2009年12月26日土曜日

手帳

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----- Urban Cruising #28 -----

  「手帳」 水城雄


 文房具売り場をひとりで歩きまわるのが好きだ。
 特に手帳のコーナーは楽しい。
 棚にずらりと並んださまざまな手帳をながめているだけで、サーカス小屋にもぐりこんだ子供みたいに、わくわくしてしまう。
 いつごろからであろう、自分の手帳を使いはじめたのは。
 そうだ、あれはまだ高校生の頃であった。県庁の土木課に勤めていた父から、県の職員手帳というものを譲り受けたのだ。
 黒いビニールの表紙に、金文字で〈職員手帳〉と刷りこまれていた。おそらくそれは、県の全職員に配給されたものであったのだろう。しかし私の父は、手帳で自分の行動を管理するといった几帳面な性格の持ち主ではなかった。
 職員手帳は、開くとパリパリという音と、インクの匂いを放った。スケジュールとメモのページのあとには、度量衡換算表や当用漢字音訓表のほかに、県職員心得といった項目が付録としてついていた。
 私はその手帳に、ありもしないスケジュールを無理やり書きこみ、さも意味ありげなメモを取っては喜んで持ち歩いたものだ。
 大学にはいってからである、自前の手帳というものを持つようになったのは。その頃から私は、年末になるとデパートや文具店の手帳売り場で手帳をあれこれとためつすがめつし、時間をかけて買い求めるのが楽しみになった。
 スケジュール欄に講義の時間割をびっしりと書きこみ、細かい文字を使ってメモ欄を読んだ本の感想などで埋めては、悦に入っていた。
 ありとあらゆるメモをそのちっぽけな手帳に書きこもうとしたものだから、手帳はすぐにいっぱいになってしまった。また、喫茶店のレシートや見終えた映画の入場券、安売りのデジタル時計の説明書といったものまで手帳にはさみこもうとしたものだから、たちまちそれはふくれあがり、しまいにはゴムバンドをかけておかなければパンクしてしまうありさまだった。
 はじめてシステム手帳というものを目にしたとき、即座に私がそれに飛びついたのも、無理はなかろう。
 システム手帳といっても、ようするにルーズリーフ式のノートを小型にして、皮の表紙をつけて高級感を出した、六穴バインダー式の手帳にすぎない。
 システム手帳と呼ばれるものには、この流行がはじまる前にシステムダイアリーというものがすでに日本には存在した。私もかつて買い求め、使ってみたことがあるが、なぜか相性が悪く、使用を中断してしまったのである。
 システム手帳の流行は英国製の製品からはじまったらしい。おそらくデザインが時代にマッチしたのであろう、バイブルサイズといわれるちょうど掌にすっぽりおさまる程度の大きさの皮の手帳を持って、会議や顧客とのミーティングに現れるビジネスマンは、いかにもやり手で、そしてちょっとファッショナブルな感じであった。
 1冊が3万円以上もするバインダーが、文具売り場から飛ぶように売れていった。
 私も当然、一冊購入して使ってみた。
 私が買ったのは英国製ではなく、アメリカのメーカーの黒皮のシステム手帳であった。英国製のものはいかにも、フリーライターやデザイナーといった人種が使うという雰囲気があって、ちょっと敬遠したのだ。一方、アメリカのメーカーのものはビジネスマン向けといった趣があった。
 他にもさまざまなメーカーの、さまざまなスタイルのシステム手帳が、ほんの数年であっというまに市場にあふれるようになっていった。
 使ってみると、なるほど便利である。これなら、書きこむ量に応じてどんどん用紙を増やしていけばいいし、古い書きこみはバインダーからはずしてストックしておけばいいのだ。
 私はすっかり、システム手帳のとりこになってしまった。
 システム手帳はバインダー式の手帳であるから、ルーズリーフ式ノートのようにリフィルと呼ばれる用紙を自由に入れ換えることができるようになっている。
 リフィルは各種多様なものが手帳と同じメーカーから出されていて、ユーザーはそれを選ぶだけでよいのだ。
 一年のスケジュール、一か月のスケジュール、週単位のスケジュール、毎日のスケジュール、防備録、メモ、健康管理、プロジェクト管理、金銭出納、新刊本のチェックリスト。考えられるあらゆるリフィルが市販されているという趣である。
 私はそういったリフィルを買い求め、自分のシステム手帳にセットするのが、なによりの楽しみとなった。いや、手帳にセットできるのは、紙でできたリフィルばかりではない。専用のカードホルダーや小銭入れまで市販されていて、それにキャッシュ・カードやクレジット・カード、テレフォン・カード名刺、保険証、運転免許証、お札、小銭まで入れておくことができる。
 薄いカード電卓や電話番号メモ、カード式の印鑑、時計、裁縫セット、旅行セットといったものまで出ていて、それらも私は手帳にセットしている。バインダーのリング径が大きければ、かなりのものが手帳にはさめるのだ。さらに私は、非常時に備えて、ばんそうこう、風邪薬、うがい薬、痛み止め、避妊薬などをセットしてある。また、カード式の食料品が売りだされたのを見て、それも手帳にセットすることを忘れなかった。
 さらに、コンパクトな歯ブラシと歯ミガキ、髭ソリ、クシ、下着、帽子を手帳にはさめるように工夫したし、携帯式電話、パソコン、自転車、自動車なども手帳にセットできる見通しがたった。
 私がいま知恵をしぼっているのは、これをなんとかセットできないものかどうか、ということである。
 つまり、私自身を。

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