2011年1月11日火曜日

自己同一性拡散現象

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----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #77 -----

  「自己同一性拡散現象」水城ゆう


 夢を見ていたようだ。
 という書き出しはよくあるが、実際に夢を見ていたのだ。
 しかし、このところ目覚めるといつも感じるある違和感のせいで、夢の内容を一瞬にして忘れてしまった。
 だから最近見た夢をまったく覚えていない。
「あなた、そろそろ起きてくださらない?」
 リビングのほうから妻の声がする。朝食のしたくをしているらしい。その気配で目がさめたのかもしれない。
 いつごろからだろうか、この違和感を覚えるようになったのは。
 なんといえばいいのか、つまり、いま夢から覚醒してベッドから起きあがろうとしている自分は、昨夜眠りについた自分とおなじ人間なのかどうか、確信が持てないのだ。
 たしかに昨夜眠りにつくときには、この身体であった。この左肘のところ。古い傷がある。これは小学生のころ、スキー場でころんでほかのスキー客にぶつかって怪我をしたときの残り傷だ。たしかにこの身体は私の身体だ。
 いや、私の身体にこの傷があるという記憶そのものは、私の記憶なのだろうか。小学生のときにスキー場に行った記憶。そこでスキーを楽しんだ記憶。転倒した記憶。ほかのスキー客にぶつかり、そのスキー板が跳ねかえって私の左肘を直撃した記憶。痛みと出血の記憶。いまでも生々しく脳裏に浮かべることができる、その記憶。それが私の記憶であるという証拠はどこにあるのか。
 夢で見たことを現実の起こったこととして記憶しているのかもしれない。あるいは、肘の傷はスキー場でのことではなく、だれかからスキー場での怪我だと教えこまれたことを自分の記憶と思いこんでいるのかもしれない。
「早くしたくしないと会社に遅れるわよ、あなた」
 妻が寝室をのぞきこんで、いった。
 私は妻の顔を見る。
 たしかに私の妻だ。いや、私の記憶は、この女性の顔や身体つきの特徴を自分の妻であると私に知らせている。
 しかし、この私の記憶はどこから来たのか。
 この記憶を私のものだと確信している私そのものは、どこから来たのか。そもそもこの身体のなかに最初からはいっていたのか。昨日の自分と今朝の自分がおなじ自分であるという証拠はどこにあるのか。
「なによ、じろじろ見たりして。わたしの顔になにかついてる?」
 違和感が強まっている。
 私が見ているのは、たしかに私の妻の顔だ。姿形だ。手のなかには彼女を愛撫するときの感触まである。しかし、それが私の記憶であるという実感がない。
 この感触はだれか別の者の記憶なのではないか。いま見ている妻の顔、いや妻の顔という画像記憶は、私以外の別のだれかの記憶なのではないか。それがなんらかの原因でそっくりそのまま私のなかに植えつけられたのではないか。
 だとしたら、私の本当の記憶はどこに行ったのか。いまごろ別のだれかのなかに私の記憶が植えこまれ、彼もまた違和感をおぼえながら自分の妻の顔を見ているのではないか。私の本来の記憶にある本来の妻の顔はどんな顔なのだ。そしてどんな感触なのだ。
 私はベッドからのろのろと起きあがった。
 私の記憶が妻だと申し立てている女はまだ不審そうな顔つきで私を見ている。
 私は女にむかって手をさしだした。
 女は反射的に私の手を握りかえした。
 私は女の手をつかんで、自分のほうに引きよせた。
「ちょっと、なに、あなた」
 おどろきながらも、その声にはわずかな喜びが含まれていた。私は女の身体を両腕に抱きしめた。
 この感触も、私の記憶のなかにあるものと合致している。たとえだれかの記憶だったとしても。
 突然、私のなかから聞いたこともない言葉が浮かびあがり、私の口から出てきた。
「一切はただ、心のつくりなり」
 だれがそういったのか、私にはわからなかった。私はたぶん、私ではなく、妻もまた妻ではなく、同時に私は私であり、妻は妻であるのだ。すべては私の心のおもむくままにあるということか。
 おだやかな喜びにつつまれていくのを感じた。柔らかな女の身体の感触を楽しみながら、私は時間を忘れていた。

2 件のコメント:

  1. ツイキャスにて使わせていただきます

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  2. https://www.joinclubhouse.com/event/xeRB9yy7

    Clubhouse内でのクラブ「作家さんと朗読をしたい人を繋げる倶楽部」のroom内にて使用させて頂きます。

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