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----- Urban Cruising #13 -----
「気分をよくして」 水城雄
空には高く、すじ雲が見えている。
雲の下を、風切り羽をいっぱいに広げて、鳶が舞っている。
ハサに干した稲からは、秋の日向のにおいがしている。
この気持ちを伝えられたら、と思う。
そうなんだ。今日はとても気持ちのいい一日だった。そういう日っていうのがあるものなんだ。
目ざましが鳴る前に目をさませた朝。
ぴかぴかにみがかれた洗面台。
替えたばかりの歯ブラシは、すこし痛いくらい硬い。
外に出ると、底が抜けたような天気だった。ゆうゆうと舞っている鳶をながめていると、さらにはるか上空、雲のあいだを、ゆっくりと突っ切っていく飛行機が見えた。飛行機のうしろには、一直線に飛行機雲ができている。
車に運転していると、前の車の窓からこちらに向かって、ちいさな女の子が手を振った。
横断歩道では、高校の制服を着た少女が、腰のまがったおばあちゃんを助けて、渡らせている。
すこし風があるのか、開きかけたススキの穂が、同じ方向に流れている。その横では忘れられたスズメオドシが、くるくると回っている。
秋だからといって、きみは電話の向こうで泣いたけれど、そんな必要はちっともない。遠くはなれているといって、きみは泣いたけれど、きみにだってこんな気持ちのいい一日があるだろう?
トップギヤがことりとはいる感触。
アネさんかぶりをした花売りのおばあさん。
朝露をためたサト芋。
きみにも、こんな気持ちのいい一日があればいいと思う。
気分がよくなる方法を、ぼくはいろいろと知っているんだ。
きみに教えてあげられたら、と思う。いや、今度教えてあげることにしよう。
簡単なことさ。
ちょっと椅子に腰をかけて。
身体の力を抜いて。楽にして。目をとじて。
慣れれば、目なんか閉じなくてもできるようになる。歩きながらだってできる。車を運転していたってかまわない。
そして、思い浮かべるんだ、こういうことを。
まっ白な雪原をどこまでも歩いた小学生のころの記憶。
釣り糸を垂れているとき聞いた、魚のはねる音。
繻子のドレスを着た人形の感触。
冷たい小川に手をいれたときの気持ち。
窓をあけはなった家の中を渡っていく風のこと。
籐で編んだ枕の手ざわり。
ほこりをぬぐったばかりの、自転車の濡れたサドル。
掃除したばかりの、気泡のついた熱帯魚の水槽のガラス。
草笛を丸めるときの気持ち。
暖かなワラのにおい。
地蔵さまの前にそなえられたお団子。
ヘッドライトの中を横ぎる野ねずみ。
引き出しの底から見つけた古い手帳、古い写真。
ひと気のない浜茶屋にならんですわっている高校生。
体育祭の汗。
思いがけない友人からとどいた絵はがき。
雨降りの川岸にたたずむ青サギ。
だれもいない夜の駅の待合い室。
忘れていた自分の誕生日。
傷だらけの古い鞄。
そう。海辺で、かけていたサングラスをはずす瞬間の気持ちを思いだすのも、いいね。
でも、ぼくがいちばん気分よくなれるのは、もちろんきみのことを思いだすときだ。
椅子に腰をかける。
身体の力を抜く。目をとじる。
そうすると浮かんでくるんだ。
手をつないできみと歩いた、見知らぬ街。
ぼくのサングラスをかけておどけたきみの顔。
街角のバーで飲んだビールの味。
ホテルの窓からならんで見た遠くの花火。
高速道路の加速車線をかけあがっていくときの、きみの真剣な顔。
汽車から降りてくるきみの姿。
きみも、いまのぼくみたいに、ぼくのことを思いだして、気分がよくなることはあるのだろうか。もしあるなら、ぼくはうれしい。だれかがぼくのことを思いだして気分をよくしてくれていると考えるのは、とても気分がいいと思う。
つまらない電話なんかやめて、きみも気分のよくなることを考えればいい。
ぼくは考えているよ、いつも。
ペタペタと音をたてるきみのパンプス。
風でふくらんだきみのスカート。
さらさらしたきみの手。
ぼくの腕の中にすっぽりおさまるきみの身体。
きみの笑顔。
きみの寝顔。
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