2009年11月28日土曜日

先生への手紙

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----- Jazz Story #29 -----

  「先生への手紙」 水城雄


 拝啓。
 山々もすっかり色づき、いつ雪が舞い降りはじめても不思議ではない季節になりましたが、先生はいかがおすごしでしょうか。
 わたしのほうはなんとか元気でやっております。
 長男がやがて二歳になります。生まれてすぐのころ、少しアトピーが出て心配しましたが、大事にはいたらず、いまは元気に家のなかを歩きまわっています。といっても、せまい家なのですけれど。
 都会の生活なので、子どもが生まれると思いもかけない不自由がいろいろと出てきます。家がせまいこともそうですし、マンションの階段の登りおりもそうです。
 田舎では階段といえば、家のなかにあるものだけでしたよね。学校のギシギシいう木の階段もなつかしいです。でも、学校はもうあたらしい鉄筋コンクリートのものに建てかえられてしまったんですよね。
 あの階段を騒々しく駆けおりて、先生にしかられたことを思い出します。いまとなっては先生のおやさしがわかりますが、あの頃は厳しさばかりが身にしみたものです。
 子どもを抱いて冷たいコンクリートの階段を登りおりしていると、ふとそんなことを思い出したりしてしまいます。

 先生にこんなことを書くのはご迷惑かもしれませんが、書きます。
 子どもが生まれてから、わたしたち夫婦はあまりうまくいっていません。彼は仕事が忙しく、あまり子どものことをかまってくれません。そしてわたしのほうも子ども中心になってしまって、ついつい彼のことをおろそかにしてしまうことが多いのです。
 ささいなすれ違いでも、それが重なっていくと、夫婦の気持ちなんて離れていってしまうものなんですね。
 とてもおきれいだった先生の奥様は、いまもお元気でいらっしゃいますか?
わたしたち女子学生ばかりが何人か、先生のお宅にお邪魔したとき、やわらかい笑顔をお迎えくださいました。そしておいしい和菓子をごちそうになりました。
 先生は、お好きだった夏目漱石の小説の話をしてくださいました。覚えていらっしゃいますか?
 あのころのことが、わたしにはひどくなつかしいです。あのころにもどりたいと思うことがよくあります。でも、もどることはできないんですよね。この子も大きくなっていきますし、わたしたち夫婦も年をとっていきます。
 先生にお会いしたいです。でも、もう先生はいらっしゃいません。
 きっと暖かな笑顔を浮かべて、天国からわたしたちを見守ってくださっているのでしょうか。

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