(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
----- MIZUKI Yuu Sound Sketch #66 -----
「共同存在現象」 水城雄
星のない暗い空をぼんやりながめていたら
死が降りてきた。
コンビニのレジ打ちのパート女性を見ていたら
海に包まれた。
きつい上り坂を自転車で立ちこぎしていたら
時が止まった。
一様に
ひとしく
一定の濃度で流れていると信じている
時間というもの。
空間の変化は時間の変化をあらわさない。
花粉症でひとつ大きなくしゃみをしたら
夜が止まった。
子どもがブランコから落っこちるのを見たら
青春が消えた。
熱いお湯に足先をおそるおそるつけたら
超新星が生まれた。
私のおこなうことが
純粋持続のなかにあり
おこない自体が私の全人格であるとき
私は自由を表現する
指を開いたら
花が死んだ。
手をあげたら
地軸がずれた。
目を閉じたら
無限が分離した。
2010年3月21日日曜日
2010年3月20日土曜日
群読シナリオ「Kenji」(3)
(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
----- 群読のためのシナリオ -----
群読シナリオ「Kenji」(3)
ピアノ、入る。
ここから「ポエティック・インプロヴィゼーション」。
ピアノとBとCによる。
(B・静)
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
(C・静)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです
(B・動)
これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
(C・動)
けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
(B・静)
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
(C・静)
大正十三年一月廿日
宮沢賢治
演奏、そのまま星めぐりの歌(Bパターン)へ。
歌と演奏。
一番が終わったら、ピアノBGMへ。
全員、始めの位置へ。Aだけ中央へ。
A「夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。もう山
焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見えません。よだかはのぼってのぼって行きま
した。
寒さにいきはむねに白く凍りました。空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせ
わしくうごかさなければなりませんでした。
それだのに、ほしの大きさは、さっきと少しも変りません。つくいきはふいごのようで
す。寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺しました。よだかははねがすっかりしびれ
てしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました」
全員、ハミングで星めぐりの歌を静かに。
歌いながら、全員Aのまわりに集まってくる。ひとかたまりになる。
A「そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼってい
るのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただ
こころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ました
が、たしかに少しわらって居(お)りました。
それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだ
がいま燐(りん)の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見まし
た。
すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになって
いました。
そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
今でもまだ燃えています」
星めぐりの歌二番を歌手が歌う。
歌が終わったら、かたまったまま、礼。
終わり。
Authorized by the author
----- 群読のためのシナリオ -----
群読シナリオ「Kenji」(3)
ピアノ、入る。
ここから「ポエティック・インプロヴィゼーション」。
ピアノとBとCによる。
(B・静)
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
(C・静)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです
(B・動)
これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
(C・動)
けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
(B・静)
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
(C・静)
大正十三年一月廿日
宮沢賢治
演奏、そのまま星めぐりの歌(Bパターン)へ。
歌と演奏。
一番が終わったら、ピアノBGMへ。
全員、始めの位置へ。Aだけ中央へ。
A「夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。もう山
焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見えません。よだかはのぼってのぼって行きま
した。
寒さにいきはむねに白く凍りました。空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせ
わしくうごかさなければなりませんでした。
それだのに、ほしの大きさは、さっきと少しも変りません。つくいきはふいごのようで
す。寒さや霜がまるで剣のようによだかを刺しました。よだかははねがすっかりしびれ
てしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました」
全員、ハミングで星めぐりの歌を静かに。
歌いながら、全員Aのまわりに集まってくる。ひとかたまりになる。
A「そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼってい
るのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただ
こころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ました
が、たしかに少しわらって居(お)りました。
それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだ
がいま燐(りん)の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見まし
た。
すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになって
いました。
そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
今でもまだ燃えています」
星めぐりの歌二番を歌手が歌う。
歌が終わったら、かたまったまま、礼。
終わり。
2010年3月19日金曜日
群読シナリオ「Kenji」(2)
(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
----- 群読のためのシナリオ -----
群読シナリオ「Kenji」(2)
A「(つづけて)すると胸がさらさらと波をたてるように思いました。けれどもまた
じっとその鳴ってほえてうなって、かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどか
となってくるのでした。きのうまで丘や野原の空の底に澄みきってしんとしていた風
が、けさ夜あけ方にわかにいっせいにこう動き出して、どんどんどんどんタスカロラ海
溝の北のはじをめがけて行くことを考えますと、もう一郎は顔がほてり、息もはあはあ
となって、自分までがいっしょに空を翔けて行くような気持ちになって、大急ぎでうち
の中へはいると胸を一ぱいはって、息をふっと吹きました」
歌手「(呼びかけるように)ケンジ」
ピアノ音(ジングル風一発音)。
全員「(動きながら)雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル」
D「霧がじめじめ降っていた。諒安は、その霧の底をひとり、険しい山谷の、刻みを
渉って行きました。(これはこれ 惑う木立の 中ならず しのびをならう 春の道
場)。どこからかこんな声がはっきり聞えて来ました。諒安は眼をひらきました。霧が
からだにつめたく浸み込むのでした。全く霧は白く痛く竜の髯の青い傾斜はその中にぼ
んやりかすんで行きました。諒安はとっととかけ下りました。そしてたちまち一本の灌
木に足をつかまれて投げ出すように倒れました。諒安はにが笑いをしながら起きあがり
ました。いきなり険しい灌木の崖が目の前に出ました。諒安はそのくろもじの枝にとり
ついてのぼりました。くろもじはかすかな匂を霧に送り霧は俄かに乳いろの柔らかなや
さしいものを諒安によこしました。諒安はよじのぼりながら笑いました。その時霧は大
へん陰気になりました。そこで諒安は霧にそのかすかな笑いを投げました。そこで霧は
さっと明るくなりました。そして諒安はとうとう一つの平らな枯草の頂上に立ちまし
た」
全員(D以外)「(動きながら)一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ」
D「そこは少し黄金いろでほっとあたたかなような気がしました。諒安は自分のからだ
から少しの汗の匂いが細い糸のようになって霧の中へ騰って行くのを思いました。その
汗という考から一疋の立派な黒い馬がひらっと躍り出して霧の中へ消えて行きました。
霧が俄かにゆれました。そして諒安はそらいっぱいにきんきん光って漂う琥珀の分子の
ようなものを見ました。それはさっと琥珀から黄金に変りまた新鮮な緑に遷ってまるで
雨よりも滋く降って来るのでした」
全員「(動きながら)野原ノ松ノ林ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ」
D「(おっかぶせるように)いつか諒安の影がうすくかれ草の上に落ちていました。一
きれのいいかおりがきらっと光って霧とその琥珀との浮遊の中を過ぎて行きました。と
思うと俄かにぱっとあたりが黄金に変りました。霧が融けたのでした。太陽は磨きたて
の藍銅鉱のそらに液体のようにゆらめいてかかり融けのこりの霧はまぶしく蝋のように
谷のあちこちに澱みます。
全員「(動きながら)東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ」
D「(おっかぶせるように)すぐ向うに一本の大きなほおの木がありました。その下に
二人の子供が幹を間にして立っているのでした。その子供らは羅(うすもの)をつけ瓔
珞(ようらく)をかざり日光に光り、すべて断食のあけがたの夢のようでした」
全員「(動きながら)西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ」
D「ところがさっきの歌はその子供らでもないようでした。それは一人の子供がさっき
よりずうっと細い声でマグノリアの木の梢を見あげながら歌い出したからです」
全員、その場に静止して。
偶然止まったその場所で。
C「サンタ、マグノリア、枝にいっぱいひかるはなんぞ」
D「南ニ死ニサウナ人アレバ、行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ」
歌手「天に飛びたつ銀の鳩」
D「北ニケンクヮヤソショウガアレバ、ツマラナイカラヤメロトイヒ」
C「セント、マグノリア、枝にいっぱいひかるはなんぞ」
D「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」
歌手「天からおりた天の鳩」
D「サムサノナツハオロオロアルキ」
A「マグノリアの木は寂静印です。ここはどこですか」
D「ミンナニデクノボートヨバレ」
C「私たちにはわかりません」
D「ホメラレモセズ」
C・歌手「そうです、マグノリアの木は寂静印です」
A「あなたですか、さっきから霧の中やらでお歌いになった方は」
C・歌手「ええ、私です。またあなたです。なぜなら私というものもまたあなたが感
じているのですから」
A「そうです、ありがとう、私です、またあなたです。なぜなら私というものもまたあ
なたの中にあるのですから」
D「クニモサレズ」
A「ほんとうにここは平らですね」
B「ええ、平らです、けれどもここの平らかさはけわしさに対する平らさです。ほん
とうの平らさではありません」
A「そうです。それは私がけわしい山谷を渡ったから平らなのです」
B「ごらんなさい、そのけわしい山谷にいまいちめんにマグノリアが咲いていま
す」
A「ええ、ありがとう、ですからマグノリアの木は寂静です。あの花びらは天の山羊の
乳よりしめやかです。あのかおりは覚者たちの尊い偈(げ)を人に送ります」
B「それはみんな善です」
A「誰の善ですか」
B「覚者の善です。そうです、そしてまた私どもの善です。覚者の善は絶対です。そ
れはマグノリアの木にもあらわれ、けわしい峯のつめたい巌にもあらわれ、谷の暗い密
林もこの河がずうっと流れて行って氾濫をするあたりの度々の革命や饑饉や疫病やみん
な覚者の善です。けれどもここではマグノリアの木が覚者の善でまた私どもの善です」
全員「サウイフモノニ、ワタシハナリタイ」
Authorized by the author
----- 群読のためのシナリオ -----
群読シナリオ「Kenji」(2)
A「(つづけて)すると胸がさらさらと波をたてるように思いました。けれどもまた
じっとその鳴ってほえてうなって、かけて行く風をみていますと、今度は胸がどかどか
となってくるのでした。きのうまで丘や野原の空の底に澄みきってしんとしていた風
が、けさ夜あけ方にわかにいっせいにこう動き出して、どんどんどんどんタスカロラ海
溝の北のはじをめがけて行くことを考えますと、もう一郎は顔がほてり、息もはあはあ
となって、自分までがいっしょに空を翔けて行くような気持ちになって、大急ぎでうち
の中へはいると胸を一ぱいはって、息をふっと吹きました」
歌手「(呼びかけるように)ケンジ」
ピアノ音(ジングル風一発音)。
全員「(動きながら)雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル」
D「霧がじめじめ降っていた。諒安は、その霧の底をひとり、険しい山谷の、刻みを
渉って行きました。(これはこれ 惑う木立の 中ならず しのびをならう 春の道
場)。どこからかこんな声がはっきり聞えて来ました。諒安は眼をひらきました。霧が
からだにつめたく浸み込むのでした。全く霧は白く痛く竜の髯の青い傾斜はその中にぼ
んやりかすんで行きました。諒安はとっととかけ下りました。そしてたちまち一本の灌
木に足をつかまれて投げ出すように倒れました。諒安はにが笑いをしながら起きあがり
ました。いきなり険しい灌木の崖が目の前に出ました。諒安はそのくろもじの枝にとり
ついてのぼりました。くろもじはかすかな匂を霧に送り霧は俄かに乳いろの柔らかなや
さしいものを諒安によこしました。諒安はよじのぼりながら笑いました。その時霧は大
へん陰気になりました。そこで諒安は霧にそのかすかな笑いを投げました。そこで霧は
さっと明るくなりました。そして諒安はとうとう一つの平らな枯草の頂上に立ちまし
た」
全員(D以外)「(動きながら)一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ」
D「そこは少し黄金いろでほっとあたたかなような気がしました。諒安は自分のからだ
から少しの汗の匂いが細い糸のようになって霧の中へ騰って行くのを思いました。その
汗という考から一疋の立派な黒い馬がひらっと躍り出して霧の中へ消えて行きました。
霧が俄かにゆれました。そして諒安はそらいっぱいにきんきん光って漂う琥珀の分子の
ようなものを見ました。それはさっと琥珀から黄金に変りまた新鮮な緑に遷ってまるで
雨よりも滋く降って来るのでした」
全員「(動きながら)野原ノ松ノ林ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ」
D「(おっかぶせるように)いつか諒安の影がうすくかれ草の上に落ちていました。一
きれのいいかおりがきらっと光って霧とその琥珀との浮遊の中を過ぎて行きました。と
思うと俄かにぱっとあたりが黄金に変りました。霧が融けたのでした。太陽は磨きたて
の藍銅鉱のそらに液体のようにゆらめいてかかり融けのこりの霧はまぶしく蝋のように
谷のあちこちに澱みます。
全員「(動きながら)東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ」
D「(おっかぶせるように)すぐ向うに一本の大きなほおの木がありました。その下に
二人の子供が幹を間にして立っているのでした。その子供らは羅(うすもの)をつけ瓔
珞(ようらく)をかざり日光に光り、すべて断食のあけがたの夢のようでした」
全員「(動きながら)西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ」
D「ところがさっきの歌はその子供らでもないようでした。それは一人の子供がさっき
よりずうっと細い声でマグノリアの木の梢を見あげながら歌い出したからです」
全員、その場に静止して。
偶然止まったその場所で。
C「サンタ、マグノリア、枝にいっぱいひかるはなんぞ」
D「南ニ死ニサウナ人アレバ、行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ」
歌手「天に飛びたつ銀の鳩」
D「北ニケンクヮヤソショウガアレバ、ツマラナイカラヤメロトイヒ」
C「セント、マグノリア、枝にいっぱいひかるはなんぞ」
D「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」
歌手「天からおりた天の鳩」
D「サムサノナツハオロオロアルキ」
A「マグノリアの木は寂静印です。ここはどこですか」
D「ミンナニデクノボートヨバレ」
C「私たちにはわかりません」
D「ホメラレモセズ」
C・歌手「そうです、マグノリアの木は寂静印です」
A「あなたですか、さっきから霧の中やらでお歌いになった方は」
C・歌手「ええ、私です。またあなたです。なぜなら私というものもまたあなたが感
じているのですから」
A「そうです、ありがとう、私です、またあなたです。なぜなら私というものもまたあ
なたの中にあるのですから」
D「クニモサレズ」
A「ほんとうにここは平らですね」
B「ええ、平らです、けれどもここの平らかさはけわしさに対する平らさです。ほん
とうの平らさではありません」
A「そうです。それは私がけわしい山谷を渡ったから平らなのです」
B「ごらんなさい、そのけわしい山谷にいまいちめんにマグノリアが咲いていま
す」
A「ええ、ありがとう、ですからマグノリアの木は寂静です。あの花びらは天の山羊の
乳よりしめやかです。あのかおりは覚者たちの尊い偈(げ)を人に送ります」
B「それはみんな善です」
A「誰の善ですか」
B「覚者の善です。そうです、そしてまた私どもの善です。覚者の善は絶対です。そ
れはマグノリアの木にもあらわれ、けわしい峯のつめたい巌にもあらわれ、谷の暗い密
林もこの河がずうっと流れて行って氾濫をするあたりの度々の革命や饑饉や疫病やみん
な覚者の善です。けれどもここではマグノリアの木が覚者の善でまた私どもの善です」
全員「サウイフモノニ、ワタシハナリタイ」
2010年3月18日木曜日
群読シナリオ「Kenji」(1)
(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
----- 群読のためのシナリオ -----
群読シナリオ「Kenji」(1)
原作:宮沢賢治/構成:水城雄
出演 歌手
ピアノ
朗読A~D
全員、音楽教室へ入場。
ピアノ、中央。
向かって左からA、D、ピアノをはさみB、C、歌手。
歌手のみマイクスタンド使用。
ピアノ音、先行(ジングル風一発音)。
歌手「(生徒たちに呼びかけるように)ケンジ」
ピアノ音、もう一度。
全員(歌手も)「雨ニモマケズ、風ニモマケズ。雨ニモマケズ、風ニモマケズ。雨ニモマ
ケズ、風ニモマケズ……(何度もくりかえす)」
ひとり抜け、次のセリフに移行していく。
またひとり抜け、ひとり抜け、というふうに、気がついたら全員、次のセリフに以降
している。
全員「どっどどどどうど、どどうどどどう。どっどどどどうど、どどうどどどう。どっど
どどどうど、どどうどどどう……(何度もくりかえす)」
全員がそろったところで次第に声が小さくなっていく。
そしてささやき声になり、
全員「どっどどどどうど、どどうどどどう。青いくるみも吹きとばせ。すっぱいかりんも
吹きとばせ。どっどどどどうど、どどうどどどう」
その間にA、中央へ(ピアノ前)。
A「先ごろ、三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中でまたきいたのです。
びっくりしてはね起きて見ると、外ではほんとうにひどく風が吹いて、林はまるでほえ
るよう、あけがた近くの青ぐろいうすあかりが、障子や棚(たな)の上のちょうちん箱
や、家じゅういっぱいでした。一郎はすばやく帯をして、そして下駄(げた)をはいて
土間をおり、馬屋の前を通ってくぐりをあけましたら、風がつめたい雨の粒といっしょ
にどっとはいって来ました」
C「馬屋のうしろのほうで何か戸がばたっと倒れ、馬はぶるっと鼻を鳴らしました」
A「一郎は風が胸の底までしみ込んだように思って、はあと息を強く吐きました。そし
て外へかけだしました。
外はもうよほど明るく、土はぬれておりました。家の前の栗(くり)の木の列は変に青
く白く見えて、それがまるで風と雨とで今洗濯(せんたく)をするとでもいうように激
しくもまれていました」
C「青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎられた青い栗のいがは黒い地面にたくさん落ち
ていました。空では雲がけわしい灰色に光り、どんどんどんどん北のほうへ吹きとばさ
れていました」
A「遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっと聞
こえたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物を
もって行かれそうになりながら、だまってその音をききすまし、じっと空を見上げまし
た」
ピアノ入る。
A、元の位置へ。
歌手、ピアノ横へ。
星めぐりの歌(Aパターン)。
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。
B、C、中央へ。
歌と演奏が続く中で、セリフ入る。
B「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ」
C「銀河ステーションで、もらったんだ。君もらわなかったの」
B「ああ、ぼく銀河ステーションを通ったろうか。いまぼくたちの居るとこ、ここだ
ろう」
C「そうだ。おや、あの河原は月夜だろうか」
D「そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるで
いちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした」
B「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ」
D「ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい愉快になって、足をこつこつ
鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛を吹きながら一生けん命延びあが
って、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、は
っきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラ
スよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波
をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野
原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立っていたのです。遠いも
のは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白
く少しかすんで、或いは三角形、或いは四辺形、あるいは電や鎖の形、さまざまになら
んで、野原いっぱい光っているのでした。ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をや
けに振りました。するとほんとうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかがや
く三角標も、てんでに息をつくように、ちらちらゆれたり顫えたりしました」
B「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た。それにこの汽車石炭をたいていないねえ」
C「アルコールか電気だろう」
D「ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中
を、天の川の水や、三角点の青じろい微光の中を、どこまでもどこまでもと、走って行
くのでした。
C「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ」
D「線路のへりになったみじかい芝草の中に、月長石ででも刻まれたような、すばらし
い紫のりんどうの花が咲いていました」
B「ぼく、飛び下りて、あいつをとって、また飛び乗ってみせようか」
C「もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから」
A「カムパネルラが、そう云ってしまうかしまわないうち、次のりんどうの花が、いっ
ぱいに光って過ぎて行きました。と思ったら、もう次から次から、たくさんのきいろな
底をもったりんどうの花のコップが、湧くように、雨のように、眼の前を通り、三角標
の列は、けむるように燃えるように、いよいよ光って立ったのです」
音楽は途中でFO。
別の音楽に変わる(器楽のみ)。
Authorized by the author
----- 群読のためのシナリオ -----
群読シナリオ「Kenji」(1)
原作:宮沢賢治/構成:水城雄
出演 歌手
ピアノ
朗読A~D
全員、音楽教室へ入場。
ピアノ、中央。
向かって左からA、D、ピアノをはさみB、C、歌手。
歌手のみマイクスタンド使用。
ピアノ音、先行(ジングル風一発音)。
歌手「(生徒たちに呼びかけるように)ケンジ」
ピアノ音、もう一度。
全員(歌手も)「雨ニモマケズ、風ニモマケズ。雨ニモマケズ、風ニモマケズ。雨ニモマ
ケズ、風ニモマケズ……(何度もくりかえす)」
ひとり抜け、次のセリフに移行していく。
またひとり抜け、ひとり抜け、というふうに、気がついたら全員、次のセリフに以降
している。
全員「どっどどどどうど、どどうどどどう。どっどどどどうど、どどうどどどう。どっど
どどどうど、どどうどどどう……(何度もくりかえす)」
全員がそろったところで次第に声が小さくなっていく。
そしてささやき声になり、
全員「どっどどどどうど、どどうどどどう。青いくるみも吹きとばせ。すっぱいかりんも
吹きとばせ。どっどどどどうど、どどうどどどう」
その間にA、中央へ(ピアノ前)。
A「先ごろ、三郎から聞いたばかりのあの歌を一郎は夢の中でまたきいたのです。
びっくりしてはね起きて見ると、外ではほんとうにひどく風が吹いて、林はまるでほえ
るよう、あけがた近くの青ぐろいうすあかりが、障子や棚(たな)の上のちょうちん箱
や、家じゅういっぱいでした。一郎はすばやく帯をして、そして下駄(げた)をはいて
土間をおり、馬屋の前を通ってくぐりをあけましたら、風がつめたい雨の粒といっしょ
にどっとはいって来ました」
C「馬屋のうしろのほうで何か戸がばたっと倒れ、馬はぶるっと鼻を鳴らしました」
A「一郎は風が胸の底までしみ込んだように思って、はあと息を強く吐きました。そし
て外へかけだしました。
外はもうよほど明るく、土はぬれておりました。家の前の栗(くり)の木の列は変に青
く白く見えて、それがまるで風と雨とで今洗濯(せんたく)をするとでもいうように激
しくもまれていました」
C「青い葉も幾枚も吹き飛ばされ、ちぎられた青い栗のいがは黒い地面にたくさん落ち
ていました。空では雲がけわしい灰色に光り、どんどんどんどん北のほうへ吹きとばさ
れていました」
A「遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっと聞
こえたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物を
もって行かれそうになりながら、だまってその音をききすまし、じっと空を見上げまし
た」
ピアノ入る。
A、元の位置へ。
歌手、ピアノ横へ。
星めぐりの歌(Aパターン)。
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。
B、C、中央へ。
歌と演奏が続く中で、セリフ入る。
B「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ」
C「銀河ステーションで、もらったんだ。君もらわなかったの」
B「ああ、ぼく銀河ステーションを通ったろうか。いまぼくたちの居るとこ、ここだ
ろう」
C「そうだ。おや、あの河原は月夜だろうか」
D「そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるで
いちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした」
B「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ」
D「ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい愉快になって、足をこつこつ
鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛を吹きながら一生けん命延びあが
って、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、は
っきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラ
スよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波
をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野
原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立っていたのです。遠いも
のは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白
く少しかすんで、或いは三角形、或いは四辺形、あるいは電や鎖の形、さまざまになら
んで、野原いっぱい光っているのでした。ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をや
けに振りました。するとほんとうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかがや
く三角標も、てんでに息をつくように、ちらちらゆれたり顫えたりしました」
B「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た。それにこの汽車石炭をたいていないねえ」
C「アルコールか電気だろう」
D「ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中
を、天の川の水や、三角点の青じろい微光の中を、どこまでもどこまでもと、走って行
くのでした。
C「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ」
D「線路のへりになったみじかい芝草の中に、月長石ででも刻まれたような、すばらし
い紫のりんどうの花が咲いていました」
B「ぼく、飛び下りて、あいつをとって、また飛び乗ってみせようか」
C「もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから」
A「カムパネルラが、そう云ってしまうかしまわないうち、次のりんどうの花が、いっ
ぱいに光って過ぎて行きました。と思ったら、もう次から次から、たくさんのきいろな
底をもったりんどうの花のコップが、湧くように、雨のように、眼の前を通り、三角標
の列は、けむるように燃えるように、いよいよ光って立ったのです」
音楽は途中でFO。
別の音楽に変わる(器楽のみ)。
2010年3月2日火曜日
おまえの夏休みの宿題に父は没頭する
(C)2010 by MIZUKI Yuu All rights reserved
Authorized by the author
----- Urban Cruising #7 -----
「おまえの夏休みの宿題に父は没頭する」 水城雄
宿題をほうり出して、おまえはいつものように遊びに出かけてしまった。
どこに行ったのだろうか。おまえの父は、夏休み最後の日曜日、こうやっておまえの宿題をかたづけてやっている。
いま、父の前には、おまえの宿題の材料がならんでいる。
おまえの母が、つまりわたしの妻が、昨日、百貨店から買ってきたものだ。これらがはいっていたケースには、〈昆虫採集セット〉と書いてある。
おまえの母はいったものだ。
「ねえ、あなた。あの子ったら、夏休みの宿題を全然やってないのよ」
わたしは答えた。
「夏休みといっても、あと何日もないじゃないか。どうしてほうっておいたんだ」
するとおまえの母親は非難がましく、あなたが宿題なんかほうっておけばいいっていったのよ、それを間に受けたのよあの子は、毎日毎日遊びまわってばかりいるんだから、あなたが悪いのよ、という。
おおいにけっこう、とわたしはこたえる。
そうとも。宿題なんかやらなくていい。見ろ。おかげで、どの子にも負けないくらいまっ黒に日焼けしてるじゃないか。
そうよ。おかげでまっ黒で汚い格好をして、ガキ大将気取りで走りまわっているわ。勉強嫌いになって。出かけたら出かけたで、まっ暗になるまで帰ってこないし。ちょっとやりたい放題がすぎるんじゃなくて?
子供はそれでいいんだ。元気なのが一番なんだ。
あなたは自分があの子の面倒を見ないから、そんな無責任でいられるのよ。結局、たまった宿題を手伝ってやらなければならないのは、このあたしなのよ。
宿題なんかなんだ。よし、わかった。わたしが責任を取ってやろうじゃないか。
というわけで、父はいま、〈昆虫採集セット〉を前に、腕組みしているのだ。
ガラス瓶の中には、おまえがかけずりまわって集めてきた名前も知らない虫ケラが、たくさんひからびているぞ。
ガラス瓶をさかさにする。
ひからびた虫たちが、新聞紙の上にころがり落ちてきた。
いつなんだ、この虫を集めたのは、とわたしは妻にたずねた。
妻は妻で、牛乳パックを利用して、なにやら工作をしているのだ。夏休みの工作とか昆虫採集といっても、親の宿題みたいなものだな、これでは。
知らない、と妻がこたえる。だいぶ前なんじゃない。ずいぶん遠くまで自転車で取りに行ったみたいよ。
わたしはピンセットで昆虫を転がしてみる。
脚をちぢめて乾ききったカナブン。羽のかけた蝶、蝉、トンボ。足のちぎれたバッタ。
あわれな犠牲者たち。おまえというハンターの獲物たち。
〈昆虫採集セット〉には、虫ピンや採集ラベル、コルクを貼りつけた箱などがふくまれている。
わたしはカナブンのひとつをピンセットで押さえつけ、背中から虫ピンを突きさした。
目の前にかかげ、ひとわたり観察してから、おまえの昆虫図鑑を広げる。
そうか。カナブンというのはカブトムシの仲間なのか。コガネムシ科、カナブン。これだな。
わたしは採集ラベルにボールペンで書きつける。
採集ケースにラベルを貼りつけ、その上に虫ピンであわれなカナブンをとめた。
あわれなカナブン。
おまえはまだ帰ってきそうにない。
いいとも。好きなだけ遊んでこい。もうすぐ夏休みは終りだ。
ギンヤンマ。
4月から10月に平地の池で活動する、か。産卵は、連結したまま植物の組織内に行なう。
なるほど。そういえばつながったまま飛んでいるトンボを見たことがあるぞ。しかし、植物の組織内というのは、なんのことだろう。
おまえはこのあわれなトンボをどこで取ってきたのだろうか。池といえば、たぶんあの池のことだな。父も子供のころ、あの池でフナやウグイを釣ったものだ。いまでも釣れるのだろうか。
たぶん、無理だろう。池のすぐ横の崖の上に、大きな道路が通ってしまったからな。
しかし、こうやって見ると、昆虫図鑑というものもなかなかおもしろいものだ。スズムシの飼い方か。わたしも飼ったことがあるぞ。縁の欠けた大きな壷を母親からもらい、キュウリやナスで育てたものだ。ニボシなんかもやったな。タンパク質の補給だとかいって。
そういったことも、ここにちゃんと書いてある。なかなかいい本じゃないか。母に買ってもらったのか?
その母がわたしにいう。
あなた、宿題は進んでいるの? なんだかぼんやり本ばかりながめて。
わたしはこたえる。
おまえこそ、どうなんだ?
あたしのほうはもうすっかり終りですよ。
そうかい? で、なにを作ってやったんだ?
風車ですよ。ほら、あのオランダなんかによくあるじゃない。子供が作ったってことにしなきゃならないから、あまり上手にならないようにするのに苦労したわ。
よくいうよ、まったく。
わたしはふたたび、昆虫の分類に取りかかる。
外はそろそろ暗くなってきている。もうすぐおまえが帰ってくることだろう。まっ黒な顔と手足をして。
そうして、甘えた声でいうことだろう。
おかあさん、おなかすいた。
と。
Authorized by the author
----- Urban Cruising #7 -----
「おまえの夏休みの宿題に父は没頭する」 水城雄
宿題をほうり出して、おまえはいつものように遊びに出かけてしまった。
どこに行ったのだろうか。おまえの父は、夏休み最後の日曜日、こうやっておまえの宿題をかたづけてやっている。
いま、父の前には、おまえの宿題の材料がならんでいる。
おまえの母が、つまりわたしの妻が、昨日、百貨店から買ってきたものだ。これらがはいっていたケースには、〈昆虫採集セット〉と書いてある。
おまえの母はいったものだ。
「ねえ、あなた。あの子ったら、夏休みの宿題を全然やってないのよ」
わたしは答えた。
「夏休みといっても、あと何日もないじゃないか。どうしてほうっておいたんだ」
するとおまえの母親は非難がましく、あなたが宿題なんかほうっておけばいいっていったのよ、それを間に受けたのよあの子は、毎日毎日遊びまわってばかりいるんだから、あなたが悪いのよ、という。
おおいにけっこう、とわたしはこたえる。
そうとも。宿題なんかやらなくていい。見ろ。おかげで、どの子にも負けないくらいまっ黒に日焼けしてるじゃないか。
そうよ。おかげでまっ黒で汚い格好をして、ガキ大将気取りで走りまわっているわ。勉強嫌いになって。出かけたら出かけたで、まっ暗になるまで帰ってこないし。ちょっとやりたい放題がすぎるんじゃなくて?
子供はそれでいいんだ。元気なのが一番なんだ。
あなたは自分があの子の面倒を見ないから、そんな無責任でいられるのよ。結局、たまった宿題を手伝ってやらなければならないのは、このあたしなのよ。
宿題なんかなんだ。よし、わかった。わたしが責任を取ってやろうじゃないか。
というわけで、父はいま、〈昆虫採集セット〉を前に、腕組みしているのだ。
ガラス瓶の中には、おまえがかけずりまわって集めてきた名前も知らない虫ケラが、たくさんひからびているぞ。
ガラス瓶をさかさにする。
ひからびた虫たちが、新聞紙の上にころがり落ちてきた。
いつなんだ、この虫を集めたのは、とわたしは妻にたずねた。
妻は妻で、牛乳パックを利用して、なにやら工作をしているのだ。夏休みの工作とか昆虫採集といっても、親の宿題みたいなものだな、これでは。
知らない、と妻がこたえる。だいぶ前なんじゃない。ずいぶん遠くまで自転車で取りに行ったみたいよ。
わたしはピンセットで昆虫を転がしてみる。
脚をちぢめて乾ききったカナブン。羽のかけた蝶、蝉、トンボ。足のちぎれたバッタ。
あわれな犠牲者たち。おまえというハンターの獲物たち。
〈昆虫採集セット〉には、虫ピンや採集ラベル、コルクを貼りつけた箱などがふくまれている。
わたしはカナブンのひとつをピンセットで押さえつけ、背中から虫ピンを突きさした。
目の前にかかげ、ひとわたり観察してから、おまえの昆虫図鑑を広げる。
そうか。カナブンというのはカブトムシの仲間なのか。コガネムシ科、カナブン。これだな。
わたしは採集ラベルにボールペンで書きつける。
採集ケースにラベルを貼りつけ、その上に虫ピンであわれなカナブンをとめた。
あわれなカナブン。
おまえはまだ帰ってきそうにない。
いいとも。好きなだけ遊んでこい。もうすぐ夏休みは終りだ。
ギンヤンマ。
4月から10月に平地の池で活動する、か。産卵は、連結したまま植物の組織内に行なう。
なるほど。そういえばつながったまま飛んでいるトンボを見たことがあるぞ。しかし、植物の組織内というのは、なんのことだろう。
おまえはこのあわれなトンボをどこで取ってきたのだろうか。池といえば、たぶんあの池のことだな。父も子供のころ、あの池でフナやウグイを釣ったものだ。いまでも釣れるのだろうか。
たぶん、無理だろう。池のすぐ横の崖の上に、大きな道路が通ってしまったからな。
しかし、こうやって見ると、昆虫図鑑というものもなかなかおもしろいものだ。スズムシの飼い方か。わたしも飼ったことがあるぞ。縁の欠けた大きな壷を母親からもらい、キュウリやナスで育てたものだ。ニボシなんかもやったな。タンパク質の補給だとかいって。
そういったことも、ここにちゃんと書いてある。なかなかいい本じゃないか。母に買ってもらったのか?
その母がわたしにいう。
あなた、宿題は進んでいるの? なんだかぼんやり本ばかりながめて。
わたしはこたえる。
おまえこそ、どうなんだ?
あたしのほうはもうすっかり終りですよ。
そうかい? で、なにを作ってやったんだ?
風車ですよ。ほら、あのオランダなんかによくあるじゃない。子供が作ったってことにしなきゃならないから、あまり上手にならないようにするのに苦労したわ。
よくいうよ、まったく。
わたしはふたたび、昆虫の分類に取りかかる。
外はそろそろ暗くなってきている。もうすぐおまえが帰ってくることだろう。まっ黒な顔と手足をして。
そうして、甘えた声でいうことだろう。
おかあさん、おなかすいた。
と。