようと待ちかまえている初老の男性がいる。さらにその横には、足を組んで身体をななめにかまえ、懐疑的な視線をこちらに投げかけている若者が見える。
さて、どうしようか。
私は考えながら、ゆっくりと会場を見まわした。
スポットライトの光に目がややなれたのか、会場の様子がすこし見えるようになってきた。
それほど大きなホールではない。1階席と2階席を合わせて600人を収容できるということだ。が、その500 席までが聴衆でぎっしりつまっているのは、かなりの壮観といえた。
いや、人ごとではないのだ。彼らは皆、私の話を聞くためにここにやってきたのだ。のんびりと会場をながめまわしているときではない。
このような講演をたのまれるようになったのは、ここ2、3年のことだった。ゆっくりとしたペースではあるが、書きつづけ、著書も気づいたら5冊を越えていた。ときおりテレビやラジオへの出演をたのまれるようになった。
はじめて講演したときのことを、私はなつかしく思いだすことができる。
あれは、友人を通じてある企業の労働組合の会合で講演をたのまれたのだった。
もちろん、人の講演を聞いたことは、何度もあった。そのたびに、話し手がいかにもやすやすと聴衆を笑わせ、自分の話に聞き手を引きこんでいくのを感心して見ていたものだ。
が、いざ、自分が演壇に立ってみると、コトはそう簡単にいかないことを、最初のときに痛感したものだ。
あのときは、話の技術と内容に余る謝礼をいただいてしまったものだが、それ以来、けっして多額の謝礼はいただかないことにしたのだった。
今日の講演の謝礼も、じつはまだ額を聞いていないのだ。
会場はしんと静まりかえっている。
私の最初の言葉を、500 人の聴衆が待ちかまえているのだ。
高校や大学などで講演したときには、このようなことはなかった。会場は最初からざわつき、それは話し手にとっていらだたしいことではあったが、緊張感からは遠く、最初からリラックスした内容で話しはじめることができる。終わってみると、意外に学生たちがよく聞いてくれたことをうれしく思ったりするのだ。
が、今日はちょっとちがうようだ。
会場には最初から緊張感がみなぎっている。
私はもうひとつ、せきばらいした。
会場のほうからは、せきばらいひとつ、聞こえない。
ときには、聴衆の連れてきた子どもが騒ぐ声が聞こえたりすることもあるのだが、今日はそんなこともないようだ。
光に目がなれてくるにつれ、感じるのは、500対の視線だ。500対の耳だ。それがすべて、私ひとりに向けられている。
私はきゅうに、のどのかわきをおぼえた。
演壇の右端に、水さしが置いてある。水さしには、コップがかぶせられている。中の水には氷が浮かび、ガラスの外側には水滴が無数についている。
私は水さしを引きよせると、コップを取り、水を注いだ。
手がふるえ、コップが水さしにぶつかる音がひびいた。聴衆にもそれは聞こえたかもしれない。
私は水をひと口飲むと、顔を正面に向け、覚悟を決めた。
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返信削除配信アプリで朗読させていただきました。ありがとうございました。
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