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----- Urban Cruising #2 -----
「単独行」 水城雄
山道にさしかかると、視界が緑におおわれた。
エアコンをとめ、車の窓を開放した。
草いきれ、木々の香り、谷川の音。そういったものがドッと車内に流れこんできて、思わず微笑してしまう。
スピードを落とし、緑の空気を楽しみながら、ゆったりとハンドルを切る。
ぼくは部長に休戦宣言をして、ここにやってきた。
いや、ことによると、あれは部長にとって、ぼくからの宣戦布告だったのかもしれない。
まあいい、そんなことは。いまぼくはひとりでここにやってきた。
それでいい。
一か月前の日曜日、すでにロケーションはすませてある。テントを張れそうな場所も見つけてある。
ほんとうは、自転車か徒歩でここにやってきたかったのだ。が、もらった休暇が三日では、ぜいたくはいえない。それでもギリギリの線だ、と部長はいったものだ。いまの時期をなんだと考えているんだ。
山道を走りはじめて約二十分、ぼくは目的の場所についた。
いちおう舗装は完備しているが、道はほそくまがりくねっている。道の右側には、谷川が流れている。
ぼくが車をとめたところは、ちいさなダムがあった。ダムで川がせきとめられ、上流は細長い湖になっている。雨があがって数日たっているため、水のにごりはとれていた。しかし、あたりには雑草がたくましく生い茂っている。
ぼくは車から荷物を下ろすと、それを背にかつぎあげ、ダムを渡った。
ダムの向こう側に、道路からはまったく見えず、それでいて湖の水面をすっかり見わたせる絶好の場所があるのを、すでに確認してある。
そこでこれから三日間、すごすのだ。
テントの中で。
ひとりのぜいたくな時をすごす。
二日めの朝、ぼくは川をさかのぼった。
手に一本の竿を持って。
大きな岩の上に腰をおろし、谷川の音を聞きながら、仕掛けを作る。
川にはいり、岩を返して岩虫をさがす。
見つけた岩虫は、口にくわえた笹の葉に貼りつけておく。そうすればいつでも餌が必要なときに、針にかけることができる。
岩虫を針にとおし、流れがうずを巻いている深みにむかって、糸を投げこむ。
糸を流しながら、岩かげに身体をひそませる。
そうやって魚と知恵をくらべあっていると、日常のさまざまな思いが肩から抜けおち、身体が軽くなってくるのを感じる。
ぼくは部長のことを考えた。
この三日間の休暇を取るのに、彼とはひと悶着あった。なぜこの時期に休暇なんか、というわけだ。おまえ、いま会社がどういう状態なのかわかってるのか。
わかっているとも。しかし、部長に、部下の営業成績しか頭にないような男に、ぼくのなにがわかる?
まあいい。
いまはぼくの時だ。
日常からときはなたれた、ぼくの時間だ。
会社も家庭も忘れ、いまは魚との知恵くらべに、うつつを抜かすのだ。
いきなりラインが引きこまれ、棹が大きくしなった。グイと棹を立てる。針が魚の上顎にしっかり食いこむ感触が伝わってきた。
魚め。勝負あったな。
いや、まだわからないとも。勝負ははじまったばかりだ。
いつの間にか、ぼくの身体の中に、漁師がすべりこんでいる。
たけりたったやつ、大きなイワナが、銀色の身体をひらめかせて、水面を走った。
星だ。
星々だ。
何年ぶりだろう、星を見るのは。
確かに、仕事帰りに夜空に、星のまたたきを見ることはある。が、あれは星を見るとはいえない。仕事帰りに見る夜空は、狭く、暗い。屋根やアンテナや電柱やビルディングにかこまれ、ひどく視界が狭い。
そして、暗い。
いや、逆に明るいというべきか。
つまり、街頭や家々の明かりが明るくて、星の光が暗いのだ。
いまこうやって夜空をながめていると、街の中では見えないじつに多くの星が見える。
それを見つめていると、すうーっと立ちくらみを起こしそうな感覚に引きこまれる。自分がまさに、この大地、地球という星の表面にへばりつき、星々の空間にただよっているのだ、という感覚。
うん。この感覚。あいつにも味わせてたい。もうすぐ五歳になろうという、ぼくの息子。
よし。今度はやつとふたりでここにやってこよう。
ぼくがやつに伝えられることなど、たかが知れているが、その星々を見せるだけで、やつはぼくのなにかを理解するはずだ。ぼくの息子なのだから。
明日はまた、家庭にもどる。
いまのこの心を、そのまま持って帰れることができるだろうか。もしそれが可能なら、すごい土産になるぞ。そして語ってやろう、やつに。父がいかにしてテントをはり、いかにして火をおこし、いかにして魚と闘ったかを。
そしてその次の日は、また仕事という戦場に出ていくのだ。
部長め。ぼくを待ちかまえていることだろう。
上等だ。やってやろうじゃないか。
うむ。彼にもきっと、息子がいる。
彼も彼なりに戦っているのだ。
よし。彼に応えてやろうじゃないか。
ぼくはテントにもぐりこむと、目をとじた。
夜がぼくをすっぽりと、つつみこんだ。
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