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----- Another Side of the View #11 -----
「嵐が来る日、ぼくたちはつどう」 水城雄
レースの中止が決定したのは、9時をまわってからだった。
でも、結局、中止になることはみんなわかっていたのだ。もちろん、ぼくにもわかっていた。天気予報を注意して聞いていたものには、皆、わかっていた。
ぼくがハーバーにやってきたわけは、ほかでもない、船が心配だったからだ。いま、ハーバーに集まってきているのも、船を気づかってやってきた者ばかりだった。
「よお。磯崎さん、来てるぜ」
スタンのもやいの具合をたしかめていると、うしろから肩をたたかれた。〈フリーキー・ディーキー〉のオーナーの樋口さんだった。いつもながら、不精髭だらけの顔だ。フリーキー・ディーキーのバースは、ぼくたちの〈ノー・ウーマン〉の隣だった。
「知ってますよ」
と、ぼくはこたえた。
「きみも電話でかりだされたクチかい?」
「ちがいますよ」
すでに磯崎さんが来ていることは、船のもやいを見ればわかる。台風にそなえて、いつもの倍くらい、もやいを増強してある。あとぼくに残された仕事があるとすれば、まだ揺れの来ないキャビンでコーヒーでもわかし、オーナーの労をねぎらうくらいだ。
「きみも来いよ」
樋口さんが手まねきした。
「なんです?」
「コーヒーがはいってる。〈デコイ〉ではじめてる」
ぼくに残された最後の仕事も、べつのだれかに取られてしまったというわけだ。
「すぐに行きますよ」
樋口さんに返事しておいてから、ぼくはノー・ウーマンのデッキに飛び乗った。
なにも女っ気がないから、ノー・ウーマンという名前になったわけじゃない。オーナーの樋口さんがボブ・マーレイを大好きだから、という理由からだ。ノー・ウーマンには、「ノー・ウーマン・ノー・クライ」と続く歌詞がついている。おまえさん、泣くんじゃねえよ。
備えが完全に終わっていることはわかっていたけど、ぼくはひとわたり、デッキ上を点検した。まだほとんど感じるほどではないけれど、ハーバーの中にはわずかなうねりがはいってきているみたいだった。マストが左右に振れ、そのたびにリギンがカチャカチャ鳴る音が聞こえた。
泣くんじゃねえよ、おまえさん。
そういえば、フリーキー・ディーキーというのも変わった名前だ。なんでも、60年代の後半、アメリカではやったイカレたダンスのことなんだそうだ。その頃、アメリカ中を放浪したあげく、デトロイトで自動車修理工をやって食いしのいだことのある樋口さんの思い出にちなんで、そう名付けられたのだという。
いやはや。いろいろあるもんだ。
デコイも、命名にはちょっと変わったいきさつを持っている。デコイのオーナーは武部さんという建築資材の会社の社長だけど、三年ばかり前、離婚した。武部さんの奥さんは、女性にしては風変わりな趣味だと思うけれど、デコイを作るのが好きだった。デコイってのは、つまりあの木でできた鴨のことだ。子どもも大きくなって、手を離れてしまうと、それこそ朝から晩までデコイ作りに熱中しちゃうんだそうだ。
ある日、たまたま虫の居所の悪かった武部さんは、作りかけのデコイで足の踏み場もないほど散らかった部屋を見て、つい大声を出してしまった。このロクでもないデコイを片付けるか、おまえが出ていくか、どちらかにしてくれ。
翌日、武部さんは、部屋いっぱいのデコイを抱えて、独身生活にもどった。教訓を忘れないように、武部さんは自分の船にデコイという名前をつけた。
教訓というのは、こうだ。
「女から理不仁なことをいわれても、男から理不仁なことをいってはならない。たとえ相手が妻であろうと」
最後にブームカバーを点検してから、ぼくはノー・ウーマンを降りた。
ぼくがデコイのキャビンにはいっていったとき、全員がいっせいにはじけるように笑ったところだった。
「いや、きみのことじゃないよ」
独身の武部さんが、ぼくにコーヒーをいれてくれながら、説明した。
「ある人の噂をしていたもんでね」
「だれの噂ですか?」
ぼくはたずねた。
「だれのって……ここにいないやつに決まってるだろうが」
みんな、ニヤニヤ笑っている。
ぼくはコーヒーカップを受けとって、あいている席に割りこんだ。
総勢七人。いつもの顔。いつもの笑い声。
「ああ、またあの人の噂ですね」
「そう、あの人の、な」
磯崎さんがいった。彼の目は、おまえ、おれが点検したあとのデッキでなにしてたんだ、といっている。おれが全部やっといた。完ぺきだったろうが、え?
ぼくはいった。
「よくないですよ、いない人の悪口をいうのは」
背をもたれてくつろぐと、まだ揺れはほとんど感じられなかった。
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